【オカルト】死んでしまった人との最後の何気ないコミュニケーション
10 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/17 22:59
その夜に電話していて始終寂しそうだった。
「次いつ会えるの?」と聞くと
何故かビールがあるなら明日行く言うので
かちんときてバイバイも言わず電話を切ってしまいました。
次の朝お金がなかったのでCDを売って
彼が大好きだったラガービールとペプシコーラを買って帰りました。
でもそれを飲んでくれることも、
用意して待っていたことも伝えることができないまま逝ってしまいました。
みなさん愛する人にはできるだけ素直になってください。おねがい。
11 名前: YBB 02/12/17 23:13
僕をかわいがってくれたおばちゃんが死ぬ直前「今年のクリスマスは何が欲しい?」
だってさ、
「何にもいらないよ・・・」っていったけど・・・
元気なおばちゃんが欲しかったよ・・・・・
23 名前: ななし子 02/12/18 00:07
中学時代の同じ部活の仲良かった友達と、3年振りに会いました。
何年かに1度、仲の良かった者どうし会うくらいだったので、本当に久しぶりで。
でも、その時彼女は末期癌で、危篤の知らせをうけ私は急いで病院へ。
友人3人と、彼女の手を握り、部活で演奏した思い出の曲を録音したテープを4人で聞きました。
その時、植物状態になって2ヶ月経つ彼女が「うぅ」と声を出し、麻痺していた左手と指を微かに動かしました。
心拍数もかなり上がりました。ご家族と私達で「聞いてるね」と一言。
久しぶりの本人の反応に、お母様は涙してらした。
3人とも「4人で聞けるとは思わなかった」と口をそろえて言いました。
その数日後彼女は亡くなりました。
聞いていてくれてたことは、本当に嬉しかった。
26 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 00:12
店長は?と聞くと「調子悪いから2階で休んでるよ」と・・・
終礼の時に真っ青な顔で降りてきて
「○○ちゃん、がんばってね、笑顔がいいね」と誉めてくれて
店長も身体大事にねって・・・・
「うん、死ぬまで生きるよ、まかせなさい!」
「まかせなさい」は、店長の口癖。
2時間もしないうちに同僚から電話で店長が・・・亡くなったと・・・。
最後に会話したのは、この私。
この私でよかったのだろうか・・・;;
34 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 03:10
離れて住んでいる祖母とは、母も含めて
時々待ち合わせして食事などしていた。
ある年の正月会った時、指環を買ってくれるという。
私はおねだりした記憶もなく、そう無理にという
必要もなかったのだが、何故かその時に限って
普段は無理強いなど決してしない優しい祖母が
「間に合わないから」と言って買ってくれた。
祖母はその年の夏、急にガンでなくなってしまった。
指輪を買ってくれたのが、会った最後だった。
あれから10年。指環はいまでもお守りだ。
54 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 05:14
人ではないのですが・・・
うちには私が幼いころから飼っている犬がいました。
4年前のクリスマスの日、
すでにかなりの老犬であんまり動くことがなかったのに、
その日だけは元気で、私にじゃれてくるんです。
いつもはしなかったあま噛みもするし・・・
滅多に吠えないのに吠えるし・・・
クリスマスだからかな、なんて思ってました。
次の日の朝、もう動きませんでした。
老衰だったみたいです。
本能で死ぬのが分かって遊びたかったのかなぁ?
57 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 09:03
高校の文化祭にはりきっているとき、親が学校に電話かけてきて
祖父が倒れたのですぐに病院に来い!と言われた。
心臓にペースメーカー入れてたんだけどもうこれで4回目で
今まで何度もこういう事があって無事だった人だったので
またか・・・とうんざりした思いでクラスのみんなに準備の
最中に抜け出す事を謝りながら病院にかけつけた。
病室につくと色々器具はつけていたけど祖父は上半身を起こして
意識もしっかりして会話も出来た。
人騒がせな・・・・と思った。帰るとき祖父が
「悪かったね。わざわざ来てもらって。じゃあね。」と手を差し出してきたが
私はおざなりに握手して再び学校へ急いだ。
数日後、祖父が死んだ。
どうしてあの時きちんと笑ってあいさつして手を握り返さなかったのだろう。
あの時の祖父の手の感触が今でも忘れられない。
71 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 18:43
「ごめん、30分くらい遅れる」
「OKOK。本屋におるわ。」
「ラジャー☆」
消せないメールです。
もう携帯変えちゃって使えないのに、このメールが残ってる限り捨てられない。
このメールの続き何度想像しただろ・・・。
123 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 00:53
うちの祖父が2年ほど前に亡くなった。
焼身自殺だった。
その葬儀の時に、祖父の近所の家の人から聞いた話。
祖母はその日習い事があったので、外出しなければならず、出掛けに玄関から祖父に「いってきますねー。」と
声をかけたそうだ。
それに対する祖父の返事は「あぁ、あんたも元気でな。」
それを聞いていた近所の人は「なんかおかしな会話だなぁ」と思ったそうだが・・・
いろいろ家庭の事情もあって、祖父は鬱病気味だった。
死を決めて目覚めた朝、どんな気持ちで祖父は祖母に声をかけたんだろう。
止めて欲しかったのか、別れを告げたかったのか。
生憎、耳が遠い祖母にその言葉が届くことはなかったのだけど。
なんかやりきれない話だけど、永年連れ添った人たちの愛情ってこういうものなのかな、と思った。
127 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 03:13
小学生の時、親が離婚して兄と会わなくなった。
父は何をしてたのか良く分からないが、兄に家を継がせたいために兄だけを残した。
母は弟と俺と暮らした。
毎週兄貴は母と電話してた、たまたまある日電話を取ったのが俺だった。
「もしもし、○○です」
「おぉ、Tか、久しぶりやなぁ」
離婚直後はたまに会ったが、父の家が遠かったために中学に入ると休日は俺は友人と遊ぶために母と一緒に兄に会うことがなくなっていった。
2年ぶりくらいに話をした気がする。
母がそのとき帰ってきていなかったので兄と学校の話やゲームの話をして三時間くらいだったか話し込んだ。
「今度遊びに行こうか?」
「いくいく」
一緒に暮らしていたときは兄とはすぐに喧嘩になり嫌いだったが、電話がとても楽しくて久しぶりに会いたくなった。
次の日に父から電話があり、次の日交通事故で兄がなくなった。
悲しくなったが父が俺を引き取りたいと言い出して、家族を崩した父に怒りが増した。
もうすぐ兄の年齢になるが、母と弟は守ってやりたい。
きっと兄は母や俺と弟のことを心配して、問題を起こさせないために父の所に残ったんじゃないかと思う。
兄貴ありがとう。会えなかったけど、きっと兄貴みたいな人間になるよ。
135 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 04:27
正確に最後だったかどうかわからない。
中学3年の時親父が死んだ。
渋谷のビジネスホテルで首を吊っての自殺だった。
お袋と親父は俺が小5の頃から離婚してた。
俺はお袋に引き取られてた。
お袋は親父の事をことあるごとに恨み言を言いながら銀座で働いて俺を食わせてくれていた。
ある日お袋が過呼吸症候群かなにかで病院に運ばれた。
離婚してから数年会ってなかった親父が駆けつけた。
「来るな!くず男!」
お袋はそう言って病院のベッドから枕を投げつけた。お袋の病状は興奮させてはいけないからと、俺と親父は外に出た。
病院の外は冬で、屋台のおでんやが出ていた。それを見た親父はぽつりと
「お前と飲めればなァ」と呟いた。
次の日親父はホテルで首を吊って死んだ。
大家さんから許しをもらって入ってみた親父が最後に住んでいたアパートは、
かつて企業の重役だった男の住む部屋とは思えない程小さかった。
「〇〇(俺の名前)へ」と書かれて使い古されたブランド物の万年筆が置いてあった。
先月お袋が死んだ。
癌だった。
最後の最後まで強情だったお袋は「あたしは一人であんたを立派に育てた。思いこのこす事はない」
と言い残して死んだ。お袋の形見だといっておばさんが俺にふるびた財布をくれた。
親父、お袋ごめん。俺は立派には育たなかった。
若すぎた結婚は失敗して今は無職の最低人間だ。
明日も職安に行こう。
ふるびた財布をポケットに入れて、使い古しの万年筆を胸に刺して。
もしも職が見つかったら・・・・その時は頑張った自分へのご褒美におでんやでちょこっと一杯やろうと思う。
136 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 04:35
私の父は私が22の時に亡くなったんだ。
30代で糖尿を患って、2年くらい入院したのが最後だった。
たまに母と看病のための泊り番を代わると、父は大騒ぎするの。
多分もう死の恐怖でおかしくなってたんだと思う。
「ここを出ないと、ベッドがひっくり帰って窓から落ちる!」とか
「おまえも俺も死ぬんだぞ!」とか叫び出す。
その度に泣きそうになりながら、なだめたりしてた。
で、その日は父の頭がハッキリしてたんだ。
前みたいに、いつもの憎まれ口調で母や私に文句言ったりしてた。
この調子なら大丈夫だろうなと思って、
「明日は友達の所に泊まりに行くからお見舞いにこれないよ」って言った。
父は怒って私に枕を投げ付けた。
私もカッときてしまって、
「そんなことするならもう来ないよ!」って言ってしまったんだ。
それが最後だった。
それから2年くらい私はどこかおかしくなってしまって
夜中に叫びだしたり、仕事中もぼーっとする事が多くなって
仕事を辞めて引きこもってしまった。
夢に父が出てくる時、父は夢の中で必ず荷造りしている。
どこに行くの?と聞くとフランスと言う。
私は父の旅行カバンをキレイに入れ直してあげる。
夢はいつもそこで終る。
この間、玄関先で父を見送る夢を見たんだ。
それから父の夢は見てない。
少しは許して貰えたのかな、と勝手に思っている。
145 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 06:21
漏れの女友達から聞いた話。
女友達(以後T)は、その日も弟と喧嘩してた。
Tは何気なく言った「あんたなんか死んじゃえばいいのよ!」
次の日Tの弟は死んだ。
大型ダンプに轢かれたらしい。
Tは今でも「あんたなんか死んじゃえばいいのよ!」
と何気なく言ってしまったことを後悔している…。
147 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 06:57
数年前、父は自殺した。階段で首をつっていた。見た瞬間一生懸命支えた。少しでも首に負担をかけないよう持ち上げた。もう手遅れだったけど・・
その日の朝、いつものように父はテレビを見ていた。私バイトで家を出ていくとこだった。ふと背をむけてた父が振り返り私に「おはよう!」とニコニコして言った。
しかし私は「ん~」と適当に返事した。それが最後に交わした言葉だった。ごめんなさいごめんなさい。なんでもっともっとやさしくできなかったんだろう。
169 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 15:47
自分が大学四年の時、従兄弟がバイク事故で亡くなった。
17歳。人付き合いの良い奴で、友人が失恋した晩に、慰めようと
バイクを走らせ、そのまま帰ってこなかった。
それまでは考えもしなかったのに、この時はじめて「よっぽどの事が無い限り
親より先に死ぬのが一番の親不孝だ」と憔悴した叔父達を見て感じた。
177 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 17:30
ちょっと遠くに住んでいた祖父が入院したというので、母と妹といっしょに
病院に。その一年ほど前に祖母を亡くしてから、今まで病気なんてしたことなか
った祖父だったけど、いざ病院で会ってみると、それはそれはやせ細っていた。
手が痺れると言って手を忙しなく動かしたり、飲み物を少し飲んだりと、その時は
一時的に体調が悪いんだと思ってた。病院から帰る間際、その年は俺の高校受験
だったことを祖父は知っていて、「こんなじいちゃんの体のことなんていいから
、今は一生懸命勉強して、お父さんやお母さんに心配かけないようにするんだよ。
高校に受かってじいちゃんの体が良くなったら、また将棋打とうな。」と、か細い
声で言ったのを今でも忘れられません。
それから1週間くらい経った日の夜中、病院から危篤の知らせが来て、祖父は
帰らぬ人となりました。
180 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 19:24
今年の夏に俺を可愛がってくれたばあちゃんが亡くなった。
今年の春から入院してたけど、元気そうだったんでそのうち良くなると思っていたのに。
夏に見舞いに行ったその日に亡くなった。
ちょっと疲れてたみたいけど、俺が行ったら喜んでくれた。
その4時間後になくなるなんて、その時は思わなかった。
自分でもびっくりするくらい泣いた。
婆ちゃん、こんな俺を可愛がってくれてありがとう。
でも、俺は恥ずかしくてどれだけ婆ちゃんを好きかをなかなか口にすることができなかった。
向こうの世界に行く前に知ってもらいたかったよ。
どれだけ俺があなたのことを好きだったかを。
どうして最後に会った時に「すっげえ愛してるよ」って言えなかったんだ。
ゴメン、婆ちゃん。
200 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/21 00:55
2000年5月に逝った父との最後の会話。
実は全然憶えてない。
亡くなる一週間前くらいから、いつもなら8時には寝ているはずの父がオレの
帰る10時過ぎまで起きていて、ケンカをしたりしながらも色々と話したのが
想い出です。話の内容は全然憶えてないんだけど・・・。
不思議だったのは、亡くなる前日、いつもは残業をして帰るところ、何故か
「今日は絶対定時に帰ってやる」と思い、ホントに帰って約3ヵ月ぶりくらい
で、家族全員揃って夕食を食べたこと。
そして亡くなる当日、家を出る時職人だった父が半地下で仕事をしていたので
「あいさつしようか。でもまぁ、これで会えなくなる訳でもないし」と
普段なら絶対に思わないようなことを思いながら出勤。
そして15時過ぎに携帯にかかって来た母からの電話。
普段は仕事中には絶対に出ないのに、その時にはなぜか電話に出た。
皆とは逆に、オレの記憶が鮮明なのはここから、骨つぼに入った父と一緒に
火葬場から出るまでだ。
232 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/21 23:32
今年の3月、祖父が亡くなった。
最後に会話したのは俺が大学に合格したのを報告したとき。
あまり愛想のない人だったけど、電話の向こうで喜んでくれた「これからもがんばれよ」って。
祖父が亡くなったのはそれから一週間とちょっとしてから。
次に祖父に会うときは合格通知を見せて喜ばせてあげようと思っていたのに。
お葬式で初めて祖父の亡骸と対面したときのどうしようもない思いは一生忘れられないと思う。
251 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 16:44
一時期無気力な時があった。 楽に死ねるなら死ぬのも悪くないって思ってた。
学校の帰り友達とぶらっと店に寄った。
友達は首を吊る縄を見定めていた。
これは細すぎるな、これは太すぎる。
これがいいんじゃないの? あれはどう? 結局買わずに店を出た。
二日後の朝電話がかかってきた、友人の母からだった。
友達は首吊って自殺した。
あぁ、死んだんだぐらいにしか思わなかった。
知り合って2年目の冬だった。
通夜、友人の母が俺の顔を見つけ泣きながら近寄ってきた。
あの子あなたと知り合ってから明るくなってたの、ありがとう。
事が終ってから自分の愚かさが身にしみた。
なんであの時止めようとしなかったのか。
なに一緒に縄なんか見てんだ? 馬鹿か?
254 名前: チャーリーブラウン 02/12/22 17:01
別れの言葉を交わせるっていいな~と思った。
俺は親父とは離婚のため離れて暮らしてた。
年に2~3回は親父の職場に電話して会い、一緒にメシ食ったりしてた。
5年程前、また久しぶりに会おうかと思い連絡を取ろうと親父の会社に電話した。
「○○ですけど、親父いてはりますか?」
「え?○○さん先月亡くなりよったで、連絡来てない?」
頭が真っ白だった。
親父は再婚していたのだが、そちらの連中なんの連絡もよこさなかった。
土地の権利の問題があり、線香上げにお邪魔したときも、写真くれと言ったら渋るし
形見分けのひとつもくれなかった。
土地の権利書に俺のハンコが欲しいだけみたいだった。
亡くなる数年前、俺が住んでる地域の大学病院に検査入院で来たときに会ったのが
最後だった。
思えば、本人はあの時お別れを覚悟していたのかも知れない。
俺は早く元気になってがんばろうや、と声をかけた。
その時親父は腕時計を外し、俺にくれた。
俺は腕時計を持つ習慣が無かったからそれを気にしてたみたいだった。
まさか亡くなるとは思っていなかった。
その腕時計は引越しかなにかでどこへいったかさだかではない。
大事に保管してればよかった。
今でも悔やまれてならない。
親父、ゴメン。
でもあんたとの少ないながらの思い出だけは心の中でずっと大事にとどめてます。
一緒にハゼ釣って来て、それをさばいて天ぷら作ってくれたこと忘れないよ。
256 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 17:13
ばあちゃんが交通事故に遭った日の翌日が、俺の誕生日だった(高校の時)。
俺に「お祝いに、お前の好物のシチューを作るね。」と、材料の買い物に出かけた帰りの事故だった。
ばあちゃんはそのまま意識が回復せずに数日後に他界。
遺品を整理していたら、小さな花柄のお年玉袋が見つかった。
「お誕生日おめでとう。勉強頑張っていい子でね。祖母より。」って、筆ペンでお年玉袋にメッセージが。帰宅してから小遣いを入れるつもりだったのか、中はからっぽ。それを見て、涙が止まらなかった。
ばあちゃんの形見に、小さな指輪をもらった。はじめてじいちゃんから買ってもらった指輪で、いつも大事に持っていた指輪。今も机の中にしまってある。
救急車で運ばれる時は、まだ意識があったらしく「孫を頼む。じいちゃんを頼む」って救急隊の人に言っていたと後から聞いた。
今思い出しても涙が出てくる。反抗した事もあったけど、いつも優しかったばあちゃん。
おばあちゃん、ありがとう。。・゜・(ノД`)・゜・。
263 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 21:40
ずっと後悔していることがある。
小さい頃から一緒にご飯食べてたんだけど、そのころ祖母がうっとおしくてうっとおしくて、
ある晩、祖母が食卓にいる時にあからさまに舌打ちをした。
「死ねよクソババア」と思っていた。
本当に死ぬなんて思ってもみなかったから。
祖母が死んだのは次の日だった。今年の2月22日。朝起きたらもう死んでた。
漫画みたいだな。と思って笑えた。
私のせいだなんて思ってヒロイン面したくなくて、泣かなかった。
補習授業でないと留年だったから学校行って、そのまま遊んで家帰った。
かたみにって祖母手作りのぬいぐるみ渡されたけど、
気持ち悪いから受け取らなかった。
このスレ見てたら私も泣いていいんだって思って、泣けた。
祖母が死んでから、その死に対して初めて泣いた。
ずっと私を可愛がってくれていたのに、最後まで私全然良い孫じゃなくてごめんなさい。
内緒で借りてた2000円返してないよ。約束通り誰にも言わないでくれたのに。
ありがとう。ごめんねおばあちゃん。ごめんね。
ほんとに死んで欲しかったわけじゃないんだよ。死ねなんて思ってごめん。
もっと優しくすればよかった。ごめんなさい。
おばあちゃん、愛してます。
274 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 00:04
親父が自殺する三日前
に電話で「がんばれよ」と何気なく
言われたのがまだ耳に残ってる。
287 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 03:30
あるイベントの打ち上げにたまたま参加した時に知り合った女の子がいて、
結構話がはずんだ。彼女はすごい明るくて、気さくでした。
そのときはそれくらいで、電話番号もメールアドレスも聞かなかった。
(その子はそのイベントのスタッフだったので)次回イベントの打ち上げでまた会えるはず。
そう思ってた。でも、それが最後だった。
またそのイベントがあって、打ち上げに参加したけれども、彼女の姿はなかった。
「○○さん、前の時スタッフだった△△さんは今日どうしたんです?」
「え?ああ、あの人なら・・・死んだよ。」
「まったまた~、冗談言わんでくださいよ~!」
「いや、ホントにホントに。」
「んなこと言ったら△△さんに失礼っすよ~!」
「いや、だからホントだって。俺葬式行ったもん。」
「・・・マジ・・すか・・・?」
「・・・」
飲みの楽しい雰囲気を壊してしまった罪悪感や彼女の死の悲しみやらがゴチャゴチャになって、
しばらく何も言葉が出なかった。表情も真顔以外作れなかった。
自殺だったらしい。
あんなに明るかった子が自殺するなんて、どうしても考えられなかった。
その子とは一度しか会ってないわけだけど、それでもあんなに胸が張り裂けそうなほどの悲しさに包まれた。
これが自分の愛する人だったら・・・と思うと、俺、どうなっちゃうんだろうって思う・・・。
290 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 04:19
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。
294 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 04:59
別居していた親父がいた。毎週日曜日には車で迎えに来て、色んなところに連れていってくれた。
その父親が風邪をこじらせて入院したというので、見舞いに行きった。
「ただの風邪やから、すぐ治るから、心配しーな。治ったらまた一緒に映画見に行こな。お母さん困らせるんやないで。また見舞い来てな。」とすごく優しい口調で言ってくれた。
その夜、母親に、親父が実は末期癌だということを聞かされた。
その2日後、再び会うことなく、親父は他界しました。
一週間前に桜を見に連れて行ってくれたのに・・・突然消えてしまった。本当に信じられなかった。
今でもなんだか信じられないでいて、日曜日になるとあの車が迎えに来てくれるような気がする
303 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 20:11
ある正月、彼女のおばあちゃんちにいったんだ。彼女と俺二人で。
おばあちゃん具合が悪いらしくって、横になってたの。
すると突然、「二人とも手出して」って、俺と彼女の手を握らせ、
その上に手を添えて、「これで二人はずっと一緒に幸せになるんだよ」って。。
次の日の夜、おばあちゃん亡くなった。
その数ヵ月後、結局彼女とはうまくいかず、別れた。
おばあちゃんごめん。俺、彼女を幸せにすることができなかったよ。ほんとにごめん。
四年前までは、ふつーにそう思ってた。
その彼女も亡くなったんだ。
あのとき、彼女にもっと優しくしてれば、別れる事も無く
亡くなる事も無く、幸せになってたんだろうか。。
今も、その事をずっと引きずってる俺。。おおバカ野朗だ。
310 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/24 03:37
同性だったけど凄く好きな友達がいた。ほんとにほんとに大好きだった。
高3の秋でもうすぐ雪が降るかなって頃、その子が進路や家族や自己について
とても深く悩んでたのを気付いてあげられなかった。
その日、私は2時間ドラマの特別編を観たりプリクラ切ったりしてた。
ピッチに溜まった彼女からのPメールと着信に気が付いたときには、最終着信時間を2時間以上過ぎてた。
あわてて掛け直したけれど繋がらなくて、涙が出てきて、頭ガンガンして、
彼女の家に向かって夜中の3時頃に飛び出した。
彼女の家についたとき、彼女は部屋にいなかった。
彼女の両親すら気付いてなかった。必死に地元探したけど見つからなかった。
翌朝、展望台の眺めが凄く綺麗な真新しい高層ビルから飛び降りた彼女が見つかった。
好きだったんだよ。いつかちゃんと告白しようと思ってた。振られるか絶交されるかと思ったけど。
伝えなくてごめんね。独りにしててごめんね。気付いてあげられなくてごめんね。
大好きだったんだよ。
324 名前: スレ違い 02/12/24 18:53
友人の話
友人はおじいさん夫婦と住んでいました。
今年の夏、おじいさんが癌で入院しました。
手術後、毎日おばあさんが病院に通っていたそうです。
助からない、とまで言われていたのですが、なんとか意識を取り戻し
話も出来る様になりリハビリの話も出ていました。
ところが今度はおばあさんが倒れました。
診断結果は鼻腔癌でした。
すぐに入院する事になりましたがおばあさんが
「おじいさんには知らせないで、また悪くなるから」と言うので
違う病院に入院することになりました。
おじいさんはおばあさんが来ないのを不審に感じましたが
なんとか誤魔化したそうです。
10月の終わりごろおばあさんの手術がありました。
後遺症で記憶喪失になってしまったそうです。
自分の娘の顔も分からず友人の母親に
「あら、また来たの」と言っていました。
その間もおじいさんのリハビリは続き
杖を使えば歩ける様になりました。
友人の家で話し合いをし、二人を会わせる事にしました。
おじいさんに事情を説明するとおじいさんは「すぐに行こう」
と言いました。
友人の母と二人で病室に入りました。
おばあさんは頭が包帯でぐるぐる巻きになっていて、前よりも
とてもやつれていました。
そんなおばあさんの姿を見ておじいさんはなにも言わずに
ずっと泣き続けたそうです。
そしておばあさんもそんなおじいさんをみて涙をながしました。
顔も名前も分からないはずなのに
おばあさんは今でも「あの人はいつ来るの?」とよく聞くそうです。
いつも一緒にばかやってる友達の話
はずかしいから必死に涙をこらえてた、
人間ってすごいと思わされた話だった。
信じてもらえそうにないな、稚拙な文章スマソ
358 名前: さいご 02/12/25 20:10
バイクで帰るカレに、「気を付けてね」と言うと「おう。帰ったら電話する」そう言って帰って行った。
気を付けてねって言ったのに…
362 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/25 21:20
2年半前の出来事。
大学時代からの友人でNというのがいた。
Nは家庭環境が複雑で、小学時代に継母に土下座した頭を踏んづけられたり
した経験もしていたせいか、かなりニヒルな感じで大勢の集まるようなところから
はいつも避けていた。
Nはすんなり大学を卒業し就職したが、オレは留年したり大学院に行ったりして
のんびりした学生生活を送っていたため、Nは社会人、オレは学生という立場で
よくオレはNの部屋に遊びに行ったりしていた。
Nは就職して丸2年が過ぎようという頃になって突然、会社を辞めると言い出した。
職場で自分の思った仕事が出来なかったためか、もしくは家庭環境も一つだったのか
鬱病にかかってしまったからだ。
鬱病にかかった人間を励ましてはいけない、とどこかで聞いたので、オレは極力
「のんびりいこうぜ」
などと言って励ましていたが、本人は社会復帰の希望が強く、資格でも取るか
プログラマを続けるか悩んでいたようだ。
会社を辞めてから2週間に1度くらいのペースでNの下宿に行っては会話して
いたりしたが、気がつくとNは毎日のように精神障害者の集まる集会?みたいな
ところに参加するようになっていた。理由は
「晩飯を無料で食わせてくれるから」
ということだったが、Nは軽度の鬱病であり、
「なにもそんなヘビーなところに行かなくてもいいじゃないか」
などと言ったりしていたものだった。
Nはこちらから連絡しないと連絡をよこさなくなっていたのだが、ある日Nから
電話がかかってきた。父親の紹介でアルバイトとして仕事をすることになった
らしく、うまくいけば社員に登用してもらえるかも知れないと言うことだった。
そして、これからは余り時間が取れなくなるから、この週末にメシでも食べながら
話でもしないか?という、お誘いの電話だったのだ。
当時、オレには彼女がいて、その週末は予定が埋まっていた。Nとはいつでも
会えると思っていたので、あっさりと
「今度の週末は悪いけど、時間ないねん。また今度メシ喰おうぜ」
と言って断ってしまった。
まさか、この会話がNとの最後の会話になるとは思っても見なかった。
次の金曜日。Nからメールが来た。メールの題名は
「ありがとう:最後のお願い」
だった。オレはNの携帯に電話したが、繋がらず、下宿先に行くとドアが開いていた。
部屋の中に入ると、先ほどまで人間がいたと思わせるような雰囲気が漂っていた。
部屋の温度というか、においというか、おそらく先ほどまでこの部屋にいた
のだろうと十分分かる雰囲気だった。
机の上には「遺書」と書かれた封筒があり、中をのぞくと自分の身辺整理を
オレに任せたいことや、親に対して申し訳ないと思っている、といった
内容が書かれてあった。よく見るとNの携帯も机の上に置いてあった。
オレからの着信が何度も入っていたが、誰も出ない理由がよくわかった。
このままではどうしようもないと思い、警察に電話することにした。
20分程で警察が現れ、オレの話す内容を一通り聞いた後、オレにこういった。
「実は先ほど○○というところで、飛び降りがあったんですよ。」
○○という場所はオレにとってもNにとってもなじみ深い場所だった。
Nの以前の下宿先だったのである。
オレは警察官の前にも関わらず、むせび泣いてしまった。
その後、Nの親父さんと会うことになり、オレの知っている一部始終を話した。
オレがその週末にNと会って話をしておくべきだった、と後悔していることも。
親父さんは、自分の方が比にならないくらいつらいはずなのに
「それはあなたの悩むところではありませんよ」
と優しくオレを励ましてくれた。
404 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/27 21:57
結構、前に知り合ったメル友がいて、
私は今年受験だから「もうメールできない」って言った。
受験が終わった後もメールが来ても面倒くさいし「PC調子悪い」
って言って返事なかなかしなかった。
いつも定期的に「久しぶり。元気ですか?」っていうメールが
来てたんだけどいつの間にかそんなメールも来なくなって、
「もう縁が切れた」と思ったときに、
他の板でその子の闘病日記が話題になってた。
私、その子が病気だった事、全然知らなかった。
その日記は今年の5月22日が最後だったんだけど私がそれを知ったのは先月。
ほんとに鬱。
その子の生前の発言で「そういえば私のメル友受験だったんだけど、どうだったのかなぁー」
って言う発言、見てホントに悔しくなった。
せめて「第一志望、受かりました」くらい言ってやりたかった。
定期的に「元気ですか?」ってメール入れてくれてたけど、ホントは本人が
そんな状況じゃないのに「PCが~」って言った私に
「いえいえ、お大事に~調子が良くなったら、またメールしましょう」って。
あんなクソみたいな嘘こくんじゃなかった。
451 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/29 02:35
大学入学と同時に上京し、そのまま就職した。東京で10年働いた後、会社を辞めて
田舎に戻った。それから、就職活動を田舎でしていたのだが、友人が東京に多くいた
ので、親の薦めに反して再度上京するつもりでいた。両親は地元での就職を望ん
でいた。
俺は実家に住んでいたのだが、一人暮らしが長く、母が体を心配して作ってくれた
食事になじめつに、外食ばかりしていた。
そんなある日、父から電話があり、母が入院したことを知った。すぐに、病院にいったが
子宮ガンとゆうことだった。それから、一週間後、転職活動の後、家に帰ると、
俺の部屋の前に、手作りの食事がおいてあり、手紙もあった。
内容は、”食事は大事だからちゃんと食べなさい”とゆう内容だった。
しかし、そんなことをするのは母だけだ。しかし、母は入院している。????
手紙の字は母のものだった。嫌な予感がして、病院に行った。
病室のベットはきれいだった。看護婦に聞いたら、病状が急変し、死んだとのことだった・・
母・・母・は。。。歩けるはずではない体を引きずって、歩いて15分もある実家まで
歩いてきて料理を作り、俺に最後の手料理を作ってくれた。
俺は、田舎に帰って初めて、母の手料理を食べた・・・・涙が止まらなかった
459 名前: 02/12/30 07:31
半年前まで付き合っていた年下の男の子。
夜中に電話がかかってきて、「今からそっち行っていい?」と言われた。
すごく落ち込んでいる様子だったけど、私は次の日仕事だったから、
「今日は無理。明日ならいいよ」と答えて、少し話して電話を切った。
でも暫くしてまた電話がかかってきて、「どうしても今会いたい」と言われ、
なんだか心配だったから、来ていいよって言った。
朝までずっと話をして、私が仕事に行くとき一緒に家を出た。
どうして落ち込んでいたのかは、結局話してくれなかった。
「またね」って別れたのに、彼は、その日、自宅で首を吊って亡くなった。
遺書もなにもなかった。
どうしても会いたかったのは、そうするって決めていたから?
なんで私はあの朝普通に別れてしまったんだろうって思って、今でもやりきれない。
「今度映画見に行こうよ」と私が言って、「じゃあ今度電話するね」と彼が言って、
「またね」とふたりで手を振って別れたのが、最期の会話でした。
520 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/04 01:08
一年前の今日、同じ学校の仲の良い連中と一緒に初詣に行った。その帰りに正月だから、という事で親には内緒で俺の家で宴会を開くことになった。(今考えるとバレていたんだと思う)
酒も進んで、みんなテンションが高くなってきた頃、友人でみんなのまとめ役だったSが「二十歳になっても、爺さん婆さんになっても、こうしてみんなでバカやって騒ごうな!みんな好きじゃあ~」 なんて言いながら、俺に抱きついてきた。
俺らは「お前マジ酔いすぎ!」って笑ってたけど、そこにいたみんながSと全く同じ気持ちだったと思うし、いつかそういう日が来る事を信じて疑わなかった。
冬休み最後の日、Sは部活帰りに車に跳ねられた。即死だったそうだ。
もうSと一緒に大人になっていくことも、バカ騒ぎすることも出来ないけど、俺は毎日一生懸命、人生を楽しみながら生きていこうと思った。あいつがそうして来たように、またそうして生きようとしたように。
ちなみに二十歳になったらあいつの墓に酒でも持っていこうかと密かにみんなで計画している。Sが天国で「お前ら、今日は吐くまで飲むぞー」って言いながら喜んでくれる事を祈って。
539 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/05 01:25
俺が小5の時父親が亡くなった
自営業だったので両親とも家にいる時間がおおかった
ある日、学校から帰ってきていつものように2階にかけ上がる俺
すると父が自分の部屋から出てきた、いつもなら仕事部屋に
いる時間のはず「おお、帰ってきたのか」「うんただいま、どうかしたの?」
「なんか調子が悪くてな・・」「そっか」 何気ない親子の会話だ
この時俺の頭は遊びにいくことでいっぱいだった
とくに症状など聞くこともなく、俺はダッシュで家を出た。
遊びから帰ってきても父はまだ寝ていた、朝になっても出てこず
その日は顔を合わさずに俺は学校に行った、そして学校から帰ってくると
なにやら騒がしい、すると母が家から出てきて「お婆ちゃんの家にいってなさい」
と言う(母方の祖母の家は歩いて20分くらいの所)「え~!友達と遊ぶ約束してんだけど」
「いいから!・・」今思うと泣いたあとのような顔だった気がするが、その時はきにもならず
カバンを背負ったまましぶしぶ祖母の家にむかう
夜になると母、叔父たちがそろって祖母の家に来た、そこではじめて父が亡くなったと
言われた、その後はあんま憶えていない
ただ本当に唐突だった、親が死ぬなんて思いもしなかった。
俺は今年で22になる、母親のことを「お袋」と呼ぶようになったわけだが
父はずっと「お父さん」のままだ
550 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/05 11:07
体が弱かった高校時代の親友が出産間近だという事を知り合いから聞いた私は、早速電話をしてみた。
「もっと早めに愛ちゃん(私)に知らせたかったんだけど、愛ちゃん、東京におるから無事に産まれてから報告しようかな...って思って。大分お腹も膨らんできてね、最近は安定してきてるんだよ」という元気そうな声に私は安心して、
「頑張って元気ないい子を産むんだよ!」と言った。
「うん。ありがと。子供、もう名前も決めてあるし今から出産が待ち遠しいぐらいだよ。その時が来たら、私と旦那で、その子を笑顔で迎えてあげるって決めてるんだ...」
嬉しそうな、幸せそうな彼女に私まで同じ気持になれた。
その日は「無事産まれたら、私から連絡するね!愛ちゃんもお仕事頑張ってね」という親友の言葉で会話は終わった。
それから丁度一週間後の午後2時過ぎ、親友のお母様から電話が来た。私はお母様の声のトーンに違和感を感じる事無く、
「赤ちゃん産まれたんですね!おめでとうございます!!」とはしゃいでしまった。
しかし、次にお母様から出た言葉は親友の死を告げるものだった。
私はしばらく言葉が出なかった。一週間前、あんなに生き生きと幸せそうにしていた彼女がもういないなんて。これから旦那様と、彼との子供と一緒にいっぱい幸せになるはずだっただろうに。
お母様によると彼女は自分が死ぬかもしれない、という事を全て知った上で出産を決意していたのだと言う。その時の彼女の気持を全て私は知ることは出来ないけれど、多分彼女は死の間際まで幸せだったのだと思う。
5年近く経ち、一児の母になった今でも彼女の声は忘れられない。
593 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/10 11:42
去年子供を亡くしました。
産まれてすぐだったから会話もコミュニケーション
もできなかったな。
今考えるとおなかの中にいたときに話しかけて、動いていることを
実感していたのがコミュニケーションだったかもしれない。
598 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/10 15:12
実家から離れて働いていた私が正月に帰った時、道路を挟んだ向かいの家の
おばさんと交わした会話が忘れられない。
その家には小学生の女の子が3人いて、可愛い盛りでとても騒がしかった。
私も生まれた時からのつき合いで、帰るたびにその子達と遊んでいた。
その日も大騒ぎで遊んでいたのでおばさんが、「毎日煩くてかなわんわ。
娘が3人いたら家が潰れるっていうし、一人もらって」と笑いながら冗談を
言っていた。その場は笑って帰ったが、数日後震災で家が潰れ女の子達は
下敷きになって亡くなった。
テレビのテロップで死亡者の欄にあの子達の名前を見た時に、ショックと
ともにその時の言葉を思い出した。
少々不謹慎な冗談も日常が明日も続くと信じているから言えるのだと思う。
数日後のことを考えたら、おばさんは絶対あんな冗談を言わなかっただろうに。
636 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/12 21:39
最後に交わした言葉ではないが、
僕の妹(当時小学校高学年)は阪神大震災で死んだのだが
その前の日に、家族で遊びに行った。
その帰り道妹がなぜか、
「おんぶしてくれ、おんぶしてくれ」
とうるさい。
もう高学年だし、どっちかというと普段は仲が悪かったので、ウザくなり、
「うるさい!!!」と怒鳴ってしまった。
そして次の日、俺はものすごい揺れで目が覚め気付くと俺の家は全壊だった。
そして妹は無言のまま家から掘り出されてきた。
他の家族は全員無事、妹もほとんど無傷だったのに、打ち所が悪かったようだ。
さすがに俺も泣いたよ。
それからはあっという間に時間が流れた。
妹の死に悲しむ暇も感じないくらいだった。
そして妹の葬式の日、最後に妹に触れておこうと思った。
最後の別れの時に妹のおでこに触れると、うそのように冷たかった。
「これが死って事なのか・・・」
そう人事のように考えながら俺は涙が止まらなかった。
今思うと、「おんぶおんぶ」と言うのは最後に何か俺に甘えたかったのかもしれない。
それ以降も、本来なら卒業式だった日、中学の入学式、成人式・・・。
家が新しくなり、周りの景色も震災があった事を忘れるほどになったが、そういう節目を迎えるたびに妹の最後の言葉を思い出して今でも涙が溢れてくる。
文章が下手ですまん。
でも、もうすぐあれから8年が経つのかと思うと、なんか不思議な気持ちだね。
716 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/16 01:20
大学1回生の時に友人を亡くした。
死ぬ一週間ぐらい前に、「オレ、車買おうと思ってるんだよ~。」
とか言って、よく大学に車の雑誌を持ってきてはみんなに
「これもカッコイイしアレもいいな。」とか、みんなにオススメの車とかを
よく聞いて周ってた、、、
そんなある日(最後に会ったのは悲報の2日前)の午後、オレの携帯が鳴った。
オレは(あぁ、また昼飯でも食おうっていう電話だな)と思い、電話に出ると
「○○の姉ですが、弟が自殺して、、、」
頭ん中が真っ白になった。
翌日、友達数人と車で葬式に行った。
車の中では「まさか冗談やんなぁ~」とか誰もが信じられず、冗談を言い合っていた。
到着して初めて実感がわいた。彼は列車に飛び込んだらしく、下半身がへこんでおり、
ひとめでそれはわっかた。
自殺の原因ははっきりしていない。
元々そこまで仲のよい友達ではなかったのだが、親父さんの言葉に胸を打たれた。
「○○はほんとにいい子でした。多少言うことを聞かないことがあっても本当は
優しい子でした。死ぬ数日前に、私と一緒に飲みに行こうって誘ってくれてほんとに
うれしかった、、、なのになぜこんなことに、、、」と言って泣き崩れてしまいました。
本当の親不孝とは親より先に死ぬことなんじゃないかなと思います。
どんな生き方をしてても親は子供に生きていてほしい、元気でいてくれるだけでいい、
と思うのが親なんだとわかりました。
長文に駄文、フ゜ラススレ違いでスマソ。
733 名前: sst 03/01/16 21:47
すごく書き込むの迷っています。
書いたら、少し気が楽になるかな?
去年の夏の出来事です。
土曜日の9:00頃、珍しく家内に起こされました。米が安いから買いに行くと。
起きるとすごく良い天気。ぶつぶつ文句を言いながら『こんな天気の良い日に寝てるなんてもったいなかったな』
なんて、ちょっと家内に感謝しながら朝食を取り、10:00開店のスーパーへ急ぎました。
あいにく駐車場は満杯。
『先に降りて買っておいで。車止めたら店にいくから』と家内をおろしました。
駐車場を一周したところで、ちょうど1台分のスペースを見つけ、駐車し、車を降りました。
そのときです。
『パパ、アストロだね。赤だね。パパが欲しい色は黒だもんね』という男の子の声がしました。
振り返ると3歳くらいの男の子がお父さんに連れられて買い物から帰る所でした。
~~こんな小さい子供でも、お父さんの欲しい車って解るんだ。~~と思っていたら
照れ笑いをしながら『何年車ですか?結構壊れます??』とお父さんが話しかけてきました。
『乗ってみる??』と言い、男の子をリアシートに座らせてイルミネーションをつけたりするとすごく喜んでいました。
『安く売りますよ(笑)』なんて会話を軽く交わしたところで家内から携帯が鳴りました。
『家近くなので、見かけたらパッシングでもしてくださいね。』と軽く会釈を交わして米を取りに店へ向かいました。
家内を乗せ家に戻り、14:00を過ぎた頃です。
『いやぁ~天気良いなぁ。海でも行くか!』と家内を誘い、車を走らせました。
突然家を出てきたので、飲み物も無く近くのコンビニによることにしました。
ウィンカーを上げ、駐車場に入りかけたところで、出てくる車が居たのでいったん止まり、本線に入れてあげました。
そのとき、『いやぁ~あの男の子すごいかわいい。こっちにメチャメチャ手振ってるよ!』と家内。
『ありゃ!?』先程の親子でした。お父さんはこちらに丁寧すぎるほど会釈をしながら。
ジュース片手に先程の男の子が満面の笑みで手を振っていました。
こちらも笑顔で手を振り替えしたのは言うまでもありません
『知っている人??』コンビニの店内での家内の質問に、午前中の出来事を話しました。
『へぇ~あんな小さい子供がアストロって解るんだ。お父さんとどこ行くんだろうね??楽しそうだったね』と話をしながら買い物を終え
コンビニを出ました。
車を走らせ10分ほどたったときに、本線がやや渋滞し始めました。
『天気良いからなぁ~、そうそうそれでさ。さっきの男の子後ろに乗せてあげたんだよ。』と家内と話をしていると、それがやがて事故渋滞
であることに気が付きました。
交差点で、信号無視の車に突っ込まれたであろう軽自動車。無惨な姿。救急車、パトカーはまだ届いていない。
そのときです。『あれ?あれさっきの男の子。。。。。。。』泣きそうな家内。
なんと事故を貰っているのは、先程の仲の良さそうな親子の車。
お父さんは運転席でぐったり。室内は冷却水が充満し真っ白。後部座席で男の子が泣いています。
とっさに護身用のマグライト(単一6本用)を取り出し、その車へ走りました。
マグライトで、後部座席の窓ガラスを割り、ドアを開け男の子を助け出しました。
『あ。。。。。。。あすとろのおじさん。。。。。あのね。あのね。。。。。』
突然の出来事にその男の子は泣きながら話をするも、言葉になりません。
しばらくして警察が到着。
一連の事故処理を始めました。
『この男の子との関係は?』警察に聞かれても、俺もなんて説明して良いのか解らず。
現場の救急車で父親の容態が伝えられるも、俺が連絡先なんて知っている訳がない。
ただ、午前中に何となく話をしただけ。車の会話をしただけ。
なんだろう、済みません。
涙が出てきた。
何を書いているのか解らなくなってきました。
ごめんなさい。なんてまとめたら良いんだろう。
でも、この書き込みを見たら、何かを感じて欲しい。
うまくまとめられなくてごめんなさい。
767 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/18 16:30
8年前に5歳の三男を亡くした。
ずっと病院に入っていて、回復の見込みがないと言われていた。
それでも必ず治る、と俺たち夫婦は自分を励ましながら病院に通っていた。
最期の時、息子は妻だけを見ながら「ママが大好き」と呟いて呼吸を止めた。
孝弘、ありがとうな。
あの時のお前の言葉があったからママは何とか自分を保てたんだよ。
パパやお兄ちゃん達も寂しかったし辛かった。
でもお前は一番ママが心配だったんだよな。ママが好きだったんだよな。
ママもパパ達もお前が大好きだよ。
いつか会いに行く日まで待っててくれよな。
869 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/26 18:06
当時19歳の大学二回生の時、俺は引きこもりだった。
なんていうか、「デブヲタ君」みたいな感じで。デブじゃあなかったんだけど。
俺には7コ年上の兄貴が居て。
兄貴は俺と違って性格も明るくて、友達も多くて、男前で。
俺はそんな兄貴の存在が嫌いだった。人のことをひきこもりの「ブタ」呼ばわりしてきて
本当に大嫌いだった。
そんな兄貴は家に帰ってきて2階にあがってくると、いつも真っ先に俺の部屋に来て
『またゲームしとんかいや~!』とか『たまには外でろや!友達居ないの?(激笑)』
などと、いつも何かしら笑いながら言ってきてた。
俺はその兄貴に対して「うるさいの~、ほっとけやー。」とか「うっさい!部屋入ってくんな!」
等と言う反応をしていた。兄貴が嫌いだったから。
「アイツ早く家から出ていってくれないかな。」ってずっと考えてた。消えて欲しかった。
ある日いつものように兄貴が帰ってきて、もう寝てた俺の部屋の扉を勢いよくバーン!って開けて
『おい!ブタ!パチンコで買ったからこの景品やるわ!!』と言って俺に向かって
ポッキーを箱のまま放り投げてきた。
寝てた俺はその兄貴の無神経さに腹が立って「死んでまえ!」と怒鳴った。
兄貴は隣の自分の部屋に戻り、テレビを見出したようだった。
そして俺はそのまま眠った。
数時間後、母親が俺の部屋に来て取り乱していた。「なんやねん?!」って怒鳴ると
「○○が風呂場で・・・。」
俺は何が起こったのか解らずに、一階の風呂場に向かった。
洗面場には体の表面と顔を火傷で赤くなってた兄貴が横たわっていた。
そのすぐ側では父親が心臓マッサージと人工呼吸をずっとしていた。
俺は何が起こったのか全く解らずにボーっと突っ立っていると、救急車が来て
裸の兄貴にシーツ(?)をかけて救急車で病院に連び父親もそれについていった。
俺と母親もすぐに病院に行った。
病院に行ったとき、兄貴は治療室のようなところで医者数人による心臓マッサージが
行われていた。兄貴の顔は紫っぽく変色してて俺はすぐに治療室の外に出て泣いた。
泣いて泣いて泣きまくった。号泣した。
父親と母親も外に出てきた。母親も泣いた。だけど父親は泣かなかった。
すぐに親戚の兄ちゃんや姉ちゃんやおばさんが病院に駆けつけてきた。
俺は心の底から「目を覚ましてくれ!」ってずっと祈ってた。
医者が出てきた。「残念ですが・・」
その言葉を聞いた瞬間俺はまた泣いた。みんな泣いた。
本当に泣いた。兄貴が死んだって事実が悲しすぎて泣いた。
家に兄貴の遺体を運び、葬儀屋が家にやってきた。
それからずっとみんなでずっと朝まで兄貴を見守った。
そして葬式が終わり、家に帰ってきて自分の部屋に戻ると
兄貴が死ぬ直前に、俺に放り投げてきたポッキーが転がっていた。
そのポッキーを見て涙があふれてきた。
もう気が狂ったように俺は泣いた。ずっと泣いた。寝る事もなくずっと泣いた。
兄貴に「死んでまえ!」などと怒鳴った自分が嫌いになった。俺が死ねば良かったと
本気で思った。
兄貴の死後、俺は引きこもりのような生活におさらばをした。
兄貴の葬式の時にはたくさんの兄貴の友人が涙を流した。
その景色を目の当たりにして「俺も兄貴のように、人に好かれるように生きたい」
と思ったから。
黒ぶちの丸眼鏡を外してコンタクトにして、真っ黒だった髪の毛も明るめの茶色にした。
テレビゲームも全て中古屋に売った。
ファッションにも気を使うようにして、貯金全額出して服と靴とかCDとかに
全額使った。
人と喋るのも苦手だったけど、頑張って人とコミュニケーションを取るようにもなった。
もう後3ヶ月とちょっとで、あれから3年経つ。
あの時のひきこもりだった時の俺はもう居ない。
今居るのは、兄貴と同じような生活をしている俺がここに居る。
友達もたくさん出来たし、愛しい彼女も出来た。
テレビゲームの話題しか出来なかったあの頃の俺はもういない。
毎月、命日の日には兄貴の好きだったアサヒのス-パードライとマイセンの
スーパーライトを持って兄貴の墓に供えにいってる。
もし、俺が兄貴が生きてた頃に今の俺で居る事が出来てたなら
兄貴と一緒に酒を飲んだり、一緒に車いじったり女の話も出来たのに。
今じゃそれももう叶わない。
「子供の日」に逝ってしまった兄貴。今の俺はどうかな?
兄貴が大切に乗ってたスープラは俺が大事に乗ってるから安心してくれ。
そして、今の俺なら兄貴を嫌ったりはしない絶対に。
俺、本当は兄貴が羨ましかったんだ。妬ましかった。
同じ兄弟なのに、俺とは全く違う生き方をしてた人だったから。
兄貴、「死んでまえ!」なんて叫んでごめん。
951 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/09 22:38
「ほら、ナオヤ(俺)、あれが特急列車だぞ」
子供の頃、電車が好きだった俺は、よく祖父と一緒に電車を見に行った。
両親が共働きだったので、幼かった俺は
昼間は家の近くの母方の祖父母の家に預けられていた。
祖父は、毎日のように俺を自転車に乗せ、
橋の上から電車を見せに連れていっててくれた。
幼稚園に入る頃になると、毎日毎日、自転車で送るようになった。
俺がダダをこねて幼稚園に行きたがらなかったときは、
なだめてなだめて幼稚園に連れていってくれた。
俺が年長組になった時、新しい自転車を買ってきて
「来年からこの自転車で小学校に送ってやる」
と、嬉しそうに俺に何度も聞かせてた。
俺もそれを楽しみにしていた。
でも、俺が卒園を控える直前、
祖父は同僚と旅行に行き、旅行先で心臓発作を起こして死んだ。
結局、祖父の自転車は一度も使われることがなく、今も物置の中にある。
でも、たった6年だったけど、祖父との思い出は今でも一番大切な宝になっている。
爺ちゃん、本当にありがとう
969 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/11 04:09
言葉を交わす事も無く
女房の腹の中で8ヶ月で逝ってしまった息子。
出てきたら色んな事話したかったのにな。
苦しかったんだろうな。
分かってあげられずに、ゴメンナ。
コミュニケーションできなかったのでsage
その夜に電話していて始終寂しそうだった。
「次いつ会えるの?」と聞くと
何故かビールがあるなら明日行く言うので
かちんときてバイバイも言わず電話を切ってしまいました。
次の朝お金がなかったのでCDを売って
彼が大好きだったラガービールとペプシコーラを買って帰りました。
でもそれを飲んでくれることも、
用意して待っていたことも伝えることができないまま逝ってしまいました。
みなさん愛する人にはできるだけ素直になってください。おねがい。
11 名前: YBB 02/12/17 23:13
僕をかわいがってくれたおばちゃんが死ぬ直前「今年のクリスマスは何が欲しい?」
だってさ、
「何にもいらないよ・・・」っていったけど・・・
元気なおばちゃんが欲しかったよ・・・・・
23 名前: ななし子 02/12/18 00:07
中学時代の同じ部活の仲良かった友達と、3年振りに会いました。
何年かに1度、仲の良かった者どうし会うくらいだったので、本当に久しぶりで。
でも、その時彼女は末期癌で、危篤の知らせをうけ私は急いで病院へ。
友人3人と、彼女の手を握り、部活で演奏した思い出の曲を録音したテープを4人で聞きました。
その時、植物状態になって2ヶ月経つ彼女が「うぅ」と声を出し、麻痺していた左手と指を微かに動かしました。
心拍数もかなり上がりました。ご家族と私達で「聞いてるね」と一言。
久しぶりの本人の反応に、お母様は涙してらした。
3人とも「4人で聞けるとは思わなかった」と口をそろえて言いました。
その数日後彼女は亡くなりました。
聞いていてくれてたことは、本当に嬉しかった。
26 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 00:12
店長は?と聞くと「調子悪いから2階で休んでるよ」と・・・
終礼の時に真っ青な顔で降りてきて
「○○ちゃん、がんばってね、笑顔がいいね」と誉めてくれて
店長も身体大事にねって・・・・
「うん、死ぬまで生きるよ、まかせなさい!」
「まかせなさい」は、店長の口癖。
2時間もしないうちに同僚から電話で店長が・・・亡くなったと・・・。
最後に会話したのは、この私。
この私でよかったのだろうか・・・;;
34 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 03:10
離れて住んでいる祖母とは、母も含めて
時々待ち合わせして食事などしていた。
ある年の正月会った時、指環を買ってくれるという。
私はおねだりした記憶もなく、そう無理にという
必要もなかったのだが、何故かその時に限って
普段は無理強いなど決してしない優しい祖母が
「間に合わないから」と言って買ってくれた。
祖母はその年の夏、急にガンでなくなってしまった。
指輪を買ってくれたのが、会った最後だった。
あれから10年。指環はいまでもお守りだ。
54 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 05:14
人ではないのですが・・・
うちには私が幼いころから飼っている犬がいました。
4年前のクリスマスの日、
すでにかなりの老犬であんまり動くことがなかったのに、
その日だけは元気で、私にじゃれてくるんです。
いつもはしなかったあま噛みもするし・・・
滅多に吠えないのに吠えるし・・・
クリスマスだからかな、なんて思ってました。
次の日の朝、もう動きませんでした。
老衰だったみたいです。
本能で死ぬのが分かって遊びたかったのかなぁ?
57 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 09:03
高校の文化祭にはりきっているとき、親が学校に電話かけてきて
祖父が倒れたのですぐに病院に来い!と言われた。
心臓にペースメーカー入れてたんだけどもうこれで4回目で
今まで何度もこういう事があって無事だった人だったので
またか・・・とうんざりした思いでクラスのみんなに準備の
最中に抜け出す事を謝りながら病院にかけつけた。
病室につくと色々器具はつけていたけど祖父は上半身を起こして
意識もしっかりして会話も出来た。
人騒がせな・・・・と思った。帰るとき祖父が
「悪かったね。わざわざ来てもらって。じゃあね。」と手を差し出してきたが
私はおざなりに握手して再び学校へ急いだ。
数日後、祖父が死んだ。
どうしてあの時きちんと笑ってあいさつして手を握り返さなかったのだろう。
あの時の祖父の手の感触が今でも忘れられない。
71 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/18 18:43
「ごめん、30分くらい遅れる」
「OKOK。本屋におるわ。」
「ラジャー☆」
消せないメールです。
もう携帯変えちゃって使えないのに、このメールが残ってる限り捨てられない。
このメールの続き何度想像しただろ・・・。
123 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 00:53
うちの祖父が2年ほど前に亡くなった。
焼身自殺だった。
その葬儀の時に、祖父の近所の家の人から聞いた話。
祖母はその日習い事があったので、外出しなければならず、出掛けに玄関から祖父に「いってきますねー。」と
声をかけたそうだ。
それに対する祖父の返事は「あぁ、あんたも元気でな。」
それを聞いていた近所の人は「なんかおかしな会話だなぁ」と思ったそうだが・・・
いろいろ家庭の事情もあって、祖父は鬱病気味だった。
死を決めて目覚めた朝、どんな気持ちで祖父は祖母に声をかけたんだろう。
止めて欲しかったのか、別れを告げたかったのか。
生憎、耳が遠い祖母にその言葉が届くことはなかったのだけど。
なんかやりきれない話だけど、永年連れ添った人たちの愛情ってこういうものなのかな、と思った。
127 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 03:13
小学生の時、親が離婚して兄と会わなくなった。
父は何をしてたのか良く分からないが、兄に家を継がせたいために兄だけを残した。
母は弟と俺と暮らした。
毎週兄貴は母と電話してた、たまたまある日電話を取ったのが俺だった。
「もしもし、○○です」
「おぉ、Tか、久しぶりやなぁ」
離婚直後はたまに会ったが、父の家が遠かったために中学に入ると休日は俺は友人と遊ぶために母と一緒に兄に会うことがなくなっていった。
2年ぶりくらいに話をした気がする。
母がそのとき帰ってきていなかったので兄と学校の話やゲームの話をして三時間くらいだったか話し込んだ。
「今度遊びに行こうか?」
「いくいく」
一緒に暮らしていたときは兄とはすぐに喧嘩になり嫌いだったが、電話がとても楽しくて久しぶりに会いたくなった。
次の日に父から電話があり、次の日交通事故で兄がなくなった。
悲しくなったが父が俺を引き取りたいと言い出して、家族を崩した父に怒りが増した。
もうすぐ兄の年齢になるが、母と弟は守ってやりたい。
きっと兄は母や俺と弟のことを心配して、問題を起こさせないために父の所に残ったんじゃないかと思う。
兄貴ありがとう。会えなかったけど、きっと兄貴みたいな人間になるよ。
135 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 04:27
正確に最後だったかどうかわからない。
中学3年の時親父が死んだ。
渋谷のビジネスホテルで首を吊っての自殺だった。
お袋と親父は俺が小5の頃から離婚してた。
俺はお袋に引き取られてた。
お袋は親父の事をことあるごとに恨み言を言いながら銀座で働いて俺を食わせてくれていた。
ある日お袋が過呼吸症候群かなにかで病院に運ばれた。
離婚してから数年会ってなかった親父が駆けつけた。
「来るな!くず男!」
お袋はそう言って病院のベッドから枕を投げつけた。お袋の病状は興奮させてはいけないからと、俺と親父は外に出た。
病院の外は冬で、屋台のおでんやが出ていた。それを見た親父はぽつりと
「お前と飲めればなァ」と呟いた。
次の日親父はホテルで首を吊って死んだ。
大家さんから許しをもらって入ってみた親父が最後に住んでいたアパートは、
かつて企業の重役だった男の住む部屋とは思えない程小さかった。
「〇〇(俺の名前)へ」と書かれて使い古されたブランド物の万年筆が置いてあった。
先月お袋が死んだ。
癌だった。
最後の最後まで強情だったお袋は「あたしは一人であんたを立派に育てた。思いこのこす事はない」
と言い残して死んだ。お袋の形見だといっておばさんが俺にふるびた財布をくれた。
親父、お袋ごめん。俺は立派には育たなかった。
若すぎた結婚は失敗して今は無職の最低人間だ。
明日も職安に行こう。
ふるびた財布をポケットに入れて、使い古しの万年筆を胸に刺して。
もしも職が見つかったら・・・・その時は頑張った自分へのご褒美におでんやでちょこっと一杯やろうと思う。
136 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 04:35
私の父は私が22の時に亡くなったんだ。
30代で糖尿を患って、2年くらい入院したのが最後だった。
たまに母と看病のための泊り番を代わると、父は大騒ぎするの。
多分もう死の恐怖でおかしくなってたんだと思う。
「ここを出ないと、ベッドがひっくり帰って窓から落ちる!」とか
「おまえも俺も死ぬんだぞ!」とか叫び出す。
その度に泣きそうになりながら、なだめたりしてた。
で、その日は父の頭がハッキリしてたんだ。
前みたいに、いつもの憎まれ口調で母や私に文句言ったりしてた。
この調子なら大丈夫だろうなと思って、
「明日は友達の所に泊まりに行くからお見舞いにこれないよ」って言った。
父は怒って私に枕を投げ付けた。
私もカッときてしまって、
「そんなことするならもう来ないよ!」って言ってしまったんだ。
それが最後だった。
それから2年くらい私はどこかおかしくなってしまって
夜中に叫びだしたり、仕事中もぼーっとする事が多くなって
仕事を辞めて引きこもってしまった。
夢に父が出てくる時、父は夢の中で必ず荷造りしている。
どこに行くの?と聞くとフランスと言う。
私は父の旅行カバンをキレイに入れ直してあげる。
夢はいつもそこで終る。
この間、玄関先で父を見送る夢を見たんだ。
それから父の夢は見てない。
少しは許して貰えたのかな、と勝手に思っている。
145 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 06:21
漏れの女友達から聞いた話。
女友達(以後T)は、その日も弟と喧嘩してた。
Tは何気なく言った「あんたなんか死んじゃえばいいのよ!」
次の日Tの弟は死んだ。
大型ダンプに轢かれたらしい。
Tは今でも「あんたなんか死んじゃえばいいのよ!」
と何気なく言ってしまったことを後悔している…。
147 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 06:57
数年前、父は自殺した。階段で首をつっていた。見た瞬間一生懸命支えた。少しでも首に負担をかけないよう持ち上げた。もう手遅れだったけど・・
その日の朝、いつものように父はテレビを見ていた。私バイトで家を出ていくとこだった。ふと背をむけてた父が振り返り私に「おはよう!」とニコニコして言った。
しかし私は「ん~」と適当に返事した。それが最後に交わした言葉だった。ごめんなさいごめんなさい。なんでもっともっとやさしくできなかったんだろう。
169 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 15:47
自分が大学四年の時、従兄弟がバイク事故で亡くなった。
17歳。人付き合いの良い奴で、友人が失恋した晩に、慰めようと
バイクを走らせ、そのまま帰ってこなかった。
それまでは考えもしなかったのに、この時はじめて「よっぽどの事が無い限り
親より先に死ぬのが一番の親不孝だ」と憔悴した叔父達を見て感じた。
177 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 17:30
ちょっと遠くに住んでいた祖父が入院したというので、母と妹といっしょに
病院に。その一年ほど前に祖母を亡くしてから、今まで病気なんてしたことなか
った祖父だったけど、いざ病院で会ってみると、それはそれはやせ細っていた。
手が痺れると言って手を忙しなく動かしたり、飲み物を少し飲んだりと、その時は
一時的に体調が悪いんだと思ってた。病院から帰る間際、その年は俺の高校受験
だったことを祖父は知っていて、「こんなじいちゃんの体のことなんていいから
、今は一生懸命勉強して、お父さんやお母さんに心配かけないようにするんだよ。
高校に受かってじいちゃんの体が良くなったら、また将棋打とうな。」と、か細い
声で言ったのを今でも忘れられません。
それから1週間くらい経った日の夜中、病院から危篤の知らせが来て、祖父は
帰らぬ人となりました。
180 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/20 19:24
今年の夏に俺を可愛がってくれたばあちゃんが亡くなった。
今年の春から入院してたけど、元気そうだったんでそのうち良くなると思っていたのに。
夏に見舞いに行ったその日に亡くなった。
ちょっと疲れてたみたいけど、俺が行ったら喜んでくれた。
その4時間後になくなるなんて、その時は思わなかった。
自分でもびっくりするくらい泣いた。
婆ちゃん、こんな俺を可愛がってくれてありがとう。
でも、俺は恥ずかしくてどれだけ婆ちゃんを好きかをなかなか口にすることができなかった。
向こうの世界に行く前に知ってもらいたかったよ。
どれだけ俺があなたのことを好きだったかを。
どうして最後に会った時に「すっげえ愛してるよ」って言えなかったんだ。
ゴメン、婆ちゃん。
200 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/21 00:55
2000年5月に逝った父との最後の会話。
実は全然憶えてない。
亡くなる一週間前くらいから、いつもなら8時には寝ているはずの父がオレの
帰る10時過ぎまで起きていて、ケンカをしたりしながらも色々と話したのが
想い出です。話の内容は全然憶えてないんだけど・・・。
不思議だったのは、亡くなる前日、いつもは残業をして帰るところ、何故か
「今日は絶対定時に帰ってやる」と思い、ホントに帰って約3ヵ月ぶりくらい
で、家族全員揃って夕食を食べたこと。
そして亡くなる当日、家を出る時職人だった父が半地下で仕事をしていたので
「あいさつしようか。でもまぁ、これで会えなくなる訳でもないし」と
普段なら絶対に思わないようなことを思いながら出勤。
そして15時過ぎに携帯にかかって来た母からの電話。
普段は仕事中には絶対に出ないのに、その時にはなぜか電話に出た。
皆とは逆に、オレの記憶が鮮明なのはここから、骨つぼに入った父と一緒に
火葬場から出るまでだ。
232 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/21 23:32
今年の3月、祖父が亡くなった。
最後に会話したのは俺が大学に合格したのを報告したとき。
あまり愛想のない人だったけど、電話の向こうで喜んでくれた「これからもがんばれよ」って。
祖父が亡くなったのはそれから一週間とちょっとしてから。
次に祖父に会うときは合格通知を見せて喜ばせてあげようと思っていたのに。
お葬式で初めて祖父の亡骸と対面したときのどうしようもない思いは一生忘れられないと思う。
251 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 16:44
一時期無気力な時があった。 楽に死ねるなら死ぬのも悪くないって思ってた。
学校の帰り友達とぶらっと店に寄った。
友達は首を吊る縄を見定めていた。
これは細すぎるな、これは太すぎる。
これがいいんじゃないの? あれはどう? 結局買わずに店を出た。
二日後の朝電話がかかってきた、友人の母からだった。
友達は首吊って自殺した。
あぁ、死んだんだぐらいにしか思わなかった。
知り合って2年目の冬だった。
通夜、友人の母が俺の顔を見つけ泣きながら近寄ってきた。
あの子あなたと知り合ってから明るくなってたの、ありがとう。
事が終ってから自分の愚かさが身にしみた。
なんであの時止めようとしなかったのか。
なに一緒に縄なんか見てんだ? 馬鹿か?
254 名前: チャーリーブラウン 02/12/22 17:01
別れの言葉を交わせるっていいな~と思った。
俺は親父とは離婚のため離れて暮らしてた。
年に2~3回は親父の職場に電話して会い、一緒にメシ食ったりしてた。
5年程前、また久しぶりに会おうかと思い連絡を取ろうと親父の会社に電話した。
「○○ですけど、親父いてはりますか?」
「え?○○さん先月亡くなりよったで、連絡来てない?」
頭が真っ白だった。
親父は再婚していたのだが、そちらの連中なんの連絡もよこさなかった。
土地の権利の問題があり、線香上げにお邪魔したときも、写真くれと言ったら渋るし
形見分けのひとつもくれなかった。
土地の権利書に俺のハンコが欲しいだけみたいだった。
亡くなる数年前、俺が住んでる地域の大学病院に検査入院で来たときに会ったのが
最後だった。
思えば、本人はあの時お別れを覚悟していたのかも知れない。
俺は早く元気になってがんばろうや、と声をかけた。
その時親父は腕時計を外し、俺にくれた。
俺は腕時計を持つ習慣が無かったからそれを気にしてたみたいだった。
まさか亡くなるとは思っていなかった。
その腕時計は引越しかなにかでどこへいったかさだかではない。
大事に保管してればよかった。
今でも悔やまれてならない。
親父、ゴメン。
でもあんたとの少ないながらの思い出だけは心の中でずっと大事にとどめてます。
一緒にハゼ釣って来て、それをさばいて天ぷら作ってくれたこと忘れないよ。
256 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 17:13
ばあちゃんが交通事故に遭った日の翌日が、俺の誕生日だった(高校の時)。
俺に「お祝いに、お前の好物のシチューを作るね。」と、材料の買い物に出かけた帰りの事故だった。
ばあちゃんはそのまま意識が回復せずに数日後に他界。
遺品を整理していたら、小さな花柄のお年玉袋が見つかった。
「お誕生日おめでとう。勉強頑張っていい子でね。祖母より。」って、筆ペンでお年玉袋にメッセージが。帰宅してから小遣いを入れるつもりだったのか、中はからっぽ。それを見て、涙が止まらなかった。
ばあちゃんの形見に、小さな指輪をもらった。はじめてじいちゃんから買ってもらった指輪で、いつも大事に持っていた指輪。今も机の中にしまってある。
救急車で運ばれる時は、まだ意識があったらしく「孫を頼む。じいちゃんを頼む」って救急隊の人に言っていたと後から聞いた。
今思い出しても涙が出てくる。反抗した事もあったけど、いつも優しかったばあちゃん。
おばあちゃん、ありがとう。。・゜・(ノД`)・゜・。
263 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/22 21:40
ずっと後悔していることがある。
小さい頃から一緒にご飯食べてたんだけど、そのころ祖母がうっとおしくてうっとおしくて、
ある晩、祖母が食卓にいる時にあからさまに舌打ちをした。
「死ねよクソババア」と思っていた。
本当に死ぬなんて思ってもみなかったから。
祖母が死んだのは次の日だった。今年の2月22日。朝起きたらもう死んでた。
漫画みたいだな。と思って笑えた。
私のせいだなんて思ってヒロイン面したくなくて、泣かなかった。
補習授業でないと留年だったから学校行って、そのまま遊んで家帰った。
かたみにって祖母手作りのぬいぐるみ渡されたけど、
気持ち悪いから受け取らなかった。
このスレ見てたら私も泣いていいんだって思って、泣けた。
祖母が死んでから、その死に対して初めて泣いた。
ずっと私を可愛がってくれていたのに、最後まで私全然良い孫じゃなくてごめんなさい。
内緒で借りてた2000円返してないよ。約束通り誰にも言わないでくれたのに。
ありがとう。ごめんねおばあちゃん。ごめんね。
ほんとに死んで欲しかったわけじゃないんだよ。死ねなんて思ってごめん。
もっと優しくすればよかった。ごめんなさい。
おばあちゃん、愛してます。
274 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 00:04
親父が自殺する三日前
に電話で「がんばれよ」と何気なく
言われたのがまだ耳に残ってる。
287 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 03:30
あるイベントの打ち上げにたまたま参加した時に知り合った女の子がいて、
結構話がはずんだ。彼女はすごい明るくて、気さくでした。
そのときはそれくらいで、電話番号もメールアドレスも聞かなかった。
(その子はそのイベントのスタッフだったので)次回イベントの打ち上げでまた会えるはず。
そう思ってた。でも、それが最後だった。
またそのイベントがあって、打ち上げに参加したけれども、彼女の姿はなかった。
「○○さん、前の時スタッフだった△△さんは今日どうしたんです?」
「え?ああ、あの人なら・・・死んだよ。」
「まったまた~、冗談言わんでくださいよ~!」
「いや、ホントにホントに。」
「んなこと言ったら△△さんに失礼っすよ~!」
「いや、だからホントだって。俺葬式行ったもん。」
「・・・マジ・・すか・・・?」
「・・・」
飲みの楽しい雰囲気を壊してしまった罪悪感や彼女の死の悲しみやらがゴチャゴチャになって、
しばらく何も言葉が出なかった。表情も真顔以外作れなかった。
自殺だったらしい。
あんなに明るかった子が自殺するなんて、どうしても考えられなかった。
その子とは一度しか会ってないわけだけど、それでもあんなに胸が張り裂けそうなほどの悲しさに包まれた。
これが自分の愛する人だったら・・・と思うと、俺、どうなっちゃうんだろうって思う・・・。
290 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 04:19
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。
294 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 04:59
別居していた親父がいた。毎週日曜日には車で迎えに来て、色んなところに連れていってくれた。
その父親が風邪をこじらせて入院したというので、見舞いに行きった。
「ただの風邪やから、すぐ治るから、心配しーな。治ったらまた一緒に映画見に行こな。お母さん困らせるんやないで。また見舞い来てな。」とすごく優しい口調で言ってくれた。
その夜、母親に、親父が実は末期癌だということを聞かされた。
その2日後、再び会うことなく、親父は他界しました。
一週間前に桜を見に連れて行ってくれたのに・・・突然消えてしまった。本当に信じられなかった。
今でもなんだか信じられないでいて、日曜日になるとあの車が迎えに来てくれるような気がする
303 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/23 20:11
ある正月、彼女のおばあちゃんちにいったんだ。彼女と俺二人で。
おばあちゃん具合が悪いらしくって、横になってたの。
すると突然、「二人とも手出して」って、俺と彼女の手を握らせ、
その上に手を添えて、「これで二人はずっと一緒に幸せになるんだよ」って。。
次の日の夜、おばあちゃん亡くなった。
その数ヵ月後、結局彼女とはうまくいかず、別れた。
おばあちゃんごめん。俺、彼女を幸せにすることができなかったよ。ほんとにごめん。
四年前までは、ふつーにそう思ってた。
その彼女も亡くなったんだ。
あのとき、彼女にもっと優しくしてれば、別れる事も無く
亡くなる事も無く、幸せになってたんだろうか。。
今も、その事をずっと引きずってる俺。。おおバカ野朗だ。
310 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/24 03:37
同性だったけど凄く好きな友達がいた。ほんとにほんとに大好きだった。
高3の秋でもうすぐ雪が降るかなって頃、その子が進路や家族や自己について
とても深く悩んでたのを気付いてあげられなかった。
その日、私は2時間ドラマの特別編を観たりプリクラ切ったりしてた。
ピッチに溜まった彼女からのPメールと着信に気が付いたときには、最終着信時間を2時間以上過ぎてた。
あわてて掛け直したけれど繋がらなくて、涙が出てきて、頭ガンガンして、
彼女の家に向かって夜中の3時頃に飛び出した。
彼女の家についたとき、彼女は部屋にいなかった。
彼女の両親すら気付いてなかった。必死に地元探したけど見つからなかった。
翌朝、展望台の眺めが凄く綺麗な真新しい高層ビルから飛び降りた彼女が見つかった。
好きだったんだよ。いつかちゃんと告白しようと思ってた。振られるか絶交されるかと思ったけど。
伝えなくてごめんね。独りにしててごめんね。気付いてあげられなくてごめんね。
大好きだったんだよ。
324 名前: スレ違い 02/12/24 18:53
友人の話
友人はおじいさん夫婦と住んでいました。
今年の夏、おじいさんが癌で入院しました。
手術後、毎日おばあさんが病院に通っていたそうです。
助からない、とまで言われていたのですが、なんとか意識を取り戻し
話も出来る様になりリハビリの話も出ていました。
ところが今度はおばあさんが倒れました。
診断結果は鼻腔癌でした。
すぐに入院する事になりましたがおばあさんが
「おじいさんには知らせないで、また悪くなるから」と言うので
違う病院に入院することになりました。
おじいさんはおばあさんが来ないのを不審に感じましたが
なんとか誤魔化したそうです。
10月の終わりごろおばあさんの手術がありました。
後遺症で記憶喪失になってしまったそうです。
自分の娘の顔も分からず友人の母親に
「あら、また来たの」と言っていました。
その間もおじいさんのリハビリは続き
杖を使えば歩ける様になりました。
友人の家で話し合いをし、二人を会わせる事にしました。
おじいさんに事情を説明するとおじいさんは「すぐに行こう」
と言いました。
友人の母と二人で病室に入りました。
おばあさんは頭が包帯でぐるぐる巻きになっていて、前よりも
とてもやつれていました。
そんなおばあさんの姿を見ておじいさんはなにも言わずに
ずっと泣き続けたそうです。
そしておばあさんもそんなおじいさんをみて涙をながしました。
顔も名前も分からないはずなのに
おばあさんは今でも「あの人はいつ来るの?」とよく聞くそうです。
いつも一緒にばかやってる友達の話
はずかしいから必死に涙をこらえてた、
人間ってすごいと思わされた話だった。
信じてもらえそうにないな、稚拙な文章スマソ
358 名前: さいご 02/12/25 20:10
バイクで帰るカレに、「気を付けてね」と言うと「おう。帰ったら電話する」そう言って帰って行った。
気を付けてねって言ったのに…
362 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/25 21:20
2年半前の出来事。
大学時代からの友人でNというのがいた。
Nは家庭環境が複雑で、小学時代に継母に土下座した頭を踏んづけられたり
した経験もしていたせいか、かなりニヒルな感じで大勢の集まるようなところから
はいつも避けていた。
Nはすんなり大学を卒業し就職したが、オレは留年したり大学院に行ったりして
のんびりした学生生活を送っていたため、Nは社会人、オレは学生という立場で
よくオレはNの部屋に遊びに行ったりしていた。
Nは就職して丸2年が過ぎようという頃になって突然、会社を辞めると言い出した。
職場で自分の思った仕事が出来なかったためか、もしくは家庭環境も一つだったのか
鬱病にかかってしまったからだ。
鬱病にかかった人間を励ましてはいけない、とどこかで聞いたので、オレは極力
「のんびりいこうぜ」
などと言って励ましていたが、本人は社会復帰の希望が強く、資格でも取るか
プログラマを続けるか悩んでいたようだ。
会社を辞めてから2週間に1度くらいのペースでNの下宿に行っては会話して
いたりしたが、気がつくとNは毎日のように精神障害者の集まる集会?みたいな
ところに参加するようになっていた。理由は
「晩飯を無料で食わせてくれるから」
ということだったが、Nは軽度の鬱病であり、
「なにもそんなヘビーなところに行かなくてもいいじゃないか」
などと言ったりしていたものだった。
Nはこちらから連絡しないと連絡をよこさなくなっていたのだが、ある日Nから
電話がかかってきた。父親の紹介でアルバイトとして仕事をすることになった
らしく、うまくいけば社員に登用してもらえるかも知れないと言うことだった。
そして、これからは余り時間が取れなくなるから、この週末にメシでも食べながら
話でもしないか?という、お誘いの電話だったのだ。
当時、オレには彼女がいて、その週末は予定が埋まっていた。Nとはいつでも
会えると思っていたので、あっさりと
「今度の週末は悪いけど、時間ないねん。また今度メシ喰おうぜ」
と言って断ってしまった。
まさか、この会話がNとの最後の会話になるとは思っても見なかった。
次の金曜日。Nからメールが来た。メールの題名は
「ありがとう:最後のお願い」
だった。オレはNの携帯に電話したが、繋がらず、下宿先に行くとドアが開いていた。
部屋の中に入ると、先ほどまで人間がいたと思わせるような雰囲気が漂っていた。
部屋の温度というか、においというか、おそらく先ほどまでこの部屋にいた
のだろうと十分分かる雰囲気だった。
机の上には「遺書」と書かれた封筒があり、中をのぞくと自分の身辺整理を
オレに任せたいことや、親に対して申し訳ないと思っている、といった
内容が書かれてあった。よく見るとNの携帯も机の上に置いてあった。
オレからの着信が何度も入っていたが、誰も出ない理由がよくわかった。
このままではどうしようもないと思い、警察に電話することにした。
20分程で警察が現れ、オレの話す内容を一通り聞いた後、オレにこういった。
「実は先ほど○○というところで、飛び降りがあったんですよ。」
○○という場所はオレにとってもNにとってもなじみ深い場所だった。
Nの以前の下宿先だったのである。
オレは警察官の前にも関わらず、むせび泣いてしまった。
その後、Nの親父さんと会うことになり、オレの知っている一部始終を話した。
オレがその週末にNと会って話をしておくべきだった、と後悔していることも。
親父さんは、自分の方が比にならないくらいつらいはずなのに
「それはあなたの悩むところではありませんよ」
と優しくオレを励ましてくれた。
404 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/27 21:57
結構、前に知り合ったメル友がいて、
私は今年受験だから「もうメールできない」って言った。
受験が終わった後もメールが来ても面倒くさいし「PC調子悪い」
って言って返事なかなかしなかった。
いつも定期的に「久しぶり。元気ですか?」っていうメールが
来てたんだけどいつの間にかそんなメールも来なくなって、
「もう縁が切れた」と思ったときに、
他の板でその子の闘病日記が話題になってた。
私、その子が病気だった事、全然知らなかった。
その日記は今年の5月22日が最後だったんだけど私がそれを知ったのは先月。
ほんとに鬱。
その子の生前の発言で「そういえば私のメル友受験だったんだけど、どうだったのかなぁー」
って言う発言、見てホントに悔しくなった。
せめて「第一志望、受かりました」くらい言ってやりたかった。
定期的に「元気ですか?」ってメール入れてくれてたけど、ホントは本人が
そんな状況じゃないのに「PCが~」って言った私に
「いえいえ、お大事に~調子が良くなったら、またメールしましょう」って。
あんなクソみたいな嘘こくんじゃなかった。
451 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/29 02:35
大学入学と同時に上京し、そのまま就職した。東京で10年働いた後、会社を辞めて
田舎に戻った。それから、就職活動を田舎でしていたのだが、友人が東京に多くいた
ので、親の薦めに反して再度上京するつもりでいた。両親は地元での就職を望ん
でいた。
俺は実家に住んでいたのだが、一人暮らしが長く、母が体を心配して作ってくれた
食事になじめつに、外食ばかりしていた。
そんなある日、父から電話があり、母が入院したことを知った。すぐに、病院にいったが
子宮ガンとゆうことだった。それから、一週間後、転職活動の後、家に帰ると、
俺の部屋の前に、手作りの食事がおいてあり、手紙もあった。
内容は、”食事は大事だからちゃんと食べなさい”とゆう内容だった。
しかし、そんなことをするのは母だけだ。しかし、母は入院している。????
手紙の字は母のものだった。嫌な予感がして、病院に行った。
病室のベットはきれいだった。看護婦に聞いたら、病状が急変し、死んだとのことだった・・
母・・母・は。。。歩けるはずではない体を引きずって、歩いて15分もある実家まで
歩いてきて料理を作り、俺に最後の手料理を作ってくれた。
俺は、田舎に帰って初めて、母の手料理を食べた・・・・涙が止まらなかった
459 名前: 02/12/30 07:31
半年前まで付き合っていた年下の男の子。
夜中に電話がかかってきて、「今からそっち行っていい?」と言われた。
すごく落ち込んでいる様子だったけど、私は次の日仕事だったから、
「今日は無理。明日ならいいよ」と答えて、少し話して電話を切った。
でも暫くしてまた電話がかかってきて、「どうしても今会いたい」と言われ、
なんだか心配だったから、来ていいよって言った。
朝までずっと話をして、私が仕事に行くとき一緒に家を出た。
どうして落ち込んでいたのかは、結局話してくれなかった。
「またね」って別れたのに、彼は、その日、自宅で首を吊って亡くなった。
遺書もなにもなかった。
どうしても会いたかったのは、そうするって決めていたから?
なんで私はあの朝普通に別れてしまったんだろうって思って、今でもやりきれない。
「今度映画見に行こうよ」と私が言って、「じゃあ今度電話するね」と彼が言って、
「またね」とふたりで手を振って別れたのが、最期の会話でした。
520 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/04 01:08
一年前の今日、同じ学校の仲の良い連中と一緒に初詣に行った。その帰りに正月だから、という事で親には内緒で俺の家で宴会を開くことになった。(今考えるとバレていたんだと思う)
酒も進んで、みんなテンションが高くなってきた頃、友人でみんなのまとめ役だったSが「二十歳になっても、爺さん婆さんになっても、こうしてみんなでバカやって騒ごうな!みんな好きじゃあ~」 なんて言いながら、俺に抱きついてきた。
俺らは「お前マジ酔いすぎ!」って笑ってたけど、そこにいたみんながSと全く同じ気持ちだったと思うし、いつかそういう日が来る事を信じて疑わなかった。
冬休み最後の日、Sは部活帰りに車に跳ねられた。即死だったそうだ。
もうSと一緒に大人になっていくことも、バカ騒ぎすることも出来ないけど、俺は毎日一生懸命、人生を楽しみながら生きていこうと思った。あいつがそうして来たように、またそうして生きようとしたように。
ちなみに二十歳になったらあいつの墓に酒でも持っていこうかと密かにみんなで計画している。Sが天国で「お前ら、今日は吐くまで飲むぞー」って言いながら喜んでくれる事を祈って。
539 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/05 01:25
俺が小5の時父親が亡くなった
自営業だったので両親とも家にいる時間がおおかった
ある日、学校から帰ってきていつものように2階にかけ上がる俺
すると父が自分の部屋から出てきた、いつもなら仕事部屋に
いる時間のはず「おお、帰ってきたのか」「うんただいま、どうかしたの?」
「なんか調子が悪くてな・・」「そっか」 何気ない親子の会話だ
この時俺の頭は遊びにいくことでいっぱいだった
とくに症状など聞くこともなく、俺はダッシュで家を出た。
遊びから帰ってきても父はまだ寝ていた、朝になっても出てこず
その日は顔を合わさずに俺は学校に行った、そして学校から帰ってくると
なにやら騒がしい、すると母が家から出てきて「お婆ちゃんの家にいってなさい」
と言う(母方の祖母の家は歩いて20分くらいの所)「え~!友達と遊ぶ約束してんだけど」
「いいから!・・」今思うと泣いたあとのような顔だった気がするが、その時はきにもならず
カバンを背負ったまましぶしぶ祖母の家にむかう
夜になると母、叔父たちがそろって祖母の家に来た、そこではじめて父が亡くなったと
言われた、その後はあんま憶えていない
ただ本当に唐突だった、親が死ぬなんて思いもしなかった。
俺は今年で22になる、母親のことを「お袋」と呼ぶようになったわけだが
父はずっと「お父さん」のままだ
550 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/05 11:07
体が弱かった高校時代の親友が出産間近だという事を知り合いから聞いた私は、早速電話をしてみた。
「もっと早めに愛ちゃん(私)に知らせたかったんだけど、愛ちゃん、東京におるから無事に産まれてから報告しようかな...って思って。大分お腹も膨らんできてね、最近は安定してきてるんだよ」という元気そうな声に私は安心して、
「頑張って元気ないい子を産むんだよ!」と言った。
「うん。ありがと。子供、もう名前も決めてあるし今から出産が待ち遠しいぐらいだよ。その時が来たら、私と旦那で、その子を笑顔で迎えてあげるって決めてるんだ...」
嬉しそうな、幸せそうな彼女に私まで同じ気持になれた。
その日は「無事産まれたら、私から連絡するね!愛ちゃんもお仕事頑張ってね」という親友の言葉で会話は終わった。
それから丁度一週間後の午後2時過ぎ、親友のお母様から電話が来た。私はお母様の声のトーンに違和感を感じる事無く、
「赤ちゃん産まれたんですね!おめでとうございます!!」とはしゃいでしまった。
しかし、次にお母様から出た言葉は親友の死を告げるものだった。
私はしばらく言葉が出なかった。一週間前、あんなに生き生きと幸せそうにしていた彼女がもういないなんて。これから旦那様と、彼との子供と一緒にいっぱい幸せになるはずだっただろうに。
お母様によると彼女は自分が死ぬかもしれない、という事を全て知った上で出産を決意していたのだと言う。その時の彼女の気持を全て私は知ることは出来ないけれど、多分彼女は死の間際まで幸せだったのだと思う。
5年近く経ち、一児の母になった今でも彼女の声は忘れられない。
593 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/10 11:42
去年子供を亡くしました。
産まれてすぐだったから会話もコミュニケーション
もできなかったな。
今考えるとおなかの中にいたときに話しかけて、動いていることを
実感していたのがコミュニケーションだったかもしれない。
598 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/10 15:12
実家から離れて働いていた私が正月に帰った時、道路を挟んだ向かいの家の
おばさんと交わした会話が忘れられない。
その家には小学生の女の子が3人いて、可愛い盛りでとても騒がしかった。
私も生まれた時からのつき合いで、帰るたびにその子達と遊んでいた。
その日も大騒ぎで遊んでいたのでおばさんが、「毎日煩くてかなわんわ。
娘が3人いたら家が潰れるっていうし、一人もらって」と笑いながら冗談を
言っていた。その場は笑って帰ったが、数日後震災で家が潰れ女の子達は
下敷きになって亡くなった。
テレビのテロップで死亡者の欄にあの子達の名前を見た時に、ショックと
ともにその時の言葉を思い出した。
少々不謹慎な冗談も日常が明日も続くと信じているから言えるのだと思う。
数日後のことを考えたら、おばさんは絶対あんな冗談を言わなかっただろうに。
636 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/12 21:39
最後に交わした言葉ではないが、
僕の妹(当時小学校高学年)は阪神大震災で死んだのだが
その前の日に、家族で遊びに行った。
その帰り道妹がなぜか、
「おんぶしてくれ、おんぶしてくれ」
とうるさい。
もう高学年だし、どっちかというと普段は仲が悪かったので、ウザくなり、
「うるさい!!!」と怒鳴ってしまった。
そして次の日、俺はものすごい揺れで目が覚め気付くと俺の家は全壊だった。
そして妹は無言のまま家から掘り出されてきた。
他の家族は全員無事、妹もほとんど無傷だったのに、打ち所が悪かったようだ。
さすがに俺も泣いたよ。
それからはあっという間に時間が流れた。
妹の死に悲しむ暇も感じないくらいだった。
そして妹の葬式の日、最後に妹に触れておこうと思った。
最後の別れの時に妹のおでこに触れると、うそのように冷たかった。
「これが死って事なのか・・・」
そう人事のように考えながら俺は涙が止まらなかった。
今思うと、「おんぶおんぶ」と言うのは最後に何か俺に甘えたかったのかもしれない。
それ以降も、本来なら卒業式だった日、中学の入学式、成人式・・・。
家が新しくなり、周りの景色も震災があった事を忘れるほどになったが、そういう節目を迎えるたびに妹の最後の言葉を思い出して今でも涙が溢れてくる。
文章が下手ですまん。
でも、もうすぐあれから8年が経つのかと思うと、なんか不思議な気持ちだね。
716 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/16 01:20
大学1回生の時に友人を亡くした。
死ぬ一週間ぐらい前に、「オレ、車買おうと思ってるんだよ~。」
とか言って、よく大学に車の雑誌を持ってきてはみんなに
「これもカッコイイしアレもいいな。」とか、みんなにオススメの車とかを
よく聞いて周ってた、、、
そんなある日(最後に会ったのは悲報の2日前)の午後、オレの携帯が鳴った。
オレは(あぁ、また昼飯でも食おうっていう電話だな)と思い、電話に出ると
「○○の姉ですが、弟が自殺して、、、」
頭ん中が真っ白になった。
翌日、友達数人と車で葬式に行った。
車の中では「まさか冗談やんなぁ~」とか誰もが信じられず、冗談を言い合っていた。
到着して初めて実感がわいた。彼は列車に飛び込んだらしく、下半身がへこんでおり、
ひとめでそれはわっかた。
自殺の原因ははっきりしていない。
元々そこまで仲のよい友達ではなかったのだが、親父さんの言葉に胸を打たれた。
「○○はほんとにいい子でした。多少言うことを聞かないことがあっても本当は
優しい子でした。死ぬ数日前に、私と一緒に飲みに行こうって誘ってくれてほんとに
うれしかった、、、なのになぜこんなことに、、、」と言って泣き崩れてしまいました。
本当の親不孝とは親より先に死ぬことなんじゃないかなと思います。
どんな生き方をしてても親は子供に生きていてほしい、元気でいてくれるだけでいい、
と思うのが親なんだとわかりました。
長文に駄文、フ゜ラススレ違いでスマソ。
733 名前: sst 03/01/16 21:47
すごく書き込むの迷っています。
書いたら、少し気が楽になるかな?
去年の夏の出来事です。
土曜日の9:00頃、珍しく家内に起こされました。米が安いから買いに行くと。
起きるとすごく良い天気。ぶつぶつ文句を言いながら『こんな天気の良い日に寝てるなんてもったいなかったな』
なんて、ちょっと家内に感謝しながら朝食を取り、10:00開店のスーパーへ急ぎました。
あいにく駐車場は満杯。
『先に降りて買っておいで。車止めたら店にいくから』と家内をおろしました。
駐車場を一周したところで、ちょうど1台分のスペースを見つけ、駐車し、車を降りました。
そのときです。
『パパ、アストロだね。赤だね。パパが欲しい色は黒だもんね』という男の子の声がしました。
振り返ると3歳くらいの男の子がお父さんに連れられて買い物から帰る所でした。
~~こんな小さい子供でも、お父さんの欲しい車って解るんだ。~~と思っていたら
照れ笑いをしながら『何年車ですか?結構壊れます??』とお父さんが話しかけてきました。
『乗ってみる??』と言い、男の子をリアシートに座らせてイルミネーションをつけたりするとすごく喜んでいました。
『安く売りますよ(笑)』なんて会話を軽く交わしたところで家内から携帯が鳴りました。
『家近くなので、見かけたらパッシングでもしてくださいね。』と軽く会釈を交わして米を取りに店へ向かいました。
家内を乗せ家に戻り、14:00を過ぎた頃です。
『いやぁ~天気良いなぁ。海でも行くか!』と家内を誘い、車を走らせました。
突然家を出てきたので、飲み物も無く近くのコンビニによることにしました。
ウィンカーを上げ、駐車場に入りかけたところで、出てくる車が居たのでいったん止まり、本線に入れてあげました。
そのとき、『いやぁ~あの男の子すごいかわいい。こっちにメチャメチャ手振ってるよ!』と家内。
『ありゃ!?』先程の親子でした。お父さんはこちらに丁寧すぎるほど会釈をしながら。
ジュース片手に先程の男の子が満面の笑みで手を振っていました。
こちらも笑顔で手を振り替えしたのは言うまでもありません
『知っている人??』コンビニの店内での家内の質問に、午前中の出来事を話しました。
『へぇ~あんな小さい子供がアストロって解るんだ。お父さんとどこ行くんだろうね??楽しそうだったね』と話をしながら買い物を終え
コンビニを出ました。
車を走らせ10分ほどたったときに、本線がやや渋滞し始めました。
『天気良いからなぁ~、そうそうそれでさ。さっきの男の子後ろに乗せてあげたんだよ。』と家内と話をしていると、それがやがて事故渋滞
であることに気が付きました。
交差点で、信号無視の車に突っ込まれたであろう軽自動車。無惨な姿。救急車、パトカーはまだ届いていない。
そのときです。『あれ?あれさっきの男の子。。。。。。。』泣きそうな家内。
なんと事故を貰っているのは、先程の仲の良さそうな親子の車。
お父さんは運転席でぐったり。室内は冷却水が充満し真っ白。後部座席で男の子が泣いています。
とっさに護身用のマグライト(単一6本用)を取り出し、その車へ走りました。
マグライトで、後部座席の窓ガラスを割り、ドアを開け男の子を助け出しました。
『あ。。。。。。。あすとろのおじさん。。。。。あのね。あのね。。。。。』
突然の出来事にその男の子は泣きながら話をするも、言葉になりません。
しばらくして警察が到着。
一連の事故処理を始めました。
『この男の子との関係は?』警察に聞かれても、俺もなんて説明して良いのか解らず。
現場の救急車で父親の容態が伝えられるも、俺が連絡先なんて知っている訳がない。
ただ、午前中に何となく話をしただけ。車の会話をしただけ。
なんだろう、済みません。
涙が出てきた。
何を書いているのか解らなくなってきました。
ごめんなさい。なんてまとめたら良いんだろう。
でも、この書き込みを見たら、何かを感じて欲しい。
うまくまとめられなくてごめんなさい。
767 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/18 16:30
8年前に5歳の三男を亡くした。
ずっと病院に入っていて、回復の見込みがないと言われていた。
それでも必ず治る、と俺たち夫婦は自分を励ましながら病院に通っていた。
最期の時、息子は妻だけを見ながら「ママが大好き」と呟いて呼吸を止めた。
孝弘、ありがとうな。
あの時のお前の言葉があったからママは何とか自分を保てたんだよ。
パパやお兄ちゃん達も寂しかったし辛かった。
でもお前は一番ママが心配だったんだよな。ママが好きだったんだよな。
ママもパパ達もお前が大好きだよ。
いつか会いに行く日まで待っててくれよな。
869 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/01/26 18:06
当時19歳の大学二回生の時、俺は引きこもりだった。
なんていうか、「デブヲタ君」みたいな感じで。デブじゃあなかったんだけど。
俺には7コ年上の兄貴が居て。
兄貴は俺と違って性格も明るくて、友達も多くて、男前で。
俺はそんな兄貴の存在が嫌いだった。人のことをひきこもりの「ブタ」呼ばわりしてきて
本当に大嫌いだった。
そんな兄貴は家に帰ってきて2階にあがってくると、いつも真っ先に俺の部屋に来て
『またゲームしとんかいや~!』とか『たまには外でろや!友達居ないの?(激笑)』
などと、いつも何かしら笑いながら言ってきてた。
俺はその兄貴に対して「うるさいの~、ほっとけやー。」とか「うっさい!部屋入ってくんな!」
等と言う反応をしていた。兄貴が嫌いだったから。
「アイツ早く家から出ていってくれないかな。」ってずっと考えてた。消えて欲しかった。
ある日いつものように兄貴が帰ってきて、もう寝てた俺の部屋の扉を勢いよくバーン!って開けて
『おい!ブタ!パチンコで買ったからこの景品やるわ!!』と言って俺に向かって
ポッキーを箱のまま放り投げてきた。
寝てた俺はその兄貴の無神経さに腹が立って「死んでまえ!」と怒鳴った。
兄貴は隣の自分の部屋に戻り、テレビを見出したようだった。
そして俺はそのまま眠った。
数時間後、母親が俺の部屋に来て取り乱していた。「なんやねん?!」って怒鳴ると
「○○が風呂場で・・・。」
俺は何が起こったのか解らずに、一階の風呂場に向かった。
洗面場には体の表面と顔を火傷で赤くなってた兄貴が横たわっていた。
そのすぐ側では父親が心臓マッサージと人工呼吸をずっとしていた。
俺は何が起こったのか全く解らずにボーっと突っ立っていると、救急車が来て
裸の兄貴にシーツ(?)をかけて救急車で病院に連び父親もそれについていった。
俺と母親もすぐに病院に行った。
病院に行ったとき、兄貴は治療室のようなところで医者数人による心臓マッサージが
行われていた。兄貴の顔は紫っぽく変色してて俺はすぐに治療室の外に出て泣いた。
泣いて泣いて泣きまくった。号泣した。
父親と母親も外に出てきた。母親も泣いた。だけど父親は泣かなかった。
すぐに親戚の兄ちゃんや姉ちゃんやおばさんが病院に駆けつけてきた。
俺は心の底から「目を覚ましてくれ!」ってずっと祈ってた。
医者が出てきた。「残念ですが・・」
その言葉を聞いた瞬間俺はまた泣いた。みんな泣いた。
本当に泣いた。兄貴が死んだって事実が悲しすぎて泣いた。
家に兄貴の遺体を運び、葬儀屋が家にやってきた。
それからずっとみんなでずっと朝まで兄貴を見守った。
そして葬式が終わり、家に帰ってきて自分の部屋に戻ると
兄貴が死ぬ直前に、俺に放り投げてきたポッキーが転がっていた。
そのポッキーを見て涙があふれてきた。
もう気が狂ったように俺は泣いた。ずっと泣いた。寝る事もなくずっと泣いた。
兄貴に「死んでまえ!」などと怒鳴った自分が嫌いになった。俺が死ねば良かったと
本気で思った。
兄貴の死後、俺は引きこもりのような生活におさらばをした。
兄貴の葬式の時にはたくさんの兄貴の友人が涙を流した。
その景色を目の当たりにして「俺も兄貴のように、人に好かれるように生きたい」
と思ったから。
黒ぶちの丸眼鏡を外してコンタクトにして、真っ黒だった髪の毛も明るめの茶色にした。
テレビゲームも全て中古屋に売った。
ファッションにも気を使うようにして、貯金全額出して服と靴とかCDとかに
全額使った。
人と喋るのも苦手だったけど、頑張って人とコミュニケーションを取るようにもなった。
もう後3ヶ月とちょっとで、あれから3年経つ。
あの時のひきこもりだった時の俺はもう居ない。
今居るのは、兄貴と同じような生活をしている俺がここに居る。
友達もたくさん出来たし、愛しい彼女も出来た。
テレビゲームの話題しか出来なかったあの頃の俺はもういない。
毎月、命日の日には兄貴の好きだったアサヒのス-パードライとマイセンの
スーパーライトを持って兄貴の墓に供えにいってる。
もし、俺が兄貴が生きてた頃に今の俺で居る事が出来てたなら
兄貴と一緒に酒を飲んだり、一緒に車いじったり女の話も出来たのに。
今じゃそれももう叶わない。
「子供の日」に逝ってしまった兄貴。今の俺はどうかな?
兄貴が大切に乗ってたスープラは俺が大事に乗ってるから安心してくれ。
そして、今の俺なら兄貴を嫌ったりはしない絶対に。
俺、本当は兄貴が羨ましかったんだ。妬ましかった。
同じ兄弟なのに、俺とは全く違う生き方をしてた人だったから。
兄貴、「死んでまえ!」なんて叫んでごめん。
951 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/09 22:38
「ほら、ナオヤ(俺)、あれが特急列車だぞ」
子供の頃、電車が好きだった俺は、よく祖父と一緒に電車を見に行った。
両親が共働きだったので、幼かった俺は
昼間は家の近くの母方の祖父母の家に預けられていた。
祖父は、毎日のように俺を自転車に乗せ、
橋の上から電車を見せに連れていっててくれた。
幼稚園に入る頃になると、毎日毎日、自転車で送るようになった。
俺がダダをこねて幼稚園に行きたがらなかったときは、
なだめてなだめて幼稚園に連れていってくれた。
俺が年長組になった時、新しい自転車を買ってきて
「来年からこの自転車で小学校に送ってやる」
と、嬉しそうに俺に何度も聞かせてた。
俺もそれを楽しみにしていた。
でも、俺が卒園を控える直前、
祖父は同僚と旅行に行き、旅行先で心臓発作を起こして死んだ。
結局、祖父の自転車は一度も使われることがなく、今も物置の中にある。
でも、たった6年だったけど、祖父との思い出は今でも一番大切な宝になっている。
爺ちゃん、本当にありがとう
969 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/11 04:09
言葉を交わす事も無く
女房の腹の中で8ヶ月で逝ってしまった息子。
出てきたら色んな事話したかったのにな。
苦しかったんだろうな。
分かってあげられずに、ゴメンナ。
コミュニケーションできなかったのでsage
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もら太のくせに…泣かせやがって…
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うんこもらたのくせに・・・ちくしょう・・・
♯9702
ないた
もうだめぽ
♯9703
もうだめぽ
(´;ω;`)
♯9704
まずいまずい
目 目から汗が…
♯9705
目 目から汗が…
・・・・・・・なきそう
♯9706
これは本になるべき
♯9707
>869は、ゲームが好きだからゲームをしていたわけじゃないんだな。
ゲームしか、やることがなかったんだな。
それが可哀相だ。
♯9711
ゲームしか、やることがなかったんだな。
それが可哀相だ。
>これは本になるべき
人の死で金儲けしちゃダメだろ
♯9715
人の死で金儲けしちゃダメだろ
↑かっこよすぎて泣いた
♯9716
涙出すぎて目が痛い…
明日から学校なのに…くそ、もら太のせいだ…
ありがとうもら太
♯9734
明日から学校なのに…くそ、もら太のせいだ…
ありがとうもら太
涙 腺 が 崩 壊 し た
♯9736
うん、なんていうか・・・別にゲーム全部売らなくても良かったんじゃないか、と
♯9738
もらたが首つったら悲しむ人間がここに一人いるからな。
♯9739
とりあえず泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。
人の死って、本当に突然なんだよな・・
それでいて不思議な感覚があったりするしさ。
俺のじいちゃんが亡くなった時、
高校生だった俺は帰宅中、駅のホームで電車を待っていたのだが、
空気というか、何かがその瞬間変わった感覚がした。
もうそんなに長生きはできない位病魔に冒されていたじいちゃん。
その時期の俺は定期試験のせいで、見舞いにもろくに行くことができなかった。
多分、上記の感覚は虫の知らせだったんだろうな。
じいちゃんはいつもうちの家の縁側に座ってお茶を飲みながら庭を見ていたけど、
あの縁側は今もそのままだよ。
晴れた日に縁側に座ると、なんだかじいちゃんがそこに座っている気がする。
10年以上経った今でもだよ。
俺はそこそこいいとこの大学を出たのに人生ろくでなしだったけど、
ようやく人生に光が差してきたよ。
俺にはまだ愛する人もいないけど、
いつか大切な人ができたらじいちゃんに報告するよ。
♯9743
人の死って、本当に突然なんだよな・・
それでいて不思議な感覚があったりするしさ。
俺のじいちゃんが亡くなった時、
高校生だった俺は帰宅中、駅のホームで電車を待っていたのだが、
空気というか、何かがその瞬間変わった感覚がした。
もうそんなに長生きはできない位病魔に冒されていたじいちゃん。
その時期の俺は定期試験のせいで、見舞いにもろくに行くことができなかった。
多分、上記の感覚は虫の知らせだったんだろうな。
じいちゃんはいつもうちの家の縁側に座ってお茶を飲みながら庭を見ていたけど、
あの縁側は今もそのままだよ。
晴れた日に縁側に座ると、なんだかじいちゃんがそこに座っている気がする。
10年以上経った今でもだよ。
俺はそこそこいいとこの大学を出たのに人生ろくでなしだったけど、
ようやく人生に光が差してきたよ。
俺にはまだ愛する人もいないけど、
いつか大切な人ができたらじいちゃんに報告するよ。
ストレスで胃が痛くなった
♯9754
去年の冬、私の祖父が何の病気か知らないけど亡くなった
祖父を最後に見た日、喋れないぐらい病状が悪化していて私はただ祖父を黙ってみていた。いつもは寝ている(らしい)祖父が目を開けて私のほうを見ていたその目は少し泣いていたようにも見えた。
祖父が亡くなった日、枕を涙でぬらしながら寝たら不思議な夢を見た。
夢の内容は、私は祖父の病室の入り口にいた。病室の中には祖父が寝ていた。その周りに父と母と姉と医者と看護婦がいた。皆何もしゃべっていなかった。私の勝手な想像だけどおそらく祖父が死ぬ瞬間の夢かもしれない。
今思えば祖父は何か伝えたかったのかなと思っている。
長文失礼しました
♯9774
祖父を最後に見た日、喋れないぐらい病状が悪化していて私はただ祖父を黙ってみていた。いつもは寝ている(らしい)祖父が目を開けて私のほうを見ていたその目は少し泣いていたようにも見えた。
祖父が亡くなった日、枕を涙でぬらしながら寝たら不思議な夢を見た。
夢の内容は、私は祖父の病室の入り口にいた。病室の中には祖父が寝ていた。その周りに父と母と姉と医者と看護婦がいた。皆何もしゃべっていなかった。私の勝手な想像だけどおそらく祖父が死ぬ瞬間の夢かもしれない。
今思えば祖父は何か伝えたかったのかなと思っている。
長文失礼しました
>>451でもう涙腺崩壊
普段から、もっと優しくなろうと思います
♯9818
普段から、もっと優しくなろうと思います
パニック障害(軽度)と診断された夫が最初は頼ってきてしおらしかったが、
昨日私が疲れにより若干荒々しくなってしまったところ、
それによって私に「視ね」「視ね」とマジ顔でいうのがつらいです…。
ホントになると、後味悪いよ~。
♯9893
昨日私が疲れにより若干荒々しくなってしまったところ、
それによって私に「視ね」「視ね」とマジ顔でいうのがつらいです…。
ホントになると、後味悪いよ~。
俺、明日から親父(71歳)と旅行。
そんな前日にこのブログ、読んで良かった。
たっぷり、孝行してやろ。
思い残すことが無いぐらい、たっぷり!
もうイヤやイヤや言うぐらい、ねっちり!
♯19832
そんな前日にこのブログ、読んで良かった。
たっぷり、孝行してやろ。
思い残すことが無いぐらい、たっぷり!
もうイヤやイヤや言うぐらい、ねっちり!
泣き過ぎて疲れた・・・
よく俺も可愛がってくれてるばぁちゃんに「はよいねよ糞ばばぁ」なんてしょっちゅう言ってるから、取り返しの付かなくなる前に気をつけよう。
でもやっぱり一緒に住んでたら、嫌な所も見えてくるんだよなぁー
♯26182
よく俺も可愛がってくれてるばぁちゃんに「はよいねよ糞ばばぁ」なんてしょっちゅう言ってるから、取り返しの付かなくなる前に気をつけよう。
でもやっぱり一緒に住んでたら、嫌な所も見えてくるんだよなぁー
これ読んでたら泣けてきた