【生活】(⊃д`) せつない想い出 (´・ω・`) てんこもり。


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【生活】(⊃д`) せつない想い出 (´・ω・`)

1 名前: いち 04/02/11 16:47 ID:uGLYfK42
せつない想い出を語ってください。
思い出して泣いちゃってもOKです。


23 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/11 22:40 ID:eFi6OtvF
昔、とっっっても好きだった片思いの相手が海外赴任になった。
二人でご飯食べに行くほど仲が良かったけど、
自分には好きだと伝えられる度胸はなかった。
彼は、送別会のカラオケの席で、
「この曲をお前のために歌ってやる!!」と、
ビリー・ジョエルの「今夜はフォーエバー」(←邦題)を歌った。
邦題があまりにツボに入ってしまって、ずっと大笑いしていた。
歌詞の意味を知ったのは、相手が海外に行ってから。
「君とは友達だと思っていたけど今夜からは違う」みたいな内容だった。
英語が出来ないならまだしも、当時の自分は英語で仕事をしていた。
最近「今夜はフォーエバー」の原曲?がCMで使われていて、
すごくせつない。
あのときの自分を殴りたいです。


30 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/15 14:45 ID:mGlAqmmo
高校生の時に、大好きだった男の人の後をつけてしまった。
池袋で降りてタカセビルに入っていったので「メンズエステなんとか」に
行くのかと思ってたらエレベーターが献血ルームでとまった。
子供の頃から注射が大嫌いだったんだけど、その人と仲良くなりたくて、
私も献血した。その人と離れたベッドになりそうだったので、「こっち
じゃダメなんですか!」っていって、むりやり近くにしてもらった。
「別にいいんですけど準備ができてないので・・・」って言ってたのに、
看護婦さんを困らせてしまった。
針刺されるのも我慢して血を採られたのに、でもその人は私に気づいてくれ
なくて、看護婦さんと話してた。
彼女はいなそうでちょっと安心したけど、そのあとつきあえたわけではない
ので、私は血を取られただけだった。
あーせつなーい。


33 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/15 23:34 ID:pqEW0+gl
小学生の時クラスでクリスマスプレゼントとカードの交換会みたいなのをやることになった。
私は絵が苦手だったけど、一生懸命サンタさんのイラストを描いた。交換会終了直後、私のカード
があたった女子が「何これー」と、友達にぼやいていたのを見てしまった。そして私が当たった
プレゼントはティッシュペーパー一箱だった。


39 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/16 20:08 ID:jUC/v/UK
すごく好きだった昔の彼。偶然友達の結婚式の二次会で再会して、メル友に。
お互い新しい恋人はいたけど、なんていうか・・・。いつ復活してもおかしくない
感じだったので、お互いが少し距離を置きながらのメル友だった。
数ヵ月後、彼の彼女が妊娠したらしく、入籍することに。式も挙げず、内輪でやるって。
しかし、数週間後、彼女の狂言だったことがわかり、「今から会えないか?」ってメールが。
二次会後、初めて「会おう」って言葉だったけど、今会ったらみんなが駄目になるとおもい、
「無理だよ~。今会ったらまたあんたのこと好きになっちゃうかも。なんてね。」
って返事して会わなかった。次の日、携帯解約して新しい番号とメアドにした。
それ以来、音信普通だった彼が、今月結婚するって聞いた。
これで良かったんだなって一人で泣いた。


40 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/16 21:19 ID:G0bn5H+C
>>39
あんたいい人だな・・・
漏れが付き合ってやるよ


45 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/17 22:05 ID:uPeDlKUx
39です。
何度も書こうとしたけど、駄目だった。
彼と会わなかったのは、押さえてた気持ちがぶわぁって一気に出てきて
自分でもどうしようもなくなってしまうのがわかりきってたから。
彼の彼女が、友達の友達で、こんな気持ちを誰にも言えなくて、
(彼女の耳に入ったら、彼女だって気分悪いだろうし)
かといって、彼が幸せになるのを見届ける根性も無くって、一人で苦しかった。
会わなかったことは後悔していない。後悔してるのは付き合ってたころ、
なんでもっと彼の気持ちを考えてあげれなかったのかってほう。


49 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/17 23:34 ID:YEyw5mqf
小学生だった頃。待望だった犬を飼い始めた。
その犬に「コロ」という名前をつけたのも私だった。
すごくすごく可愛がってたのに、ある時、コロに吠えられたのを
きっかけに、私はコロに全く近づけなくなってしまった。
そのうち、祖父が無くなったり、父親が病気になったり、
家庭内がごたごたし始めて、コロにまでみんな気が回らなくなっていった。
コロはいつも寂しそうだった。
私は近づけないながらも、コロのことは大好きで
時々様子を見にいっていた。
コロの純粋な目を見る度、私は何とか構ってあげたいと思ったけれど、
やっぱりコロが怖くて、遊んであげる事が出来なかった。
そのうち、ストレスからかコロは病気になり亡くなってしまった。
私はコロに申し訳無い気持ちでいっぱいで、
その亡骸にお祈りする事さえ出来なかった。
あれからもう13年。
今でもコロの事は忘れていない。そして、今でも謝りたい。
コロ、こんな飼い主でごめんね。本当にごめんね。


56 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/18 02:00 ID:PhRTaSNQ
小6のとき、同じクラスでいつも顔色の悪い男の子Mくんがいた。
心臓に穴開いてるんだよね、って彼は言ってた。
性格がスキじゃなかったのもあるけどいつも具合悪そうな感じが
ちょっと苦手だった。
ある放課後、忘れ物かなにかして教室に戻ると、Mくんとその友達が
円陣組んでなにかやっていた。ソレを尻目に教室を出ようとしたとき、
友達の一人が「Mの好きなひとを発表します、いま教室を出た人です!」
さけんだのが聞こえた。
スキじゃなかったから気づかないフリをした。それからそのまま卒業した。
中学から別な学校だったので、それからもうずっと会うことはなかった。
それから10年後の冬、大学入試で一浪したわたしは大学3年だった。
母が偶然隣街のショッピングセンターで偶然当時のPTA仲間に会い、
Mくんは現役で大学に入りXX(大手化粧品会社)に内定してたのに、
亡くなったと聞いたそうだ。
遠いアノ日、わたしは彼をスキになることはなかったけど、
彼の短い生涯に、わたしをスキだったという歴史が刻まれていたと
思うと切なかった。


59 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/18 02:20 ID:Z71R0t0E
小学校のとなりの席の男の子、2年生になれなかった。
白血病だった。
私はずっと学校を休んでるその子の家に、
毎日給食のパンと牛乳を届けていたんだけど、
その子が亡くなったことと、給食を届けなくていいってこと
が結びつかなくて、御葬式のあともパンと牛乳を届けてた。
給食を届けるのは、なんかとても大事だと思っていた。
その子が、学校にとても行きたがってたし、給食べたがってたから。
ある日、その子のお母さんが、
もう、届けてくれなくていいのよ。ありがとうね。
と泣きながら言った。
今思うと、その子のお母さんは、
毎日とどくパンと牛乳を見て、どんな気持ちだったろう。
馬鹿な子供でごめんなさい。


73 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/19 01:29 ID:dwrq5w8r
7歳の時、ゾイドが流行っていた。
その年の誕生日、いつもは両親がプレゼントを買ってくれるんだが、その年に限って
祖母と買いに行くことになった。
もちろん、目当てはゾイド。しかもCMでやってるような(子供心に)カッコいいやつ。
おもちゃ屋に着き、祖母とゾイドを物色していると、CMで見た1万円くらいするすごいのがあった。
折れはそれが欲しかったが、6歳のガキにそれは高すぎる。
祖母もそう思ったのか、違うのを勧めてきた。
で、周りを見ると、その1万円くらいするやつのパッケージと同じパッケージの物が、2000円くらいで売っていた。
6歳の折れは、それがてっきり1万円くらいするやつの小型版だと思い、それを購入した。
そして意気揚揚と家に帰り、プレゼントを空けてみた。
中から出てきたのは、1万円するやつ専用のパワーアップキットみたいなやつだった。
大砲が大きくできるようになってたり、足や腕のパーツを付け替えたりするやつだった。
もちろん、それだけでは何の意味もない。
それに気付いた折れは号泣し、祖母に当った。
しかし、すでに65くらいだった祖母にそんな違いはわかるはずもなく、申し訳なさそうに折れをあやすだけっだった。
そこへ、3つ年上の兄が帰ってきた。
そして、折れが間違えて買ったプレゼントを見るなり、「こんなもん買ってバカじゃねーの?」と言い放った。
折れはさらに号泣。
それ以降、そのプレゼントは押入れの奥の方へ追いやられ、2度と日の目を見ることはなかった。
辛い誕生日だった。
今思い出してもせつない。ばーちゃん、ごめんよ。


87 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/20 09:36 ID:ISmqu2/z
小学6年生の夏休みに入ってすぐ、
親の離婚が成立し俺と弟は母親に連れられて逃げるように大阪へ引っ越した。
学校のみんなにあいさつできずに離れることがとてもつらかったが、
しょうがないって感じだった。
10月ごろ、元いた東京の小学校から大きな封筒が届いた。
卒業アルバムの表紙に使うための絵を描くための画用紙だった。
(みんな自分で思い出の絵を描いてそれを表紙にして製本してもらう習慣だったので。)
俺はまだみんなが覚えていてくれたことがすごくうれしかった。
即座に画用紙に学校にあった池とあひる、大きなフェニックスの木、
りゅうぜつらん(巨大アロエみたいなやつ)を描いて、
その横に小さくあひるにえさをあげる俺の姿を描いて送った。
翌年の春、出来たアルバムが送られてきた。開いてびっくりした。
画用紙のはじっこの折り返されてしまう3センチ分くらいは色を塗らずに送ったのに、
クラスのみんなが塗ってくれていた。
そして俺の周りには友達がたくさん描かれていた。
アルバムの中のひとりひとりに当てた寄せ書きにも俺は登場していて、
「大阪でも元気でサッカーやどうぶつの世話、ガンバッテね!あひるも元気だよ!」と書かれていた。
当時、親の離婚で醒めたような態度になって、ついでに標準語の俺は
大阪でボコボコにいじめられており、東京に帰りたくなってバカほど泣いてしまった。
長文スマン


148 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/25 13:36 ID:ex45zT0l
幼稚園の頃「お母さんにドラえもんの縫いぐるみを作ってもらってきてね」と言われて
作ってもらったものがある。
かなりアレな出来で、幼稚園児だった俺は「こんなのいやだ」と喚きまくった。
しかし結局期日がきてしまったので、嫌々それを持っていった。
幼稚園の本棚の後ろに押し込んで、「なくした」と嘘をついた。
それでもなぜか手元に戻ってきてしまい、
俺は鼻をむしったり、腕を無理やり伸ばしたりして壊そうとした。
今写真で見ると、確かにヘンだけどなかなか愛嬌のあるドラえもんだったのにな…。
オカンは健在だけど、思い出すと「ああ~」って切なく申し訳ない気持ちになる。


165 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/02/26 04:44 ID:q00K5jV1
かなりモテた時期があって、ほぼ同時に3人の中学生から告白されて、
一番強引だった女の子と付き合ってしまった。
その中には以前から知り合いでほぼ相思相愛だった子がいたのに。
強引だった子は恋愛ごっこにすぐ飽きて違う男子に心変わりした。
一時の感情に流されてしまった俺はほぼ相思相愛だった子を傷つけ、失った。
そんなにモテた俺が、今ではデブでハゲてきて面影がなくなったのも切ない。


380 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/03/03 23:55 ID:BRTHd8Y/
うちの父親は癌で亡くなったけど、最後は頭が壊れてしまったなぁ。現在と過去がごっちゃに
なってた。
私はちっちゃい頃から父さんが大好きで、結婚して子供を産んでからも、しょっちゅう孫を見せに
行ってた。5歳になった孫と私の区別が付かず、頭を撫でながら私の名前を呼んでいた。
いよいよダメだというとき、私が人目も憚らずに泣いていると、父さんが意識を取り戻し、泣いている
私を見て、ちっちゃい頃と同じように優しく微笑んでくれた。それから母さんを呼んで、イチゴを
食べさせてやれと言っていた。大好きなイチゴで泣きやんでいたのは5歳の頃の私だよ、父さん。


394 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/03/04 06:08 ID:NZsP7R7X
こないだ高校を卒業した。
卒業式の後、仲の良い友達と卒業アルバムにメッセージを書き合った。
まったく卒業の実感も湧かないまま、友達とバカ騒ぎした後
夜7時に誰もいない家に帰った(両親共働き、祖父入院、祖母付き添い、妹夕寝中)。
何もすることがなく、卒業アルバムを見返す。
友達のメッセージを読んだ。
「○○(私)は今まで出会った中で一番素直でまっすぐな子でした。そんな○○を見本にしてたよ。」
「○○が学校休んだときは寂しさ5割増しだったよマジで。」
「もっと早く○○ちゃんと仲よくなりたかった」
「○○に出会えてしあわせ」
女子校+進学校だった事もあって、みんな大人で、そんな中で私はすごくわがままで泣き虫でガキだった。
でも、友達といるのが何より楽しくて、たくさんのことを学んだ。
そんな私にとってそのメッセージは、うれしすぎる、もったいないメッセージばかりだった。
もうめちゃくちゃに泣きじゃくって、夕寝中の妹が起きてくるくらい泣いた。
そして、もう今までみたいにバカみたいに笑って騒ぐこともできないんだと、
初めて卒業したという実感が湧いてまた泣いた。
今も泣いている。


668 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/03/08 16:17 ID:AxUWITGd
僕が中2の時、夏休みで家でごろごろしてたら
母親から電話があって、すごい泣き声で何て言ってるかよくわからなかった
お父さんがとか、労災病院とか、死にそうとか
こっちも錯乱状態で、なんとかタクシー呼んで病院まで行ったら
父は脳内出血でもう意識もなくて、自力で息もできない状態で
母は必死で父の手を握って名前呼んだり、僕が来たこと告げてたけど
自分はなんにも出来ないで、ただ呆然と突っ立てるだけだった
父は結局そのまま意識も戻ることなく死んだのだけど
それを今でもすごい後悔してる
自分が声をかけたり手を握ったりしてれば、もしかしたら意識が戻ったんじゃないかって
それと死因が過労死だったのに
棺にはった時の格好が背広で、文句も言えなかったのがすごい悔しい
なんで背広なんだよ、と思った
休ませてあげろよ、と思った
なんでそれを言わないんだよ、と思った
母が死ぬ時は絶対に看取ろうと思った
そばで手握って、笑えていたらいいなと思ってる
長い上に落ちもなにもなくてすまん


851 名前: おさかなくわえた名無しさん 04/03/11 01:59 ID:rOP3x8p5
幼稚園の頃、一度だけ父が夕飯を作ってくれたことがあった。
いつもなら、母が不在の時は、近所の親類宅に厄介になっていたのに、
何故か、その日だけは父が食事を作ってくれた。
優しい子煩悩な父だったが、如何せん“男子厨房に入らず”な教育を
受けて育った人だったので、それまで料理なぞ作った事もなかったと思う。
それが、子供のために悪戦苦闘して台所に立つ姿は、幼心にも胸に迫る
ものがあった。
案の定、料理は失敗し、父はすまなそうに謝りながら食卓に並べた。
硬い御飯、真っ黒に焦げた大きなオムレツ、塩っ辛いホウレンソウ炒め。
三十年以上経った今でも、鮮明に思い出す。
でも、私には、それらはとても美味しく感じられたのだ。
苦くてジャリジャリしたけど、お水をガブガブ飲むほど辛かったけど、
美味しくて美味しくて、一生懸命沢山食べたと思う。
帰宅した母に、父は『○子は良く食べる』と嬉しそうに報告したそうだ。
結局、父の手料理を食べたのは、その時一度っきり。
今、父は、体も心も少しずつ動かなくなる病と闘っている。
お父さん、あの時の料理、美味しかったよ。
お父さんが忘れても、私がずっと覚えているからね。




  
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♯22402
クリスマス最後の年(9歳ぐらい)
俺は今年のプレゼントはサンタさんに決めてもらおうと思い、
その日まで待った。
そのプレゼントはヘリコプターのラジコンだった。
だけどそのラジコンは結構大人向きで
俺には全然操れなかった。
それでお母さんに
「サンタさんのプレゼント面白くなーい」
と言って一週間ぐらいで飽きてしまった。
一ヶ月ぐらいにサンタさんはお母さんだということが判り、
その日は泣いてお母さんに謝った。
今でも申し訳なくなってしまうw
ゴメンねママン。
♯22407
>>39はただの糞ビッチじゃねえか
♯22408
はいはいそうですね
♯22412
※2
いや、最後まで抑えきったじゃないか。
感情の発生を理性で抑えられず、更にそれを行動に移してしまうと言う2段階の
人間失格があってようやく糞ビッチだと思う。

しかし、やっぱり死に系は来るね。
それに比べると>>30とか、ストーキングしたのに報われないってだけで微妙。
俺は看護婦さんの方に感情移入してうぜーと思ってしまったよ。
>>30本人が切ないって思ってるだけで、詰まるとところ高校の時と変わってないってこった。
♯22413
せつない想い出、ではないけれど

中学の卒業式、みんながアルバムに寄せ書きし合ってる中、
「なにをそんなに感動しているんだろう
 引っ越すわけでもないからいつでも会えるのに」と
思ってしまい、なぜかアルバムにコメントを書くのが幼稚臭く思えて
誰に対してもコメントを書かなかったし書かせなかった。
別に友達がいなかったわけじゃなくて、中には断ったら本気で拗ねてた子もいた。
今、真っ白なアルバムを見てすごい後悔してる。
いつでも会えるわけないじゃん!何考えてたんだよ あの頃の自分。
虚しい!もう中学のころの友達全員と会える機会なんてきっとないのに!
馬鹿すぎる自分\(^o^)/
♯22592
小学校3年のとき何気なくビデオをかりて
ケーキ食べながら一家団欒しながらみてたら
レズの〇〇〇なシーンが序盤に出てきた。
♯22600
>>33が他人事じゃないなぁ

俺は割り箸鉄砲だったけどな…
悩んで悩んで結構いい筆記具を詰めたのにさ(´・ω・`)
当時の教師も馬鹿というか俺嫌われてたから
「それだって愛情が篭ってて~」とかなんとか言って直訴しても無効

今だったら訴訟になるレベルだろうか
♯22643
せつないっていうか、悲しいのは相手のほうだろう
って話がわりと多かったな
他人を傷つけといて自己憐憫にひたってるだけというか
♯26341
半年前、父が癌で帰らぬ人となった

入院しているのがイヤでイヤでたまらず、退院をせかしていた父

死ぬ間際に、父は家族一人一人に声をかけてくれた

母には「ありがとう」
弟には「後を宜しく」
長女のアタシには「逃げるぞ」

父は娘に弱気な部分を見せたくなかったのか、一番喧嘩して「俺にそっくりだ」といつも言ってたアタシにだけ本心を話したのか、今になってはわからない

わからないが、多分、父の最期の言葉を思い出す度にせつなさの中に温かさも残る

お父さん、ありがとう

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