【失恋】相手に死なれて終わった恋愛 3
17 :名無しさん:03/12/04 01:51
僕が15歳のときに叔父が結婚しいきなり従姉になった
性にも目覚めきっていない僕に対してもう大人だった
僕が17のとき前から付き合っていた人と結婚した
僕が24のとき二人の子供を残して癌で急逝・・・まだ30歳
何となく気づいていたかもしれないけれど
僕はあなたのことが好きでした
ガキの憧れに過ぎないものだったけれど
僕は今あのときのあなたと同じ歳になりました
まだあなたが生きていたらどんな話ができたでしょうね
あなたが逝ってしまう直前、病院のあなたを見舞った僕に
あなたはどうして「ごめんなさい」と謝ったのですか?
お見舞いにわざわざ来てもらったことが心苦しかったから?
それとも何か別の・・・。今もその答えがわからないでいます
19 :名無しさん:03/12/09 00:32
一緒に眠るときは、必ず自分より後に寝て、先に起きてた彼女。
『だって、寝顔を見られたくないもん』だって。
今思えば、きっと気遣っててくれたんだろうな。今さらだけど、ありがとうね。
その言葉に甘えて、いつも惰眠を貪ってた自分。
5月のある日、棺の中の彼女、ずっと眠ってる、赤い着物を着て、死化粧をして、ホントにキレイ。
…あれから半年とちょっと、やっと思い出しても泣かないでいられるようになりました。
おやすみなさい。
21 :名無しさん:03/12/10 03:30
けっして器用じゃなかった彼女が、頑張って編んでくれたマフラーとカーディガン。
ずっと遺品と一緒にしまっておいたけど、着けたほうが彼女は喜ぶんだろうか。
優しくて、可愛らしくて、一生懸命に生きてて、ホントに自慢の彼女。
見せびらかしたいような…自分の胸だけにしまっておきたいような…複雑な気分。
28 :名無しさん:03/12/14 04:58
風がかなり冷たくなった。二人で歩くとき、冷え症の私の手を彼が繋いでポケットに入れてくれてた。
身長差があって、いつも変な歩きかただった(笑)
だけどすっごく温かかった‥。
なのに最期に彼の手に触れた時、冷たくて、かたくて、作りものみたいだった。‥でも離せなかった。
それでも愛しかった。
29 :名無しさん:03/12/14 20:20
やっと立ち直って、新しい恋に進もうと思ったら、
夢にあなたが出てきてまた私を困らせる…。
30 :名無しさん:03/12/15 21:36
どうやったら立ち直れるの?
どれくらいかかるの?
立ち直れるの…?
41 :美雨:03/12/20 04:58
彼が言ってくれた言葉を思い出してます。
プロポーズの時、死んでも手放さへんて言ったけど、あれ訂正。
だって、お前美人ちゃうけど、ええ女やし強いからな・・・
もし俺がおらんようになってもお前は生きてける女やし。
一人になっても、お前は駄目男ばっかり惹きつける何かあるから
寄ってくるん全部駄目なんやろうし、お前も駄目ちゃんには甘いし
イヤな思いもするやろうけど・・・
この先、お前に支えられな生きてけん俺みたいな駄目男が現れるし
そん時、そいつを必死で支えてやれる為に・・・
俺みたいに駄目ちゃんやけどお前に対する気持ちだけは
真っ直ぐな男、そいつの為にお前は生きてろや。
・・・いつ現れるんだよぅ・・・
58 :名無しさん:03/12/25 06:25
25の時に大切な人を亡くした。
彼女はひとつ下で弁護士を目指して頑張っていた。
俺は就職したばかりで、仕事をこなすのに精一杯だった。
お互い一人前になったら結婚しようと約束していた。
3年前の夏、「体調がすぐれない」と聞いた。
2ヶ月後、彼女はいなくなった。
それからの俺は、まったく前に進めなかった。
仕事は懸命にやったが、他にやることがないからだ。
彼女が死んだ9月末、今年も墓参りに行った。
3年間、季節ごとに行くことにしていた。
いつもの通りご両親にあいさつした時、言われた。
「○○君、もう来なくていい」
「娘のために将来をムダにはしないで欲しい」
いい加減ふっきらなければとは思っていた。
ただ、それが正しいことなのか判断できなかった。
俺は今週末、最後の墓参りに行く。
手元にある手紙も写真も、全部ご両親に返すことにする。
当時と同じカッコいい俺になるため、15kg減量した。
前に進もうとしていることを、ご両親に伝えるためだ。
彼女に最後に何と言おうか、まだ考えている。
行きの電車までに思いつけばいいのだが。
帰りの電車で、ケータイに残った彼女のメモリーを消す。
これだけはもう決めている。
68 :名無しさん:03/12/29 22:58
彼女は交通事故(相手、信号無視)で急死でした。
彼女が亡くなる一週間前。
「私がもし死んだらどうする?」と聞いてきた。
今思えば、無意識的に予期していたのだろうかと思う。
俺は「そんな死んだ時のことなんて考えたくない、まだお前と楽しい
思い出をたくさん作りたい。」と答えた。彼女は、「でもー、
人なんていつ死ぬか分からないんだし、聞いておきたいなと思って。
もし私が明日死んでも、あなたには別の人を見つけて家庭を持って
幸せになって欲しいな。だけど、心の片隅にでも、私を居させてね」と言っていた。
それから、一週間後彼女のご両親から電話がかかってきた。
急死だと・・・。目の前が真っ暗になった。
何度も夢だと良いのにと願ったりした。だけど彼女がこの世にいないのは
紛れもない事実だ。俺は今までこんなに罰を受けることをしてきただろうか。
もう生きる気力がないよ、真理菜・・・助けてくれよ・・・
122 :名無しさん:04/01/10 21:37
もう9年も経つのに未だにあなたのことが忘れられない。
電話で喧嘩して『ゴメンね』の一言が言えないままってすごく辛い。
今でも毎日あなたを考えてしまう。
辛い時、つい幸せだった何気ない日々の出来事を思い返してる自分が今でもいる。
新しい彼氏が出来てもあなたの面影を追ってしまう。
淋しくて温もりを誰かに求めても、余計にあなたが恋しくなる。
そろそろあなたが好きだった梅の花が咲く。
梅の花を見る度、あなたが思い出される。
133 :名無しさん:04/01/13 13:39
自分は六年前同じバンドやってた彼女を亡くしまた。
付き合ってたわけじゃないけど告白して
「好きだけど付き合えない」と言われバンドを抜けてしまったんです。
それから約一年たって元バンドメンバーから電話がきて病気で死んだと聞きました。白血病でした。
葬式も終わっていたんですが彼女の家に飛んで行きました。
そこで親御さんに見せていただいたのが彼女の日記でした。
俺をずっと好きでいてくれたこと、ホントは一緒に居たかったこと、なぜ自分だけ死ななければいけないのか?など書いてありました。
色々書いてありました。ただ泣き崩れる以外俺には出来なかった。
それからずっと無気力に過ごしていたんですが三年前俺を支えてくれる人に出会いました。
これまでの話を全部聞いてくれて付き合ってきました。しかし先月好きか嫌いかもうわからないと告げられました。
俺の気持ちが重すぎたんでしょう。また大事な人を無くしてしまいました。
もう何にすがればいいかわかりません。もう向こうに行ってもいいのかな?あいつは待っててくれてるのかな?
もう人を愛せないなら誰でもいいから向こうに行くのを許してもらえませんか?
152 :名無しさん:04/01/20 18:23
俺はバイク乗り。
よくツーリングに行くタイプで、
1人で目的地まで行って帰ってくる、ソロツアラー。
別に友達がいないわけじゃ無いけど、
複数の人で走るとスピードとか気にしたり、休憩するにも場所を気にしたりと気を使う。
だから俺は気楽なソロツーリングが好きなわけよ。
3年前。いつものように自分のバイクでツーリングに行った。
いつものように、初めて走る道、初めての土地でのワクワク感を楽しんで、
目的地までたどり着いた。
そこには何がある、ってわけじゃないけど景色を見に行ったのよ。
そしたら、そこに自分と同じバイク、「CB400」乗りを発見。しかも女の人。
バイク乗りなら分かると思うけど、バイク乗り達は知らない人でも結構気軽に話せるのよ。
全く知らない人に、「いい天気ですね。どこから来たんですか?」みたいな感じに軽く話せる。
女の人ってこともあってちょっと緊張したけど、話してみた。
そしたらその女性は俺んちと近い場所にあることが判明。
200kmも離れた場所で近くに住んでる人を発見って凄くね?
お互い近くに住んでいるという事で話は盛り上がり、一緒に帰ることになった。
最初から最後まで、俺が前で彼女が後ろを走ってた。
さっき始めて会った人と走ってて、妙なワクワク感があってさ、
始めて1人以外で走ってて楽しいと思ったよ。
そんな事があってから、俺はあいつとよく一緒にツーリングに行った。
今まで彼女なんて出来たことの無い俺が、女の人と二人でツーリングに行くなんてさ、
本当に楽しかった。付き合ってたわけじゃないけど本当に楽しかった。
そんな事が半年ほど続いて、俺はあいつが好きなんだとはっきり自覚した。
好きで好きで仕方が無いことに気付き、頭の中にはいつもあいつがいてさ、
他の事に集中できなかったよ。
それぐらいに好きだった。ツーリングに行って、目的地でうまいものを食べたり、
そんなことをしてるうちに俺はあいつ無しでは駄目になってしまうくらい好きになった。
本当に好きだった。
今まで人を好きになったことはあったけど、告白なんてしたこと無かった。
俺にはそんな勇気は無い。
けど、今回はどうしてもあいつを「彼女」にしたくて、告白しようかどうか迷った。
本当に迷った。この熱い気持ちをあいつにぶつけたい。
俺の心の中をあいつに知らせたい。
この想いをあいつに伝えないと爆発してしまいそうなくらいに俺の感情は高まっていた。
ある日、俺は告白することを決心。
あいつの家に行って、部屋で他愛も無い話をしてて、話が途切れたとき。
俺は「言いたいことがある。聞いてくれ。」と言った。
あいつは「ん?何?」といつものように返事をして、
これから告白されるなんて全く思ってないって顔してたな。
「お前が好きだ。俺の彼女になってくれ。」
今思えば、もうちょっと告白の方法を考えればよかったかな。
でも、もう言ってしまった。
言った後、何故か楽になったような気がする。
気が楽になったというか、もう片思いじゃなくて済む、って思ったのかな。
返事はOKだった。
「うん・・・私も、○○のことが好き。」
本当に天に昇るってくらい嬉しかった。
他人から見たら馬鹿に思われるだろうけど、そのときの俺は
飛び跳ねたいくらいうれしくて、何でもできそうな感じさえした。
気持ちが昂ぶって昂ぶって仕方が無かった。
初めての告白だったから、OKを貰った後ずーっと心臓がドキドキしてたのを覚えてる。
おいおい、20にもなってなんでこんなに緊張してんだ、俺。
付き合ってからも以前と同じように彼女とツーリングに行った。
あ、でも付き合ってツーリングの内容が変わってきたかな。
お互い親密になってきたから泊りがけツーリングとか、キャンプにも行くようになった。
田舎の川のほとりでキャンプしたんだけどさそこから見る星空は本当に
ドラマに出るようなくらい綺麗なのよ。あんなのは初めて見たよ。
彼女と一緒に見れて凄く嬉しかった。
そんなことが何回かあって、最高に幸せだったな。
ある時、彼女がうちに来ると言った。
いつもの事で、またバイクの雑談とか、今度ツーリングどこ行こう、とか
話すんだろうなーと思って部屋で待ってた。
それでさ、来るのが遅いなと思ってたら外から救急車の音がして、
まさかと思って彼女の家からうちまでの道をたどっていった。
そしたら、なんと彼女が事故っていた。
以前自分が事故った時は2週間の入院で治ったため、彼女もすぐ治るだろうと思った。
事故ったすぐ後に彼女の病院へ行った。彼女の両親も一緒に。
俺はこれから毎日お見舞いにいく生活だな、なんて思ってた。
彼女は即死だった。
そりゃそれを聞いたときは信じられなかったよ。
俺は2週間入院で全治したし、彼女の事故った後のバイクを見たけどそんなにぐちゃぐちゃって
わけでもなかったから。
多分、信じたくないから現実逃避してたんだと思うな。
母親が号泣してて、それでもまだ信じられなかったのをよく覚えてる。
次の日。
初めて親族以外の葬式に出た。
そのとき、彼女の遺体を見て、やっと現実なんだと思ったよ。
思ったものの、まだ信じたくない、これは嘘だ、これは嘘だと何度も頭の中で念じて、
何度も念じれば彼女の死は嘘になると思ったよ。
あんなに綺麗な顔してさ。本当に眠ってるように見えたよ。
ふっ、と起き上がりそうな程だったよ。とても事故ったとは思えなかった。
死んだと言うことが嘘になってくれと思った。
でもさ、やっぱりそんなことはありえないわけで、だんだんと涙が出てきて。
ついに声を上げて泣いた。
その日の夜、本当に大泣きした。
どれだけ泣いたかわからない。
だって、もう彼女に会えないんだよ?
もうあいつとツーリングに行けないんだよ?
笑いあうことも、二人で感動することも、ケンカすることも、何もかもできないんだよ?
深夜まで泣いた。
ツーリング先の写真とか見るとまたこみ上げてきて。
こっち見て笑ってるんだぜ。それがもう二度と会えないなんて。
どれだけ涙を流したのかわからない。
そんな泣いてた俺も、いつの間にか眠っちゃって。
朝、不思議な感じがした。
なんていうか、いつもどおりの朝で、「あれ?彼女が死んだのは夢だっけ?」なんて思っちゃって。
本当にそんな感じがした。
何故かずっと「夢だった」って感じがして、悲しみはこみ上げてこなかった。
夢だったような気がするけど、それにしてはおかしい。俺は昨日の夜大泣きしたような気がするのだが・・・?
俺は自分の母親に聞いてみた。
「お母さん・・・あいつ・・・あれ?死んだんだっけ?」
母親のきょとんとした顔をよく覚えてる。
「何言ってるの・・・あんた昨日葬式行ったじゃないの。」
やっぱり夢じゃなかった。
2年経った今でも彼女はどこかで生きてるような気がする。
この前、彼女と初めて会った場所まで行ったけど、いなかった。
今俺は1人ツーリング生活をしている。
走っている時に彼女のことを思い出して泣いたり、
また一緒に走れるかな、と思ったり。
また一緒に走れるかな。
178 :辛? 幸? :04/01/22 02:29
ずっとさー、幸せな家庭築いていこうと思ってたんだ。
結婚の約束だってしてたんだ。
式の日取りも決まってたし、式の招待状だって皆に出した。
向こうの両親からも良くされていて・・・。
全てが順調に進んでいたんだ。
結婚式を翌々日に控えた日、彼女は明日の同窓会に出席したいと言ってきた。
式の準備とかでそれど頃ではなかったのだが、結婚したらそうそう出席できるものではないし、
みんなに知らせたいと言う彼女のたっての希望もあったから、
式の準備はとりあえず俺が引き受けて「行ってきていいよ」って言ったんだ。
ただし、あまり遅くまではいるなよ? って条件付きでな。
翌日、彼女を笑顔で見送った俺は彼女の両親に挨拶を済ますと式の準備に取り掛かっていた。
ま、式の前日なんて実際やることは少なかったから案外早く切り上がって、
しばし時間をもてあましていたんだ。
たまってる仕事片付けようかと、休暇とったのに仕事に行くと同僚たちは皆祝福してくれ、
仕事どころじゃなくなっちまってな(笑
結局、夜もいいところまで社内にいちまったわけだ。
彼女のほうはと言うと、あんまり邪魔しちゃ悪いからメールとかも控えていたんだが
楽しくやってるみたいでさ。
まぁ、ハメ外せるのも今日でしばらくはお休みなんだから、俺もうるさく言わずに帰りを待ってたんだ。
日付が変わって、しばらくすると一通メールが来てな
【終電無くなっちゃったから送ってもらうわ】
ってさ。
今考えてみれば、どーして俺はここで「迎えに行くよ」っていえなかったんだろうな?」
送ってもらうってんなら、車とかだろって・・・
そこまでわかっていたのになんで酒飲んでることに気づかなかったんだろ?
30分後、知らない電話番号から俺のケータイに電話がかかってきた。
向こうの雑音がうるさすぎて良く聞き取れない。
かろうじて場所が聞き取れて、来て欲しいとのことだったので、車飛ばして行ったんだ。
すさまじかったわ。
バイクがガードレールに「刺さってる」って言うのかな?
車体の長さが半分くらいになってんの。
で、なんで俺はここに呼ばれたんだ?
後ろから押されるようにして群の一番前まで押し出された俺は救急隊の人にこう言われた
「○●さんの旦那様ですか?」と。
いや、正確にゃまだだけど・・・とりあえず「はい」っと答えといた。
「お乗り下さい」と言われ俺は救急車に乗せられた。
俺はワケがわからず、「俺、どこも悪くないっすよ?」なんてアホなこと言っちまったわ(笑
救急車の行き着いた先は総合病院。
隊の人に連れられて中に入ってひとつの個室の前に案内された。
・・・
ベットに横たわっている姿は紛れもなく俺の彼女。
今日、俺の妻になるべき女性だった。
ウソだろ?
みんなして俺のことからかってんだろ?
彼女のお母さんなんて、めっちゃ涙流しちゃって・・・
おいおい、演技派だな。
どこにも傷なんてないんだぜ?
顔なんて、綺麗なもんだ。
これで死んでるなんて言われたって、納得できねーよ。
どーやったら納得できんだよ!?
ロードかよ!? 虎舞竜かよ!?
今日結婚式だぞ?
当日になって、まだ俺のことからかうのかよ?
面白くねーよ! やめろよ、こんなの!
なんだかよくわかんねーけど、俺、そんとき涙も出なかったよ。
翌日、全てがわかった俺は大変だったよ。
式場の予約取り消して、集まってくれた皆に謝って。
クタクタになって家に帰って一人になったら、急に涙が出てきてな・・・。
とまらねーんだよ。
いつまでたっても、ずっと俺泣いてんの。
もう、馬鹿みたいにずっと・・・。
俺さ、これで彼女に死なれたの3回目なんだ。
自殺・事故。
で、さらにこれ。
もう、俺に女の人と付き合う資格ないよな。
死神みたいなもんだもんな、俺。
218 :名無しさん:04/01/26 06:59
そろそろ二年になるな
お前が死んでからというもの、俺は全然モテなくなってしまった
あの世からなんか呪いでも掛けてるのか?そんな事しなくてもお前の事は忘れないのに
あと死ぬ直前に俺のこと嫌いって言ったけど
そんなこと言ったって嫌いになれるわけないだろと
お前嘘が下手なんだよ
219 :名無しさん:04/01/26 17:05
昨日、久しぶりに父親の月命日の墓参りに行ったら
同じ敷地内の墓地に女の人が一人、ある墓の前にぽつんと座っていた。
よく見るときれいな20代後半くらいの人で、泣いていた。
一瞬で「ああ、この人は大事な人を失ったんだ。」と分かった。
気になって様子を見ていると、青白い顔をして静かに泣いているようだった。
声をかけられる雰囲気ではなく、俺は一通り掃除をし、線香をあげた後
帰った。
それは午前10時頃の話だが、4時にうちの妹が同じく墓参りに行ったところ
まだその女の人は墓の前にいたそうだ。
この寒い中、一体いつまでいたんだろう。
儚げでまるでドラマを見ているような気分だったが、実話だ。
あんなにきれいな人だったらすぐにいい人が現われそうなものだと思うが
そんな風にはいかないんだろうな。
221 :前スレ741:04/01/27 01:12
久しぶりでつ。
2004年1月17日午前5時46分は亡くなった彼女の墓前で迎えた。
4月に結婚する予定の、今の彼女を連れて。
あの日の神戸の町は、今でも忘れない。
倒れた阪神高速、波打つ線路、跡形もなく崩れた家々・・・
そして、穏やかな死に顔のあいつ。
とても辛い思い出だけど、決して忘れる事はない。
251 :名無しさん:04/01/31 08:40
ちょっと私には優しいことは知っていた。
でも、自分に自信がなかった。
卒業したら父が転勤になることがわかっていた。
付き合うって、どんなことかわからなかった。
言わないまま卒業して、その後初めて聞いた消息が、死亡記事だった。
お葬式に行っても、中に入れなかった。
一方的な思いでも、そうやって終わってしまうのは辛い。
よくあることかも知れないけど。
高校1年でした。
20年たっても、旦那がいても、思い出すと辛い。
自分が子供だったことも含めて。
257 :名無しさん:04/02/01 01:18
22歳という若さで亡くなったケンジくん。
今でもケンジ君がいた日々を忘れられません。
ささいなことで喧嘩して意地を張り連絡しなかった矢先に亡くなってしまうなんて...
共通の友達から「あいつ死んだ、お葬式どうする 土曜日なんだけど」なんて連絡が来たときは
絶対からかってると思ったよ。直接連絡出来ないからって友達使って悪趣味な事して!なんて感じた。
まさか本当に、なんて すごく元気だったじゃない...
毎日つらくて隙間を埋めるように仕事もしてアルバイトもして必死に暇をつぶしてた。
暇さえあれば泣いてしまっていたから...
そんな私ももうすぐ30歳のおばちゃんです。あれから8年...結婚もしましたが上手くゆかず離婚してしまいました。
今も夢の中のような現実感のない空虚な毎日です。
悲しいまま逝かせてしまってごめん。
天国で寂しいなら私を連れてっていいよ。
296 :名無しさん:04/02/04 03:31
高校生のとき初めてつき合った人は、事故で亡くなった。
もう、10年以上前のことだけどな。
今思うとままごとみたいにも思えるけれど、
当時は本気で、私が20歳になったら結婚しようと、お互いに約束してた。
彼は既に社会人で、職場の慰安旅行で海外旅行に行ったんだ。
当時まだバブルだったしな~
で、水の事故にあって帰ってこなかった。
知らせを受けた翌日、朝、目を覚ました時、
普通に目を覚まして、今日帰ってくるんだったな~とか一瞬思ったけど、
直後に、アア違うもう帰ってこないんだった、
と思い出して泣いたのを覚えてる。
それと、短大行って資格とって就職して、
貧乏でも2人共働きでがんばろうなっていう、計画が、
夢かな、が全部パーになったのはさみしかった。
10年くらいの間は、たまに会いたい気持ちが急に溢れて泣くこともあった。
亡くなった彼のことを忘れてしまうことはないと思う。
でもこのほど縁あって結婚が決まった。
全然タイプも違う人だけど、とても好きだし、私は幸せになるんだ。
もう思い出話する機会も無いだろうから、
ここに書かせてもらいました。
300 :300:04/02/04 21:39
一昨年のこと、テレビで彼女の借りてきた映画を見ていると
彼女が「妊娠したみたい」と僕に告げた。
そういうと黙りこくった後、「しかたないね」と彼女はため息をついた。
その時、僕らは大学3年で、経済力やその他の事情を考えると産めない事はお互いわかり過ぎてた。
物分かりの良い僕らは、「しかたないね。」と
そーなんども確認しあうだけで、具体的な事は何一つ言えずに、
二人に見られていない事に気付かずにライフ・イズ・ビューティフルはクライマックスへと向かっていった。、
僕はこの映画が終わるまでには、僕は言わなきゃいけないんだと腹をくくった。
少年が戦車の上で笑った時、
「頼むからおろしてくれ」そう彼女にお願いした。
彼女は「しかたないね」
そう、さっきまでと何かを変えてしまわないよう、でも少し震えたような口調で言った。
彼女は子供をおろし、何事も無かったかのように普段の大学生活に戻った。
僕はその時に、消費者金融から借りた金を返す為にバイトを増やした。
それでもなんとか大学生活とバイトの両立をさせた。
ただ彼女と会う時間は当然短くなった。それでも彼女は、また「しかたないね」と言ってくれた。
それからだいぶ時間がたち、去年の暮れ二人で酒を飲んでると、
酔って少しロレツの回らなくなった彼女が、
「私、人殺しでーす。。。ちょっと前なら尊属殺人の重罰規定で死刑または無期懲役なのに、
こんなところでのうのうとお酒のんでまーす」って言った。
半分笑いながら、半分泣きながら、そう言った。
「おまえが殺したんじゃないよ。俺が殺したんだよ、
おまえほんとは産みたかったんでしょ
でも俺が無理に頼んだからおろしたんだろ。
おまえが悪いんじゃないよ」と
多分酔ってて言ってもわからないだろなと思たけど、そう言った。
「でも、結局おろすの決めたのはわたひだからねぇ」
今度は泣きながら言った。
まだ気にしてたんだ・・・と思たけど、その時はもうそれ以上何言っても無駄だと思ったので
彼女の話に頷くことにした。
そして、今年になって15日目、彼女は自殺した。
遺書に「私は私の量刑に従います。」とかかれていて、
長い空白のあと、本当にありがとう。ってだけ添えられてた。
310 :名無しさん:04/02/05 00:10
純愛板から誘導されてきた。
彼女が亡くなってから4年経った。
当時、体が弱いことを知っていて付き合っていたのでなんとなく覚悟していた
ので亡くなった時は、あんまり苦しまないでよかったなって思った。
案外泣けないもんなんだなって不思議だった。
葬式が終わって、彼女の母親から彼女の手帳に書かれた日記を渡された。
帰りの電車の中でそれを読んだ。
漏れに対する不満、要望、デートの時の感想、自分の体のことがびっしり
書かれていた。
電車の中だったけど、号泣した。とても目的地まで乗っていられなくて
途中の駅で降りて、その駅のトイレで泣き続けた。
駅員が不審がって尋ねてきても答えられずに泣いた。
人生のなかであれほど泣いたのは最初で、最後になると思う。
今はもう違う人を好きになって、案外幸せにやっているけど、
彼女の書いた日記と病院で一緒にとった写真は一生持ち続けるつもりだ。
316 :名無しさん:04/02/05 12:25
3年一緒に過ごした彼、バイクが大スキだった。事故って死んだら困るから乗らないで!
乗るときは絶対一緒だよ!っていってた私。
進学で離れ離れになって、マメに会うことなんてできず、彼は一人でバイクに
乗っていて単独事故を起こした。
久しぶりの対面は、全身傷だらけで動かない、目も開かない、人工呼吸機を
つけた彼だった。
何日も意識が戻らず、私は毎日病院に通い、手を握って話しかけたり、
奇跡を期待したり、でも、意識は戻ることなく7日後、帰ってこない人に
なってしまった。事故から3日後、一度だけ、握った私の手を握り返し、
涙を流した彼。私の見た彼の、最初で最後の涙でした。
毎日病院に通っている中で、私は体調を崩した。疲れてるんだな・・・って
はじめは思ったが、妊娠だった。
消えそうな命と、生まれてきた命に挟まれて私はとても困惑した。
無力になった。
彼がなくなって2週間後、新しい命も、パパの後を追うように
いってしまった。
その時、本当に一人になったんだな・・・って感じた。
心に穴が開くってこのことを言うんだな・・・って思った。
私は彼の葬儀に出ることもできませんでした。
涙ってこんなにでるんだ・・・
ひとりになるってこんなに悲しいんだ・・・
彼とのたくさんの思い出ばっかりよみがえってきて、
どうにもできなかった。
もうすぐ彼がなくなって8年になろうとしている。
私は去年バイクの免許を取った。バイクも買った。
バイクに乗るたびに彼を思い出す。
こんなふうに風を感じていたんだな・・・とか一人で乗るなって言った癖に
バイク乗ってる私を見て怒ってるかなとか、色々思う。
彼の乗れなかった分、私がいっぱい乗るからねって思って
私はバイクに乗っています。
415 :名無しさん:04/02/11 06:44
彼女が亡くなってもうすぐ2か月になります。
なぜあの日電話でもう眠いって言ってた彼女家に呼んだんだろう。
片道1時間もかかるのにあいつうれしそうな声で「うん、行く。ちょっと待ってて」って。
会うの久しぶりだったから俺もあいつもすげー楽しみって電話で話してはしゃいでた。
なのに何時間待っても来なくて・・電話もつながんなくて。あいつん家電話しても誰もでなかった。
次の日になってからだった、事故ったって聞いたの。彼女の車反対車線に飛び出してトラックと正面衝突したって。
本当に信じられなかった。信じたくなかった。
死んだって聞いた時は泣き崩れるって言うか人前だったけど抑えることできなくて声上げて泣きました。
辛かったよね、痛かったよね。お前痛いことほんと嫌いだったもんね。
ゲームで負けた俺にでこピンするするくせに自分絶対させんかったもんな。
色んなことして遊んだね。馬鹿やってはしゃいで。おもろくもない俺のギャグいつも笑ってくれた。
我慢できないところもわがままなところも気にしてた小さな胸も何もかも、お前の全てを愛してた。
会いたいよ。さよならもありがとうもまだ言ってないよ。他にも言いたいこといっぱいあるんよ。会いたい・・
もう2か月経つのに頭から全然離れない。そう、今月8日で俺ら付き合って3年だよ。
一人でケーキ2個買ってきて食べた。3年記念おめでとう。そばにいる気がしたよ。これからもずっと好きですって誓った。
この気持ち一生変わらない。ただお前と愛し合えたことで、俺の人生変わった。幸せだった。
この気持ち天国まで届いてほしいな、いつか笑顔で会えるように
453 :名無しさん:04/02/13 14:49
小2のときだったかな、笑顔のかわいい子がいたんだよ。
その子の事が好きだった、あれが初恋だったんだな、きっと。
1学期の終わりに父親の仕事の都合で引っ越しちゃった。
まだ子供だったし内気だったからね、好きだとも言えずにお別れ。
引っ越して行った次の日地方新聞に彼女の事が載ってたよ。
彼女の乗った車が事故にあって家族全員死んじゃったって。
471 :名無しさん:04/02/15 23:45
愛する彼女が亡くなったのは先月16日。
知らされたのは今月四日。
死因は肺癌だった。
四歳年下だった23歳の彼女。
俺と別れてから結婚してた。
俺は結婚したと知るまで、思い続けて何かしらのつながりを持っていたかった。
結婚の話は正直ショックで、嘘だと思いたくて非通知で彼女に電話したりもした。
今月の頭、彼女の旦那から封書が届き彼女の死を知った。
若すぎる死…。
俺と付き合ってる頃から胸が痛いと言っていた彼女…。
一生忘れられないよ。別れた理由が理不尽なだけに悔しい。
おまえは俺じゃなきゃダメだったのにな…
481 :名無しさん:04/02/17 22:23
大学に入った直後、恋人の朋美が自殺した。
その3週間後、朋美の母親が、遺品の日記と一緒に俺宛の手紙を
持って訪ねてきた。父親が勝手に結婚を前提とした見合いを
決めて強行しようとした事に耐えられないと日記に書いてあったこと、
朋美から「M君(俺のこと)がGWに交際の報告をしに来る。
大学卒業後には結婚したい。」って聞いていたのに
父親を止めれなかったこと、自分達(朋美の両親)も駆け落ち同然で
結婚したのに、俺と朋美につらい思いをさせてしまったこと、
父親が俺を逆恨みして告別式に呼べなかったことなどを泣きながら謝られた。
何も言えず泣くことしか出来なかった。手紙には
「結婚の約束守れなくてごめんね。後を追ったりしないでね。
生きて幸せになってね。お父さんのこと、恨まないでね。
私の心が弱かっただけだから。私の最後のわがままだから絶対に守ってね。
M君に出会えてよかった。M君が最初で最後の人でよかった。
愛し合えて嬉しかった。私は幸せだったよ。ありがとう。」って書いてあった。
俺も愛してたし、幸せだったよ。ありがとう。
8年経った今読んでも涙が出てくるし、朋美のことは忘れられないけど
大事な思い出になるよう頑張ってるぞ。もし会えたならいつもの笑顔で
「頑張ったね」って褒めてくれよな。
555 :当スレ281:04/02/20 12:28
躁鬱、および統合失調症を患っていた恋人が自殺しました。
事件からひと月近く経ち、
友人知人、お世話になった方々にこんなメールを送りました。
--------------------------------------------------
前略
まだまだ寒さの厳しい毎日ですが、徐々に春の足音も
聞こえてくるような気がいたします。お変わりなくお過ごしで
しょうか。
私の後輩であり、恋人であり、婚約者であった○○○は、
1月29日の午後6時30分頃、ビル6階からの飛び降りという
形で、30歳の人生を自ら絶ちました。
早いもので、すでに3週間もの日が経過してしまいましたが、
まだ私の中ではそれを現実として受け入れることができずに、
皆様へのご報告が遅くなりましたことを、深くお詫び
申し上げます。
ひとには深い優しさをもっていた彼女が、
自分に対しては常に妥協を求めずに心身を律し、極限まで
その存在を追い込んでいたこともあっただろうということは
想像に難くありません。また、そういった状況を理解しながら
本当に自分は彼女にとっての支えとなることができたのかと、
自問自答を繰り返し、自分の無力を嘆く日々です。
○○家のご家族には言葉で言い尽くせないほど
感謝しています。
事件後に私が駆けつけてから、通夜・葬儀に至る一連の儀式が
終了するまで、ずっと彼女のそばにいさせてくれたことは
もちろん、家族でもない私を親族同様に接してくださり、
ご遺族にも「娘の婚約者である」とご紹介していただきました。
特に、彼女のお母さんは、○○が中学生の時に父親である夫を
亡くしており、それまで女手ひとつで彼女を育て上げて
きました。○○がいちばんの自慢の娘であったこともお話して
いただきました。
このような事に順位付けなどできるわけはありませんが、
今回のできごとにおいて一番悲しいのは間違いなく
お母さんです。彼女に対して私は何ができるのか、
何をしなければならないのかを考えています。
皆様からは本当に暖かい言葉とお気遣いをいただきました。
私は、彼女のあとを追ったりはしません。
それによって生み出されるものは、新たな悲しみだけですから。
私は、いま自分が生きていることに感謝しながら、
○○が悲しまない、○○に怒られない人生を送っていかなければ
ならないのです。
○○は、まだ私の心の中で生き続けています。
みなさんにおいても、そうである事をお願いしたいです。
乱筆乱文を心からお詫びいたします。
皆様もどうか、風邪などひかぬように、お気をつけてお過ごしください。
草々
平成16年2月20日
名無しさん
605 :名無しさん:04/02/26 03:23
久々に来ました。
彼を亡くして以後10年、未だあの人を超える人はいない。
だって奇麗な思い出だけ残して先に置いていくんだもん。
すっごくずるいよ。
気がつくと彼の残像を求めるかのように彼にちょっと似た
タイプの男性ばっかり付きあってる。で、やっぱり違うんだと思い知る。
自分でもばかだなーって思うし相手にも失礼だとわかっているのに。
…早く人生終わらせたいよ。
610 :名無しさん:04/02/27 15:14
「彼女が子供ができたかも・・・」と真顔で相談してきたので、
その場の雰囲気に耐え切れず、ジョークで
「っで誰の子?」っと言ってしまった。
彼女は泣きながら部屋から出て行った。
電話してもメールしてもリアクションは無し。
そしたら次の日、彼女の友達から、彼女が飛び降りた事を知らされる電話あった。
「遺書とかあったの?」と聞くと無かったと答えた。
「何で?」と思わず俺が聞くと、その友達は「わからない」と涙声で答えた。
電話の友達が「何か(原因)知らない?」と聞いてきた時、おもわず、
「わからない・・・」と答えてしまった。
何食わぬ顔して、葬式にもでて、当たり前のように泣いた。
おなかに子供いた事を聞かされて、また顔して泣いた。
彼女の死を伝えてくれた彼女の友達と今付き合っているんだけど、
彼女は「何か隠してない?」と最近聞いてくるようになった。
今の彼女を心から愛しています。
どうすればいいんだろう。
755 :名無しさん:04/03/19 18:52
私が前に勤めていた会社の経理の人が亡くなった。
歳も離れていたし孫みたいに可愛がられていたから
亡くなった時はとても悲しくて、泣きじゃくったの
覚えてる。お通夜にも行ったし、勿論会社の人間と
告別式にも参列した。
温厚で誰にでも親切だったAさん。若いころはさぞかし
もてたことだろう。なのに彼女は独身でどうしてなんだ
ろう?って不思議に思っていた。
棺の中の彼女はウエディングドレスを着ていた。
彼女の友人が作ったものだそうだ。
彼女を見送る友人たちは涙を流しながら
「綺麗よ、ようやく●●さんと幸せになれるね」
と言っていた。
彼女は若いころに婚約者に先立たれていた。彼女が亡くなった
のと同じ白血病だったそうだ。以来彼女はどんな殿方が声を
かけてもずっと婚約者のことを思い続けてのだそうだ。
40年間もずっと彼を想い続けてきたんだなぁ。
でも彼女は暗い影を落とさず、いつも明るかったよ。でも
どうして独身なのか?っていう問いには寂しそうに微笑む
だけだった。
きっと向こうで幸せになったんだな。
757 :名無しさん:04/03/19 21:36
まだ彼が出てくれる気がして電話かけちゃうの。
もらったメールも全部保護してあるの。
借りっぱなしのCD、ずっとこればかり聴いてるの。
桜が咲いたらお墓参りにいこう。
喜んでくれるといいな。
764 :名無しさん:04/03/20 17:06
俺のばぁちゃんが入院した。毎日お見舞いに行ってた。
すると相部屋だった女子大生に一目惚れしてしまった。3歳年上
俺は毎日お見舞いという口実に(ばぁちゃんごめんな)逢いに行ってた。
ばぁちゃんが3ヶ月して退院した。
俺は困ったさ。でも、最初はとぼけて「あれ?退院したんだっけ?」とか
言って逢いに行ってた。
その女子大生は寝たきりだったので俺を快く(だと思う・・)招待してくれた。
次はいつ来てくれるの?ってな感じで。俺はその言葉を聞くと毎回のように涙がでた。
一緒にいれるんだ、またこの人とお話しできるんだって。すごい幸せだった。
彼女はまったく自分の体のことを言わない。どういう病気なのか怪我なのか。
俺も相当元気だった彼女を全く心配してなかったよ。だって元気だったもんな。笑ってたもんな。
テストが始まり1週間俺は病院には行けなかった。
テストが終わり俺は病院に行った。白血病だった。昨晩彼女は死んだんだって。
俺は倒れた。涙は不思議とでなかった。しかも俺は半笑いだった。
彼女のベッドの横に俺は立って、たった1週間の間に変わる部屋の匂いをかいでいた。
ありえないよな。だって1週間前だぜ?テスト終わったら逢いに来てよ?って言ってただろ?
何でいないんだ?なんか変じゃないか?ずっと俺はそんなことばかり考えながら家に帰った。
翌日、学校を休み葬儀に行った。
なんだあの空虚感は。火葬場へ運ぶ前、コピーしたお金やら彼女の化粧ポーチなどを入れた棺を目の前にして
俺は彼女の冷たい手を握ってお礼を言って謝った。
葬儀の後、家族の方からお礼を言われ彼女が生前につけていたクロスのネックを手渡された。
俺は大好きだったが逢いたいってゆう自分の気持ちしか考えられてなかったよ。
君が逢いに来る俺をみてどう思ってたんだろうか。
いつまでこうしていられるのかってずっと考えていたのかな。
俺の事なんか好きじゃなくてもいいよ、そんわけないし。
でももし俺が生きている間に、いや死んでからもいい。
一度だけ直接お礼したい。ありがとう。本当にありがとう。ってさ。
777 :名無しさん:04/03/21 17:58
今週、彼女が亡くなってから8年が経ちます。
いつの間にか、33歳。
同級生だったはずなのに、自分だけおっちゃんになってしまいました。
逢いたいなー。
ほっぺたをぷにぷにしたいなー。
ぎゅっと抱きしめたいなー。
自分は、生きてます。
明日、死んでも構わないけど、死ぬまではきちんと生きていくつもりです。
早く逢いたいけどねー、それまでは待っててくださいな。
783 :名無しさん:04/03/22 01:31
去年の9月に、初めての恋人が事故で死んだ。
高速道路で、トラックにひかれた。即死。
しかも、そいつの誕生日の日に。
遠恋だったから、プレゼントも宅急便で、
「もう宅急便届いたかな?」って携帯にメールしたら、
お兄さんから返事が来て、はじめてその事実を知った。
涙はふしぎと出てこなくって、お葬式の日程をぼんやりきいてた
死んだとは、どうしても思えなくて、死んだ朝も携帯に電話して、
「おはよう」って声を聞いたのになぁって思って。
相手の住んでるところは東京で、自分は三重。
しかも私は工房で、親が東京行きを許してくれなかったけど、
無視していった。後悔するからって思って。
夜行バスにゆられながら、何度も何度も携帯に電話する。もうだれも出ない電話
何度も何度も携帯にメールを打った。もう見ることはできないのに
そして、東京の彼の実家に着いて、お葬式に参列した。
お葬式のあいだも涙はでなかった。やっぱり泣けなかった
ほとぼりが冷めて、彼の家族に「彼の顔が見たい」と言った
向こうはしぶってた。なんでかなぁってちょっと不思議に思ったら、
顔も、体も原型を留めてなかった。それでも愛しいと思えた。
彼を目の前にして、1時間ぐらいぼうっとしてた。どうしても泣けなかった
彼のお兄さんがずっと棺桶の前に立ってる私を無理やりすわらせて、
あったかい缶ココアをさしだしてくれたとき、はじめて泣いた。
湯気がみんな隠してくれると思って、いっぱい泣いた。
793 :TW使い ◆TW33pX0JSg :04/03/24 12:14
先日、最愛の妻に先立たれてしまいました。
私は全力で妻の事を心から愛していましたし、妻も私を愛してくれていたと思いま
す。
全くの健康体だったのに突然の急死に未だに現実感も湧かずに、毎日が過ぎていって
います。
妻のことが愛しくて愛しくて、会いたくて、話したくてたまらないんです。
本当に仲が良くて、妻が亡くなる当日の朝だってキスをして玄関先で見送ってくれた
のに。
人の死、それも最愛の人間の死なんて考えた事もなかったですし。死別なんて悲しす
ぎる。
私の転勤で地元の横浜から見知らぬ土地である静岡に来ても、
明るく振る舞い私に尽くしてくれていた妻でした。
知らない土地で二人っきりで支えあってやっと慣れてきた所だったのに。。。
「他人の悪口を言うと自分に帰ってくるから言わない」って良く言ってたな。
老人になったら二人で手をつないで、
お買い物に出かけられるような夫婦でいようね、って約束していたのに。。。
一日三箱も吸うヘビースモーカーだった俺の体を心配して、
必死で止めてって言うから、物凄く苦労して煙草だって止めたのに。。。。
凄く素直で真っ直ぐで、俺にとって、妻であり
叱ってくれる姉であり、甘えてくる妹であり、
優しく包んでくれる母であり、何でも話し合える親友でした。
夜に妻と過ごしていた部屋に一人でいると狂いそうに寂しく、そして悲しくなってし
まいます。
いっその事、「自殺して妻の後を追いかけよう」などの馬鹿な考えも出てきてしまい
ます。
子供はいない代わりに妻が可愛がっていたポメラニアン(可愛いですよ)の事を考え
るとそれも出来ませんし、妻が悲しむだけですから。
いい年して我ながら情け無いですけど。。。
写真を見ながら、運転してて思い出の場所を通ったら、
一緒に買い物したお店に行くと。。。
常に思い出して馬鹿みたいに毎日ボロボロ泣いています。
先日、二人で暮らしていた静岡から、本社のある横浜に戻りました。前に
住んでいた時は二人で一緒に静岡に行って、手続きも二人一緒、戻る時の手続きは役
所も引越しも何もかも全て一人。物凄く悲しかったです。自分の将来のこと、何も考えられません。
来月からの復職する仕事に対する不安だけがあります。
仕事で嫌な思いをしても、その場で携帯で電話ではなすとがんばれ!励ましてくれて
た優しい妻。
家に帰って仕事の愚痴、相談をすると前向きな意見を教えてくれた出来た妻。
そんな、妻のいない状況で仕事するのが怖い。
将来の事、1ヶ月先の事さえ考えられない。
煽り、煽られで2ちゃんねらーだった俺を、
「馬鹿なんだからー」って言って
うしろで苦笑いして見守っていてくれた妻がいないのが
どうしようも無いほど悲しいです。
こんなに悲しい思いが人生にあるなんて思ってもいなかった。
結婚前は結婚に夢を持ちすぎると後で後悔するって
周りの人に言われていて覚悟していたんですけど、
結婚前よりも妻を好きになるくらいの結婚生活でした。
6年も経っていたのに。
「結婚前よりも後の方が幸せ、新婚の時よりも今のほうが幸せ。
常に今が一番幸せって言えてるから、私って本当に幸せなんだな」
って言っていました。私も心からそう思っていました。
俺とは最後の最後まで携帯で話していた。
妻は亡くなる二日前に受けた健康診断も異常無しで、
亡くなる当日って言うか、
亡くなる瞬間まで私と携帯で普通に話してた。
俺が車で移動中、短期派遣で仕事中の妻の携帯に電話して
「今日、忙しいから帰り遅くなるよ、嫌になっちゃうよ」って
話していて妻が「そーだよねー」って言った後に
声が聞こえなくなって・・・・・
返事が聞こえなくて電波が悪いのかと思ったら、
職場の人が出て、「奥様が倒れました」って。
救急車が5分で着いたけど、心肺停止していて、
そのまま蘇生しなかった。
俺もすぐに病院に駆けつけたけど、
そのまま冷たくなりかけた手を握って、
名前叫んでも返事がなかった。物凄く悲しかった。
妻の手は、俺の手の中でどんどん温もりが失われて行った。
俺は、手を握り締めて泣き叫ぶ事しか出来なかった。
自分が死んだ事に多分、気が付きもしないで逝っちゃったんだと思う。
それぐらいの心臓関係にしては苦しまない一瞬の即死だったらしい。
過呼吸→急性不整脈→静脈瘤破裂だと、あなりない、珍しいケースだけど
一瞬での即死になるらしい。苦しみも味あわず。
予防も予測も出来ない、持病も無かったから何も出来ない。
でも、もっといい暮らしさせてあげたかった、
欲しがっているもの、全て買ってあげたかった。。。
他人が羨むような暮らしはさせていた自負はある。
だけど、もっとああしていたら、とかもっとこうしていたら、って思いが消えない
810 :名無しさん:04/03/29 06:46
おはようございます。今日、初恋の人が夢に出てきました。
夢の中の、制服姿の彼は元気に自転車を押しながら、
「チャリはやっぱりダサい。早くバイク乗りたい」って言ってました。
彼はバイクや車の免許をとることも、おおっぴらにお酒を飲むことも、成人式に出ることも出来ないまま逝きました。
目が覚めた時、20歳の彼の姿は誰がどんなに願っても見ることが出来ないんだなと、改めて感じました。
夢の中では同じ学校の制服を着て、普通に喋ってたけど、
本当ならもう普通に喋り合ったりすることも、笑った顔を見ることも出来ないということ。
彼はずっと制服姿の年齢のままで、なのに私は彼よりももう5つも年上になってしまったこと。
頭の中ではわかっているはずだったのに、またぐちゃぐちゃになって久しぶりに泣きました。
本当なら今頃彼は背が180越えていたかもしれない。
車でいろんなところを遊び回ってたかもしれない。
すごい大学に入って女の子にモテモテだったかもしれない。
「本当なら」が全部、何があっても叶わないのが、現実なんですね。
悔しくて、悲しくて、怒りに似た変な気持ちになるけど、変えられないんですね。
叶わないならせめて、天国では誰よりも幸せになってほしいな。
素敵な恋をして、いっぱい笑って、生きてる内に出来なかったこと全部、好きなだけやってほしい。
思い出の中でも、夢の中でさえもあれだけいいやつだったんだから、幸せになれないわけがないとは思っていますが…。
なんか言いたいことを全部思いのままに書いたので、文が変だったらごめんなさい。
811 :名無しさん:04/03/29 17:07
去年、2年半付き合っていた彼氏が自害しました。
仕事で失敗したわけでもなく
別れ話があったわけでもなく、まるで前触れも無く。
遺書には「幸せになって」と書いてありました。
来月納骨があるので、徐々に精神的に不安定に
なってきました。
円満に結婚し、赤ちゃんもできた兄が
最近やたらと実家に帰ってくるので
この時期は来るのは控えて欲しいとお願いしたら
両親に怒られました。
一生、実家に帰ってきて欲しくないと言っている訳でもなく
納骨が控えてて「幸せそう」な姿を見るのは
辛いのです。
それが両親には理解できない!精神病院へ行け!と言われました。
私の身内には誰にも味方が居ないんだと。
何か、全てがどうでも良くなりました。
今まで「後追い」だけはしないと、周りの人を
悲しませてはいけないと思っていたのですが・・・
最近、どうやったら楽に死ねるのかそんなのばっかり
考えてます。
前のレスで何人かの方が
書いていらっしゃいましたが、死ぬのは怖くないです。
向こうに彼が待っているというのは変な話
心強いものですね。
815 :Lucifer:04/03/29 20:00
このスレ読みました。 やはり、同じ境遇の人は沢山いるもんだなと思った。
僕も、先月末、彼女を看取った。
6年つきあって、今年結婚しようって約束したのになぁ
30代で逝くなんて・・。
原因は悪性直腸ポリープ。
2年前から手術と入退院を繰り返していたが、
ずっとそばにいて付き合っていた。
彼女といると落ち着くし
彼女という存在は、世界に一人しかいなかったし
ほぼ、毎日電話かメールで『愛してる』って
言ってた。 それは、つきあった時の条件だったからな。
今も色々考えてしまうよ。
街中を歩いても、どこへ行っても
もう、彼女の体はないのだからなぁ
そして、最大の悔やみは
彼女に余命宣告ができなかった事。
向こうの家族の意向で、言えなかったんだ。
最期が来る事を。
彼女が眠るベッドを前にしても
溢れる涙を無理に止まらせ
唇をかみしめ・・
笑顔で
『治って、春になったら、お前が好きだった
六甲牧場へ行こう!』
って。
最期まで、彼女は生きられると信じて
夜明けの朝日に照らされて逝ったヨ。
人間ってあっけないものだな。
儚いものだ。
だから、死と生について 今は沢山考えてるし・・自殺も考えてる。
今、死と生の間でどちらかを選べといわれれば、『死』を選ぶかな。
841 :名無しさん:04/03/30 14:37
幼稚園、小学校、中学校と一緒に育った彼。
小学3年生まではいつも一緒だった。
一緒に登下校、親がいない日は一緒にお留守番。
小学3年の頃からはじめたサッカークラブに夢中になった彼。
活発でげんきんな彼は学校の人気者だった。
小学6年生の時、友達らのお節介もあって彼と付き合いだした。
けど、その付き合い方は今までとかわらない。
そのまま中学生になり、私も小学生からしてたミニバスを続けてた。
彼は、今までとかわらず人気者で、小柄ながらにもすぐにサッカーのレギュラーをとっていた。
両親が背が高いからいつも「俺もぜってーでかくなるんだ」と言ってたの覚えてる。
だけど中3の時、学校にこなくなった。
若い癌だったのだ。
葬式では中学の周りを霊柩車がぐるりと走った。
クラスの皆も校庭がみえる位置で1分間の黙祷をした。
結局、背の高くなった彼を見ることは永遠になくなった。
19になった今も彼を忘れることができない。
843 :名無しさん:04/04/01 02:10
ふと、ね。
「彼女を亡くした不幸な自分」に酔ってるだけじゃないか、
って思う時があるんだ。
本当はもう大分回復してるのに、ダメな自分を正当化する為に
いまだに酔った気分に浸り続けてるだけなんじゃないかって。
実際、嘘みたいに楽な気分になれる時もある。
…だけど、それは片時の事。
思いだしたなら今でも辛い。辛い。会いたい。
846 :名無しさん:04/04/02 22:26
他のケースとは違うかもしれないけど。
初めて高校のとき付き合った相手が18歳年上。
幼かった自分は彼に一気にのめり込んだけど、彼は
「年齢が違いすぎるから。普通の恋愛は無理だよ」って私を突き放した。
「俺は一緒にいてやれないから、同世代の彼氏つくりなよ」って、って彼の言葉に流されて、
同世代の男の子と同時進行で付き合ったりした。
それでも彼は私を好きだと、別れようとはしなかった。
私も彼が無条件に私を受け止めてくれるのが心地よくて、
精神的には彼に頼りっぱなしだった。
19になって同世代の男の子を本気で好きになって、年上との彼氏との関係を清算させようと決意した。
彼は急に「結婚してくれ。お前なしでは生きていけない」って・・・
私の気持ちは揺らいだけど、変わらなかった。
次の彼に悪いから、二股なんてできない、って。
今まで心地よかったけど、これは恋愛じゃない、って。
彼は私を追いかけて、何度も何度も復縁を持ちかけてきて、
私はある夜寂しさを紛らわすために、彼を私のアパートに呼んでしまった。
セックスはしなかったけど、私は半年振りに会った彼が急に老けてて、
私は何てことをしてしまったんだろう、って次の日自分のしたことの大きさに気付いた。
それから彼から電話が来ても、出なかった・・・
狂ったように何度も、何度も電話が鳴った・・・
半年の月日が過ぎて、彼の友達からメールが入った。
「彼死んだよ」。
明らかに事故に見せかけた自殺だった。
半年会ってない彼に会わす顔がなくて、お葬式には行かなかった。
彼の友達が「彼の部屋にお前に渡すもの、って書いてあるダンボールがあったから渡したいんだけど・・・」
って電話が入って、受け取るために会うことをOKした。
私は彼の友達に「彼、最近どんな感じだった?」って聞いた。
「言わなくても、想像つくでしょ?」って返された。
そして「ね、これなんだと思う?遺品から出てきたんだけど」って指輪を見せられた。
見覚えのある指輪だった。
彼は私にあだ名を付けてくれてて、別れる別れないで揉めてたときに、彼は私のあだ名を
内側に彫った指輪を作った。
私はもう別れたかったので気味悪かったけど、彼は肌身離さず身に付けてた。
「私を一生愛する証」って。
彼の友達が「アクセサリーとかするやつじゃないから、不思議に思ったんだけど、
これと同じ指輪をあいつしてたんだよね。死んだとき」
私はパニックで大粒の涙がこぼれた。
悲しみじゃなかった、最後まで彼が私のことを考えてたかと思うと・・・
850 :名無しさん:04/04/03 10:19
いきなりですみません。
僕は中3の時、新設された部活に入った。新設されたばかりで
メンバーは6人。新設していきなり大会が目前にあったので、
僕らは一生懸命だった。大会は初出場ながら好成績。
大会が終わってからそんなに多忙ではなくなって、少し余裕
が出てきたとき、その部活にいた女の子と仲良くなった。
部活中は相変わらず忙しくてあまり話す機会はなかったけど、
放課後は毎日のように電話をしたり、時には遊んだりしてい
た。お互いがお互いに告白した訳じゃないけど、友達以上の
関係だったと思う。
季節が過ぎ...中3の秋が始まろうとしたころ、その子が急に
学校を休みがちなった。それでも放課後の電話は続いていたし、
当時の僕にはそれがとても明るい声に聞こえたので、あまり気にせず
半分冗談交じりに「あんまり休んでると、進級出来なくなるぞ」
などと言うだけだった。
そして季節がまた過ぎ、高1の春。中高一貫校なのでみんなエスカ
レーターで上ってきているはずの、クラス分け名簿にその子の名前
がなかった。驚いて電話してみると、出席数が足りなくて進級出来な
かったとのこと。
僕はそのとき
「出席数くらいなんで数えて登校しなかったんだよ?」
と少し責めるような口調で聞いてしまった。
すると彼女は半泣きの口調で、今まで病気で学校に行けなかったこと。
進級の件で校長まで直談判しに行ったけど、やはり出席の足りないの
は如何ともしがたく、こうなってしまったことを話してくれた。
僕はそのとき「しまった」と思いつつも、
「それで、その病気は治るのか?」
と聞いた。彼女は少し逡巡したあと、
「うん、お医者さんが言うには時間がかかるけど直るって」
って答えてくれた。
そのとき僕は安堵と喜びでいっぱいになったのを今でも鮮明に覚えている。
そのせいなのかや僕がガキだったのか、その言葉...その自分に都合の良い言葉だけを
妄信してしまったのだ。
その後も電話やメール、直接会ったりが続いたけれど、片や高校生活、片や病院通いと自宅療養
話が合わなくなってきてしまい、少しずつ疎遠になってしまった感じがしつつ、それでも切れること
なく続いていた。お互い趣味(物書き)に共通点があったし、僕は僕で、彼女は彼女なりにいろいろ話題
を探して話していたように思う。
彼女が「大検」を受けて大学に行くなんて話をしていたから、話も前向きで楽しかった。
そんな関係が1年と半年ほど続いた。
高校2年の夏。
昼休み、彼女が死んだことを彼女の友達から知らされた。青天の霹靂だった。
僕はその子になんで彼女が死んだかを問いつめた。その子もその時はじめて知ったらしく、詳しくは何もわか
らなかった。午後の授業なんてまったく聞いちゃいなかった。
早く終わってくれ。そしてこの話が嘘だと言ってくれ。
頭の全てがその言葉で埋め尽くされていた。
そんな中ふと思い出したことがあった。
ちょうど2週間前のことだ。定期テスト前日の話だ。
電話がかかってきたと思ったら、すごいハイテンションで「彼女は私のこと好き?」と聞いてきたのだ。
試験前で少々気が立っていたし、いきなりハイテンションで言われた事、自分自身こっぱずかしかったこともあって
「友達程度には好き」
などという今考えると取り返しの付かないことを言ってしまっていたのだ。
「まさか?」と思い、帰りのHRが終わると全速力で走って駅に向かい、そして彼女の住む家に向かった。
インターフォンを何度押しても誰も出ない。戸を何度叩けども誰も出ない。彼女の携帯に何度かけても誰も出ない。
焦って焦って、焦った。
立ち往生している間に、同じ部活の仲間の数人が追いついた。僕の様子を見て留守だと悟ったのだろう。
タウンページで調べて近くの病院に片っ端から○○さんという人はそこにいますか?と電話をかけた。
僕も参加した。
市内は全部かけた。該当0。隣の市、さらにその隣の市とかけたが見つからない。
必死に電話をかけているうちに、警察が来ていた。彼女のマンションのドアの前で高校生数人がなにかやっていると
近所の人が通報したのだと思う。僕たちは事情を説明した。
だがその警官は「夜遅いから一端帰りなさい」との一点張り。
気がつくと夜22:00だった。まだまだ諦めたくはなかった。探し続けた。だけど......
家に電話をされて両親が飛んできた。
両親に引っ張られるように帰ったときほど、自分が子供で自分が本当に無力なんだと感じたことはなかった。
次の日、彼女のお姉さんから電話があった。
彼女の遺体が家に戻ってきたからと言うことだった。
昨日のメンバーと一緒に彼女の家へと向かった。
彼女の遺体を見た。綺麗だった。とても死んでるようには見えなかった。
でも触った手が冷たくて冷たくて...
でも僕は泣きもせず、実感がなくただほうけていた。
ここではじめて、彼女の死因を聞かされた。
自殺だった。
それを聞いても僕は信じられず、いや信じることをかたくなに拒んでいた。
考えることを拒否していた。
その次の日、彼女の葬式があった。頭が真っ白で真っ白で何があったのかすら覚えて
いない。気がつくと、帰りの電車だった。
その後彼女の母親から電話があって、経緯を知った。それでも信じたくなかった。
認めたら全てが終わってしまう気がして...
でも、彼女の苦しみをそこではじめて知った。なぜあのときあんな話をしたのか、
どんな気持ちだったのか、そしてなぜ自殺をしたのか。
彼女の遺書を読んでいただいたうちに、涙が出てきた。あのとき程泣く事はもうないと思う。
そして数年経って、今や僕自身が入退院を繰り返す日々。
あのとき彼女のことを考えてやれなかった自分に、神様か仏様あたりが、彼女の気持ちを
教えてくれているような気がしてならない。
854 :名無しさん:04/04/03 12:54
2年前の今頃事故で彼氏が死んだ。
最後に見たのは仲間達とカラオケ行った日の
缶ビール2人で回し飲みしてた本当に何気ない時の笑顔。
最後に話した事は覚えてない。葬式も覚えてない。
台の上に寝てる骨と灰の姿を少しだけ覚えてる。
いまだにどこかで生きてると思ってる自分がいる。いきなりすぎるんだもん。
今年の2月13日、2年半付き合った彼が亡くなりました。
享年21。急性骨髄性を発病し、入院から7ヵ月後のことです。
同棲を始めたのが1年半前。私の父親の勤め先が倒産し、このままだと中退、
という時に、彼が「一緒に暮らそうか」と言ってくれたのがきっかけでした。
彼は結構大きな家の長男で、そんな人が私なんかと一緒に暮らしていいのだろうかと
申し訳なく思ったりもしましたが、彼は笑って「その方が学校が近くなって楽だ」
と言ってくれました。
(私はご家族からこの人を預かるんだ。何があっても絶対守らなきゃ……)
この時、どんなにそう思ったことか。
彼の体調が目に見えて悪くなったのは、7月の頭。何日も続く微熱に食欲不振、
特にひどいのがだるさで、学校にも遅刻するようになりました。
風邪でもこじらせたかと思い、医者に行くなり即入院。3ヶ月ほど入院することになった、
という電話を最後に、音信不通。ひと月後やっと見舞いに行けるようになり、
通されたクリーンルームで横たわる彼を見た時、目の前の光景が信じられませんでした。
一体何があったのかと思う程げっそり痩せ、髪の毛は全部抜け落ちて、胸には太い
チューブが刺さっていて。どうしたらいいかわからず、混乱して、涙がぼろぼろこぼれて
言葉も出ない私に、彼はいつもと全く同じ調子で「元気にしてたか?」とか
「ちゃんと三食食べてるか?」とか、そんなことばかり心配してきて。
病名はまだわからないと言われましたが、本当は入院初日に告知を受けていたそうです。
ただ周囲の人々に、彼女にだけは絶対に言わないようにと緘口令を敷いていただけで。
彼の口から直接病名を聞いたのは、10月になってから。その時私が言った言葉は「一緒に死のうか?」でした。
彼は即答。「いいけど、なら君が先に俺を殺せよ?」
そんなこと、死んだってできるはずないのに……
2ヵ月後のクリスマスに、初めて指輪をもらいました。
「君のことを束縛するみたいで嫌だ」と言い続けてきた彼が、やっとくれた指輪。
嬉しくて嬉しくて、何日かは着けられずに枕元に置いていたりしました。
バレンタインのお返しは奮発しなきゃ。次の一時帰宅はいつだろう、チョコは
どうやって渡そうか、なんて考えているうちに、時間はあっという間に過ぎて。
彼が亡くなったのは、バレンタインの前日。手渡しするのが楽しみで仕方なかった
チョコレートは、冷たくなった彼の枕元に置くことになりました。
何ヶ月も離れ離れになっていた彼の、見慣れた寝顔。もう息をしていないのに、
何日かすれば灰にされてしまうのに、やっと手の届くところに戻ってきて
くれた……そんな喜びさえ沸きあがってきて、自分はちょっとおかしいんじゃ
ないかと思ったりもして。
でも、安らかなんかじゃない。「あー、疲れた!!」っていう彼の表情を見たら、
もうそれしか浮かんでこなくて。
やっと楽になれたね、頑張ったね、つらかったよね、って……
一緒に暮らしていた部屋で一人になって、彼が使っていた食器や本を見て、
やっと声を出して泣きました。もう「お帰りなさい」も「行ってきます」も
二度と言えないんだなって思ったら……
二人暮しを始める時、絶対彼だけは何があっても守るって誓ったのに。
その結末がこれ。
孫を亡くしたお祖母さんが涙ながらに言った
「もっと早く、何か気づきませんでしたか……?」
その言葉が耳から離れません。
僕が15歳のときに叔父が結婚しいきなり従姉になった
性にも目覚めきっていない僕に対してもう大人だった
僕が17のとき前から付き合っていた人と結婚した
僕が24のとき二人の子供を残して癌で急逝・・・まだ30歳
何となく気づいていたかもしれないけれど
僕はあなたのことが好きでした
ガキの憧れに過ぎないものだったけれど
僕は今あのときのあなたと同じ歳になりました
まだあなたが生きていたらどんな話ができたでしょうね
あなたが逝ってしまう直前、病院のあなたを見舞った僕に
あなたはどうして「ごめんなさい」と謝ったのですか?
お見舞いにわざわざ来てもらったことが心苦しかったから?
それとも何か別の・・・。今もその答えがわからないでいます
19 :名無しさん:03/12/09 00:32
一緒に眠るときは、必ず自分より後に寝て、先に起きてた彼女。
『だって、寝顔を見られたくないもん』だって。
今思えば、きっと気遣っててくれたんだろうな。今さらだけど、ありがとうね。
その言葉に甘えて、いつも惰眠を貪ってた自分。
5月のある日、棺の中の彼女、ずっと眠ってる、赤い着物を着て、死化粧をして、ホントにキレイ。
…あれから半年とちょっと、やっと思い出しても泣かないでいられるようになりました。
おやすみなさい。
21 :名無しさん:03/12/10 03:30
けっして器用じゃなかった彼女が、頑張って編んでくれたマフラーとカーディガン。
ずっと遺品と一緒にしまっておいたけど、着けたほうが彼女は喜ぶんだろうか。
優しくて、可愛らしくて、一生懸命に生きてて、ホントに自慢の彼女。
見せびらかしたいような…自分の胸だけにしまっておきたいような…複雑な気分。
28 :名無しさん:03/12/14 04:58
風がかなり冷たくなった。二人で歩くとき、冷え症の私の手を彼が繋いでポケットに入れてくれてた。
身長差があって、いつも変な歩きかただった(笑)
だけどすっごく温かかった‥。
なのに最期に彼の手に触れた時、冷たくて、かたくて、作りものみたいだった。‥でも離せなかった。
それでも愛しかった。
29 :名無しさん:03/12/14 20:20
やっと立ち直って、新しい恋に進もうと思ったら、
夢にあなたが出てきてまた私を困らせる…。
30 :名無しさん:03/12/15 21:36
どうやったら立ち直れるの?
どれくらいかかるの?
立ち直れるの…?
41 :美雨:03/12/20 04:58
彼が言ってくれた言葉を思い出してます。
プロポーズの時、死んでも手放さへんて言ったけど、あれ訂正。
だって、お前美人ちゃうけど、ええ女やし強いからな・・・
もし俺がおらんようになってもお前は生きてける女やし。
一人になっても、お前は駄目男ばっかり惹きつける何かあるから
寄ってくるん全部駄目なんやろうし、お前も駄目ちゃんには甘いし
イヤな思いもするやろうけど・・・
この先、お前に支えられな生きてけん俺みたいな駄目男が現れるし
そん時、そいつを必死で支えてやれる為に・・・
俺みたいに駄目ちゃんやけどお前に対する気持ちだけは
真っ直ぐな男、そいつの為にお前は生きてろや。
・・・いつ現れるんだよぅ・・・
58 :名無しさん:03/12/25 06:25
25の時に大切な人を亡くした。
彼女はひとつ下で弁護士を目指して頑張っていた。
俺は就職したばかりで、仕事をこなすのに精一杯だった。
お互い一人前になったら結婚しようと約束していた。
3年前の夏、「体調がすぐれない」と聞いた。
2ヶ月後、彼女はいなくなった。
それからの俺は、まったく前に進めなかった。
仕事は懸命にやったが、他にやることがないからだ。
彼女が死んだ9月末、今年も墓参りに行った。
3年間、季節ごとに行くことにしていた。
いつもの通りご両親にあいさつした時、言われた。
「○○君、もう来なくていい」
「娘のために将来をムダにはしないで欲しい」
いい加減ふっきらなければとは思っていた。
ただ、それが正しいことなのか判断できなかった。
俺は今週末、最後の墓参りに行く。
手元にある手紙も写真も、全部ご両親に返すことにする。
当時と同じカッコいい俺になるため、15kg減量した。
前に進もうとしていることを、ご両親に伝えるためだ。
彼女に最後に何と言おうか、まだ考えている。
行きの電車までに思いつけばいいのだが。
帰りの電車で、ケータイに残った彼女のメモリーを消す。
これだけはもう決めている。
68 :名無しさん:03/12/29 22:58
彼女は交通事故(相手、信号無視)で急死でした。
彼女が亡くなる一週間前。
「私がもし死んだらどうする?」と聞いてきた。
今思えば、無意識的に予期していたのだろうかと思う。
俺は「そんな死んだ時のことなんて考えたくない、まだお前と楽しい
思い出をたくさん作りたい。」と答えた。彼女は、「でもー、
人なんていつ死ぬか分からないんだし、聞いておきたいなと思って。
もし私が明日死んでも、あなたには別の人を見つけて家庭を持って
幸せになって欲しいな。だけど、心の片隅にでも、私を居させてね」と言っていた。
それから、一週間後彼女のご両親から電話がかかってきた。
急死だと・・・。目の前が真っ暗になった。
何度も夢だと良いのにと願ったりした。だけど彼女がこの世にいないのは
紛れもない事実だ。俺は今までこんなに罰を受けることをしてきただろうか。
もう生きる気力がないよ、真理菜・・・助けてくれよ・・・
122 :名無しさん:04/01/10 21:37
もう9年も経つのに未だにあなたのことが忘れられない。
電話で喧嘩して『ゴメンね』の一言が言えないままってすごく辛い。
今でも毎日あなたを考えてしまう。
辛い時、つい幸せだった何気ない日々の出来事を思い返してる自分が今でもいる。
新しい彼氏が出来てもあなたの面影を追ってしまう。
淋しくて温もりを誰かに求めても、余計にあなたが恋しくなる。
そろそろあなたが好きだった梅の花が咲く。
梅の花を見る度、あなたが思い出される。
133 :名無しさん:04/01/13 13:39
自分は六年前同じバンドやってた彼女を亡くしまた。
付き合ってたわけじゃないけど告白して
「好きだけど付き合えない」と言われバンドを抜けてしまったんです。
それから約一年たって元バンドメンバーから電話がきて病気で死んだと聞きました。白血病でした。
葬式も終わっていたんですが彼女の家に飛んで行きました。
そこで親御さんに見せていただいたのが彼女の日記でした。
俺をずっと好きでいてくれたこと、ホントは一緒に居たかったこと、なぜ自分だけ死ななければいけないのか?など書いてありました。
色々書いてありました。ただ泣き崩れる以外俺には出来なかった。
それからずっと無気力に過ごしていたんですが三年前俺を支えてくれる人に出会いました。
これまでの話を全部聞いてくれて付き合ってきました。しかし先月好きか嫌いかもうわからないと告げられました。
俺の気持ちが重すぎたんでしょう。また大事な人を無くしてしまいました。
もう何にすがればいいかわかりません。もう向こうに行ってもいいのかな?あいつは待っててくれてるのかな?
もう人を愛せないなら誰でもいいから向こうに行くのを許してもらえませんか?
152 :名無しさん:04/01/20 18:23
俺はバイク乗り。
よくツーリングに行くタイプで、
1人で目的地まで行って帰ってくる、ソロツアラー。
別に友達がいないわけじゃ無いけど、
複数の人で走るとスピードとか気にしたり、休憩するにも場所を気にしたりと気を使う。
だから俺は気楽なソロツーリングが好きなわけよ。
3年前。いつものように自分のバイクでツーリングに行った。
いつものように、初めて走る道、初めての土地でのワクワク感を楽しんで、
目的地までたどり着いた。
そこには何がある、ってわけじゃないけど景色を見に行ったのよ。
そしたら、そこに自分と同じバイク、「CB400」乗りを発見。しかも女の人。
バイク乗りなら分かると思うけど、バイク乗り達は知らない人でも結構気軽に話せるのよ。
全く知らない人に、「いい天気ですね。どこから来たんですか?」みたいな感じに軽く話せる。
女の人ってこともあってちょっと緊張したけど、話してみた。
そしたらその女性は俺んちと近い場所にあることが判明。
200kmも離れた場所で近くに住んでる人を発見って凄くね?
お互い近くに住んでいるという事で話は盛り上がり、一緒に帰ることになった。
最初から最後まで、俺が前で彼女が後ろを走ってた。
さっき始めて会った人と走ってて、妙なワクワク感があってさ、
始めて1人以外で走ってて楽しいと思ったよ。
そんな事があってから、俺はあいつとよく一緒にツーリングに行った。
今まで彼女なんて出来たことの無い俺が、女の人と二人でツーリングに行くなんてさ、
本当に楽しかった。付き合ってたわけじゃないけど本当に楽しかった。
そんな事が半年ほど続いて、俺はあいつが好きなんだとはっきり自覚した。
好きで好きで仕方が無いことに気付き、頭の中にはいつもあいつがいてさ、
他の事に集中できなかったよ。
それぐらいに好きだった。ツーリングに行って、目的地でうまいものを食べたり、
そんなことをしてるうちに俺はあいつ無しでは駄目になってしまうくらい好きになった。
本当に好きだった。
今まで人を好きになったことはあったけど、告白なんてしたこと無かった。
俺にはそんな勇気は無い。
けど、今回はどうしてもあいつを「彼女」にしたくて、告白しようかどうか迷った。
本当に迷った。この熱い気持ちをあいつにぶつけたい。
俺の心の中をあいつに知らせたい。
この想いをあいつに伝えないと爆発してしまいそうなくらいに俺の感情は高まっていた。
ある日、俺は告白することを決心。
あいつの家に行って、部屋で他愛も無い話をしてて、話が途切れたとき。
俺は「言いたいことがある。聞いてくれ。」と言った。
あいつは「ん?何?」といつものように返事をして、
これから告白されるなんて全く思ってないって顔してたな。
「お前が好きだ。俺の彼女になってくれ。」
今思えば、もうちょっと告白の方法を考えればよかったかな。
でも、もう言ってしまった。
言った後、何故か楽になったような気がする。
気が楽になったというか、もう片思いじゃなくて済む、って思ったのかな。
返事はOKだった。
「うん・・・私も、○○のことが好き。」
本当に天に昇るってくらい嬉しかった。
他人から見たら馬鹿に思われるだろうけど、そのときの俺は
飛び跳ねたいくらいうれしくて、何でもできそうな感じさえした。
気持ちが昂ぶって昂ぶって仕方が無かった。
初めての告白だったから、OKを貰った後ずーっと心臓がドキドキしてたのを覚えてる。
おいおい、20にもなってなんでこんなに緊張してんだ、俺。
付き合ってからも以前と同じように彼女とツーリングに行った。
あ、でも付き合ってツーリングの内容が変わってきたかな。
お互い親密になってきたから泊りがけツーリングとか、キャンプにも行くようになった。
田舎の川のほとりでキャンプしたんだけどさそこから見る星空は本当に
ドラマに出るようなくらい綺麗なのよ。あんなのは初めて見たよ。
彼女と一緒に見れて凄く嬉しかった。
そんなことが何回かあって、最高に幸せだったな。
ある時、彼女がうちに来ると言った。
いつもの事で、またバイクの雑談とか、今度ツーリングどこ行こう、とか
話すんだろうなーと思って部屋で待ってた。
それでさ、来るのが遅いなと思ってたら外から救急車の音がして、
まさかと思って彼女の家からうちまでの道をたどっていった。
そしたら、なんと彼女が事故っていた。
以前自分が事故った時は2週間の入院で治ったため、彼女もすぐ治るだろうと思った。
事故ったすぐ後に彼女の病院へ行った。彼女の両親も一緒に。
俺はこれから毎日お見舞いにいく生活だな、なんて思ってた。
彼女は即死だった。
そりゃそれを聞いたときは信じられなかったよ。
俺は2週間入院で全治したし、彼女の事故った後のバイクを見たけどそんなにぐちゃぐちゃって
わけでもなかったから。
多分、信じたくないから現実逃避してたんだと思うな。
母親が号泣してて、それでもまだ信じられなかったのをよく覚えてる。
次の日。
初めて親族以外の葬式に出た。
そのとき、彼女の遺体を見て、やっと現実なんだと思ったよ。
思ったものの、まだ信じたくない、これは嘘だ、これは嘘だと何度も頭の中で念じて、
何度も念じれば彼女の死は嘘になると思ったよ。
あんなに綺麗な顔してさ。本当に眠ってるように見えたよ。
ふっ、と起き上がりそうな程だったよ。とても事故ったとは思えなかった。
死んだと言うことが嘘になってくれと思った。
でもさ、やっぱりそんなことはありえないわけで、だんだんと涙が出てきて。
ついに声を上げて泣いた。
その日の夜、本当に大泣きした。
どれだけ泣いたかわからない。
だって、もう彼女に会えないんだよ?
もうあいつとツーリングに行けないんだよ?
笑いあうことも、二人で感動することも、ケンカすることも、何もかもできないんだよ?
深夜まで泣いた。
ツーリング先の写真とか見るとまたこみ上げてきて。
こっち見て笑ってるんだぜ。それがもう二度と会えないなんて。
どれだけ涙を流したのかわからない。
そんな泣いてた俺も、いつの間にか眠っちゃって。
朝、不思議な感じがした。
なんていうか、いつもどおりの朝で、「あれ?彼女が死んだのは夢だっけ?」なんて思っちゃって。
本当にそんな感じがした。
何故かずっと「夢だった」って感じがして、悲しみはこみ上げてこなかった。
夢だったような気がするけど、それにしてはおかしい。俺は昨日の夜大泣きしたような気がするのだが・・・?
俺は自分の母親に聞いてみた。
「お母さん・・・あいつ・・・あれ?死んだんだっけ?」
母親のきょとんとした顔をよく覚えてる。
「何言ってるの・・・あんた昨日葬式行ったじゃないの。」
やっぱり夢じゃなかった。
2年経った今でも彼女はどこかで生きてるような気がする。
この前、彼女と初めて会った場所まで行ったけど、いなかった。
今俺は1人ツーリング生活をしている。
走っている時に彼女のことを思い出して泣いたり、
また一緒に走れるかな、と思ったり。
また一緒に走れるかな。
178 :辛? 幸? :04/01/22 02:29
ずっとさー、幸せな家庭築いていこうと思ってたんだ。
結婚の約束だってしてたんだ。
式の日取りも決まってたし、式の招待状だって皆に出した。
向こうの両親からも良くされていて・・・。
全てが順調に進んでいたんだ。
結婚式を翌々日に控えた日、彼女は明日の同窓会に出席したいと言ってきた。
式の準備とかでそれど頃ではなかったのだが、結婚したらそうそう出席できるものではないし、
みんなに知らせたいと言う彼女のたっての希望もあったから、
式の準備はとりあえず俺が引き受けて「行ってきていいよ」って言ったんだ。
ただし、あまり遅くまではいるなよ? って条件付きでな。
翌日、彼女を笑顔で見送った俺は彼女の両親に挨拶を済ますと式の準備に取り掛かっていた。
ま、式の前日なんて実際やることは少なかったから案外早く切り上がって、
しばし時間をもてあましていたんだ。
たまってる仕事片付けようかと、休暇とったのに仕事に行くと同僚たちは皆祝福してくれ、
仕事どころじゃなくなっちまってな(笑
結局、夜もいいところまで社内にいちまったわけだ。
彼女のほうはと言うと、あんまり邪魔しちゃ悪いからメールとかも控えていたんだが
楽しくやってるみたいでさ。
まぁ、ハメ外せるのも今日でしばらくはお休みなんだから、俺もうるさく言わずに帰りを待ってたんだ。
日付が変わって、しばらくすると一通メールが来てな
【終電無くなっちゃったから送ってもらうわ】
ってさ。
今考えてみれば、どーして俺はここで「迎えに行くよ」っていえなかったんだろうな?」
送ってもらうってんなら、車とかだろって・・・
そこまでわかっていたのになんで酒飲んでることに気づかなかったんだろ?
30分後、知らない電話番号から俺のケータイに電話がかかってきた。
向こうの雑音がうるさすぎて良く聞き取れない。
かろうじて場所が聞き取れて、来て欲しいとのことだったので、車飛ばして行ったんだ。
すさまじかったわ。
バイクがガードレールに「刺さってる」って言うのかな?
車体の長さが半分くらいになってんの。
で、なんで俺はここに呼ばれたんだ?
後ろから押されるようにして群の一番前まで押し出された俺は救急隊の人にこう言われた
「○●さんの旦那様ですか?」と。
いや、正確にゃまだだけど・・・とりあえず「はい」っと答えといた。
「お乗り下さい」と言われ俺は救急車に乗せられた。
俺はワケがわからず、「俺、どこも悪くないっすよ?」なんてアホなこと言っちまったわ(笑
救急車の行き着いた先は総合病院。
隊の人に連れられて中に入ってひとつの個室の前に案内された。
・・・
ベットに横たわっている姿は紛れもなく俺の彼女。
今日、俺の妻になるべき女性だった。
ウソだろ?
みんなして俺のことからかってんだろ?
彼女のお母さんなんて、めっちゃ涙流しちゃって・・・
おいおい、演技派だな。
どこにも傷なんてないんだぜ?
顔なんて、綺麗なもんだ。
これで死んでるなんて言われたって、納得できねーよ。
どーやったら納得できんだよ!?
ロードかよ!? 虎舞竜かよ!?
今日結婚式だぞ?
当日になって、まだ俺のことからかうのかよ?
面白くねーよ! やめろよ、こんなの!
なんだかよくわかんねーけど、俺、そんとき涙も出なかったよ。
翌日、全てがわかった俺は大変だったよ。
式場の予約取り消して、集まってくれた皆に謝って。
クタクタになって家に帰って一人になったら、急に涙が出てきてな・・・。
とまらねーんだよ。
いつまでたっても、ずっと俺泣いてんの。
もう、馬鹿みたいにずっと・・・。
俺さ、これで彼女に死なれたの3回目なんだ。
自殺・事故。
で、さらにこれ。
もう、俺に女の人と付き合う資格ないよな。
死神みたいなもんだもんな、俺。
218 :名無しさん:04/01/26 06:59
そろそろ二年になるな
お前が死んでからというもの、俺は全然モテなくなってしまった
あの世からなんか呪いでも掛けてるのか?そんな事しなくてもお前の事は忘れないのに
あと死ぬ直前に俺のこと嫌いって言ったけど
そんなこと言ったって嫌いになれるわけないだろと
お前嘘が下手なんだよ
219 :名無しさん:04/01/26 17:05
昨日、久しぶりに父親の月命日の墓参りに行ったら
同じ敷地内の墓地に女の人が一人、ある墓の前にぽつんと座っていた。
よく見るときれいな20代後半くらいの人で、泣いていた。
一瞬で「ああ、この人は大事な人を失ったんだ。」と分かった。
気になって様子を見ていると、青白い顔をして静かに泣いているようだった。
声をかけられる雰囲気ではなく、俺は一通り掃除をし、線香をあげた後
帰った。
それは午前10時頃の話だが、4時にうちの妹が同じく墓参りに行ったところ
まだその女の人は墓の前にいたそうだ。
この寒い中、一体いつまでいたんだろう。
儚げでまるでドラマを見ているような気分だったが、実話だ。
あんなにきれいな人だったらすぐにいい人が現われそうなものだと思うが
そんな風にはいかないんだろうな。
221 :前スレ741:04/01/27 01:12
久しぶりでつ。
2004年1月17日午前5時46分は亡くなった彼女の墓前で迎えた。
4月に結婚する予定の、今の彼女を連れて。
あの日の神戸の町は、今でも忘れない。
倒れた阪神高速、波打つ線路、跡形もなく崩れた家々・・・
そして、穏やかな死に顔のあいつ。
とても辛い思い出だけど、決して忘れる事はない。
251 :名無しさん:04/01/31 08:40
ちょっと私には優しいことは知っていた。
でも、自分に自信がなかった。
卒業したら父が転勤になることがわかっていた。
付き合うって、どんなことかわからなかった。
言わないまま卒業して、その後初めて聞いた消息が、死亡記事だった。
お葬式に行っても、中に入れなかった。
一方的な思いでも、そうやって終わってしまうのは辛い。
よくあることかも知れないけど。
高校1年でした。
20年たっても、旦那がいても、思い出すと辛い。
自分が子供だったことも含めて。
257 :名無しさん:04/02/01 01:18
22歳という若さで亡くなったケンジくん。
今でもケンジ君がいた日々を忘れられません。
ささいなことで喧嘩して意地を張り連絡しなかった矢先に亡くなってしまうなんて...
共通の友達から「あいつ死んだ、お葬式どうする 土曜日なんだけど」なんて連絡が来たときは
絶対からかってると思ったよ。直接連絡出来ないからって友達使って悪趣味な事して!なんて感じた。
まさか本当に、なんて すごく元気だったじゃない...
毎日つらくて隙間を埋めるように仕事もしてアルバイトもして必死に暇をつぶしてた。
暇さえあれば泣いてしまっていたから...
そんな私ももうすぐ30歳のおばちゃんです。あれから8年...結婚もしましたが上手くゆかず離婚してしまいました。
今も夢の中のような現実感のない空虚な毎日です。
悲しいまま逝かせてしまってごめん。
天国で寂しいなら私を連れてっていいよ。
296 :名無しさん:04/02/04 03:31
高校生のとき初めてつき合った人は、事故で亡くなった。
もう、10年以上前のことだけどな。
今思うとままごとみたいにも思えるけれど、
当時は本気で、私が20歳になったら結婚しようと、お互いに約束してた。
彼は既に社会人で、職場の慰安旅行で海外旅行に行ったんだ。
当時まだバブルだったしな~
で、水の事故にあって帰ってこなかった。
知らせを受けた翌日、朝、目を覚ました時、
普通に目を覚まして、今日帰ってくるんだったな~とか一瞬思ったけど、
直後に、アア違うもう帰ってこないんだった、
と思い出して泣いたのを覚えてる。
それと、短大行って資格とって就職して、
貧乏でも2人共働きでがんばろうなっていう、計画が、
夢かな、が全部パーになったのはさみしかった。
10年くらいの間は、たまに会いたい気持ちが急に溢れて泣くこともあった。
亡くなった彼のことを忘れてしまうことはないと思う。
でもこのほど縁あって結婚が決まった。
全然タイプも違う人だけど、とても好きだし、私は幸せになるんだ。
もう思い出話する機会も無いだろうから、
ここに書かせてもらいました。
300 :300:04/02/04 21:39
一昨年のこと、テレビで彼女の借りてきた映画を見ていると
彼女が「妊娠したみたい」と僕に告げた。
そういうと黙りこくった後、「しかたないね」と彼女はため息をついた。
その時、僕らは大学3年で、経済力やその他の事情を考えると産めない事はお互いわかり過ぎてた。
物分かりの良い僕らは、「しかたないね。」と
そーなんども確認しあうだけで、具体的な事は何一つ言えずに、
二人に見られていない事に気付かずにライフ・イズ・ビューティフルはクライマックスへと向かっていった。、
僕はこの映画が終わるまでには、僕は言わなきゃいけないんだと腹をくくった。
少年が戦車の上で笑った時、
「頼むからおろしてくれ」そう彼女にお願いした。
彼女は「しかたないね」
そう、さっきまでと何かを変えてしまわないよう、でも少し震えたような口調で言った。
彼女は子供をおろし、何事も無かったかのように普段の大学生活に戻った。
僕はその時に、消費者金融から借りた金を返す為にバイトを増やした。
それでもなんとか大学生活とバイトの両立をさせた。
ただ彼女と会う時間は当然短くなった。それでも彼女は、また「しかたないね」と言ってくれた。
それからだいぶ時間がたち、去年の暮れ二人で酒を飲んでると、
酔って少しロレツの回らなくなった彼女が、
「私、人殺しでーす。。。ちょっと前なら尊属殺人の重罰規定で死刑または無期懲役なのに、
こんなところでのうのうとお酒のんでまーす」って言った。
半分笑いながら、半分泣きながら、そう言った。
「おまえが殺したんじゃないよ。俺が殺したんだよ、
おまえほんとは産みたかったんでしょ
でも俺が無理に頼んだからおろしたんだろ。
おまえが悪いんじゃないよ」と
多分酔ってて言ってもわからないだろなと思たけど、そう言った。
「でも、結局おろすの決めたのはわたひだからねぇ」
今度は泣きながら言った。
まだ気にしてたんだ・・・と思たけど、その時はもうそれ以上何言っても無駄だと思ったので
彼女の話に頷くことにした。
そして、今年になって15日目、彼女は自殺した。
遺書に「私は私の量刑に従います。」とかかれていて、
長い空白のあと、本当にありがとう。ってだけ添えられてた。
310 :名無しさん:04/02/05 00:10
純愛板から誘導されてきた。
彼女が亡くなってから4年経った。
当時、体が弱いことを知っていて付き合っていたのでなんとなく覚悟していた
ので亡くなった時は、あんまり苦しまないでよかったなって思った。
案外泣けないもんなんだなって不思議だった。
葬式が終わって、彼女の母親から彼女の手帳に書かれた日記を渡された。
帰りの電車の中でそれを読んだ。
漏れに対する不満、要望、デートの時の感想、自分の体のことがびっしり
書かれていた。
電車の中だったけど、号泣した。とても目的地まで乗っていられなくて
途中の駅で降りて、その駅のトイレで泣き続けた。
駅員が不審がって尋ねてきても答えられずに泣いた。
人生のなかであれほど泣いたのは最初で、最後になると思う。
今はもう違う人を好きになって、案外幸せにやっているけど、
彼女の書いた日記と病院で一緒にとった写真は一生持ち続けるつもりだ。
316 :名無しさん:04/02/05 12:25
3年一緒に過ごした彼、バイクが大スキだった。事故って死んだら困るから乗らないで!
乗るときは絶対一緒だよ!っていってた私。
進学で離れ離れになって、マメに会うことなんてできず、彼は一人でバイクに
乗っていて単独事故を起こした。
久しぶりの対面は、全身傷だらけで動かない、目も開かない、人工呼吸機を
つけた彼だった。
何日も意識が戻らず、私は毎日病院に通い、手を握って話しかけたり、
奇跡を期待したり、でも、意識は戻ることなく7日後、帰ってこない人に
なってしまった。事故から3日後、一度だけ、握った私の手を握り返し、
涙を流した彼。私の見た彼の、最初で最後の涙でした。
毎日病院に通っている中で、私は体調を崩した。疲れてるんだな・・・って
はじめは思ったが、妊娠だった。
消えそうな命と、生まれてきた命に挟まれて私はとても困惑した。
無力になった。
彼がなくなって2週間後、新しい命も、パパの後を追うように
いってしまった。
その時、本当に一人になったんだな・・・って感じた。
心に穴が開くってこのことを言うんだな・・・って思った。
私は彼の葬儀に出ることもできませんでした。
涙ってこんなにでるんだ・・・
ひとりになるってこんなに悲しいんだ・・・
彼とのたくさんの思い出ばっかりよみがえってきて、
どうにもできなかった。
もうすぐ彼がなくなって8年になろうとしている。
私は去年バイクの免許を取った。バイクも買った。
バイクに乗るたびに彼を思い出す。
こんなふうに風を感じていたんだな・・・とか一人で乗るなって言った癖に
バイク乗ってる私を見て怒ってるかなとか、色々思う。
彼の乗れなかった分、私がいっぱい乗るからねって思って
私はバイクに乗っています。
415 :名無しさん:04/02/11 06:44
彼女が亡くなってもうすぐ2か月になります。
なぜあの日電話でもう眠いって言ってた彼女家に呼んだんだろう。
片道1時間もかかるのにあいつうれしそうな声で「うん、行く。ちょっと待ってて」って。
会うの久しぶりだったから俺もあいつもすげー楽しみって電話で話してはしゃいでた。
なのに何時間待っても来なくて・・電話もつながんなくて。あいつん家電話しても誰もでなかった。
次の日になってからだった、事故ったって聞いたの。彼女の車反対車線に飛び出してトラックと正面衝突したって。
本当に信じられなかった。信じたくなかった。
死んだって聞いた時は泣き崩れるって言うか人前だったけど抑えることできなくて声上げて泣きました。
辛かったよね、痛かったよね。お前痛いことほんと嫌いだったもんね。
ゲームで負けた俺にでこピンするするくせに自分絶対させんかったもんな。
色んなことして遊んだね。馬鹿やってはしゃいで。おもろくもない俺のギャグいつも笑ってくれた。
我慢できないところもわがままなところも気にしてた小さな胸も何もかも、お前の全てを愛してた。
会いたいよ。さよならもありがとうもまだ言ってないよ。他にも言いたいこといっぱいあるんよ。会いたい・・
もう2か月経つのに頭から全然離れない。そう、今月8日で俺ら付き合って3年だよ。
一人でケーキ2個買ってきて食べた。3年記念おめでとう。そばにいる気がしたよ。これからもずっと好きですって誓った。
この気持ち一生変わらない。ただお前と愛し合えたことで、俺の人生変わった。幸せだった。
この気持ち天国まで届いてほしいな、いつか笑顔で会えるように
453 :名無しさん:04/02/13 14:49
小2のときだったかな、笑顔のかわいい子がいたんだよ。
その子の事が好きだった、あれが初恋だったんだな、きっと。
1学期の終わりに父親の仕事の都合で引っ越しちゃった。
まだ子供だったし内気だったからね、好きだとも言えずにお別れ。
引っ越して行った次の日地方新聞に彼女の事が載ってたよ。
彼女の乗った車が事故にあって家族全員死んじゃったって。
471 :名無しさん:04/02/15 23:45
愛する彼女が亡くなったのは先月16日。
知らされたのは今月四日。
死因は肺癌だった。
四歳年下だった23歳の彼女。
俺と別れてから結婚してた。
俺は結婚したと知るまで、思い続けて何かしらのつながりを持っていたかった。
結婚の話は正直ショックで、嘘だと思いたくて非通知で彼女に電話したりもした。
今月の頭、彼女の旦那から封書が届き彼女の死を知った。
若すぎる死…。
俺と付き合ってる頃から胸が痛いと言っていた彼女…。
一生忘れられないよ。別れた理由が理不尽なだけに悔しい。
おまえは俺じゃなきゃダメだったのにな…
481 :名無しさん:04/02/17 22:23
大学に入った直後、恋人の朋美が自殺した。
その3週間後、朋美の母親が、遺品の日記と一緒に俺宛の手紙を
持って訪ねてきた。父親が勝手に結婚を前提とした見合いを
決めて強行しようとした事に耐えられないと日記に書いてあったこと、
朋美から「M君(俺のこと)がGWに交際の報告をしに来る。
大学卒業後には結婚したい。」って聞いていたのに
父親を止めれなかったこと、自分達(朋美の両親)も駆け落ち同然で
結婚したのに、俺と朋美につらい思いをさせてしまったこと、
父親が俺を逆恨みして告別式に呼べなかったことなどを泣きながら謝られた。
何も言えず泣くことしか出来なかった。手紙には
「結婚の約束守れなくてごめんね。後を追ったりしないでね。
生きて幸せになってね。お父さんのこと、恨まないでね。
私の心が弱かっただけだから。私の最後のわがままだから絶対に守ってね。
M君に出会えてよかった。M君が最初で最後の人でよかった。
愛し合えて嬉しかった。私は幸せだったよ。ありがとう。」って書いてあった。
俺も愛してたし、幸せだったよ。ありがとう。
8年経った今読んでも涙が出てくるし、朋美のことは忘れられないけど
大事な思い出になるよう頑張ってるぞ。もし会えたならいつもの笑顔で
「頑張ったね」って褒めてくれよな。
555 :当スレ281:04/02/20 12:28
躁鬱、および統合失調症を患っていた恋人が自殺しました。
事件からひと月近く経ち、
友人知人、お世話になった方々にこんなメールを送りました。
--------------------------------------------------
前略
まだまだ寒さの厳しい毎日ですが、徐々に春の足音も
聞こえてくるような気がいたします。お変わりなくお過ごしで
しょうか。
私の後輩であり、恋人であり、婚約者であった○○○は、
1月29日の午後6時30分頃、ビル6階からの飛び降りという
形で、30歳の人生を自ら絶ちました。
早いもので、すでに3週間もの日が経過してしまいましたが、
まだ私の中ではそれを現実として受け入れることができずに、
皆様へのご報告が遅くなりましたことを、深くお詫び
申し上げます。
ひとには深い優しさをもっていた彼女が、
自分に対しては常に妥協を求めずに心身を律し、極限まで
その存在を追い込んでいたこともあっただろうということは
想像に難くありません。また、そういった状況を理解しながら
本当に自分は彼女にとっての支えとなることができたのかと、
自問自答を繰り返し、自分の無力を嘆く日々です。
○○家のご家族には言葉で言い尽くせないほど
感謝しています。
事件後に私が駆けつけてから、通夜・葬儀に至る一連の儀式が
終了するまで、ずっと彼女のそばにいさせてくれたことは
もちろん、家族でもない私を親族同様に接してくださり、
ご遺族にも「娘の婚約者である」とご紹介していただきました。
特に、彼女のお母さんは、○○が中学生の時に父親である夫を
亡くしており、それまで女手ひとつで彼女を育て上げて
きました。○○がいちばんの自慢の娘であったこともお話して
いただきました。
このような事に順位付けなどできるわけはありませんが、
今回のできごとにおいて一番悲しいのは間違いなく
お母さんです。彼女に対して私は何ができるのか、
何をしなければならないのかを考えています。
皆様からは本当に暖かい言葉とお気遣いをいただきました。
私は、彼女のあとを追ったりはしません。
それによって生み出されるものは、新たな悲しみだけですから。
私は、いま自分が生きていることに感謝しながら、
○○が悲しまない、○○に怒られない人生を送っていかなければ
ならないのです。
○○は、まだ私の心の中で生き続けています。
みなさんにおいても、そうである事をお願いしたいです。
乱筆乱文を心からお詫びいたします。
皆様もどうか、風邪などひかぬように、お気をつけてお過ごしください。
草々
平成16年2月20日
名無しさん
605 :名無しさん:04/02/26 03:23
久々に来ました。
彼を亡くして以後10年、未だあの人を超える人はいない。
だって奇麗な思い出だけ残して先に置いていくんだもん。
すっごくずるいよ。
気がつくと彼の残像を求めるかのように彼にちょっと似た
タイプの男性ばっかり付きあってる。で、やっぱり違うんだと思い知る。
自分でもばかだなーって思うし相手にも失礼だとわかっているのに。
…早く人生終わらせたいよ。
610 :名無しさん:04/02/27 15:14
「彼女が子供ができたかも・・・」と真顔で相談してきたので、
その場の雰囲気に耐え切れず、ジョークで
「っで誰の子?」っと言ってしまった。
彼女は泣きながら部屋から出て行った。
電話してもメールしてもリアクションは無し。
そしたら次の日、彼女の友達から、彼女が飛び降りた事を知らされる電話あった。
「遺書とかあったの?」と聞くと無かったと答えた。
「何で?」と思わず俺が聞くと、その友達は「わからない」と涙声で答えた。
電話の友達が「何か(原因)知らない?」と聞いてきた時、おもわず、
「わからない・・・」と答えてしまった。
何食わぬ顔して、葬式にもでて、当たり前のように泣いた。
おなかに子供いた事を聞かされて、また顔して泣いた。
彼女の死を伝えてくれた彼女の友達と今付き合っているんだけど、
彼女は「何か隠してない?」と最近聞いてくるようになった。
今の彼女を心から愛しています。
どうすればいいんだろう。
755 :名無しさん:04/03/19 18:52
私が前に勤めていた会社の経理の人が亡くなった。
歳も離れていたし孫みたいに可愛がられていたから
亡くなった時はとても悲しくて、泣きじゃくったの
覚えてる。お通夜にも行ったし、勿論会社の人間と
告別式にも参列した。
温厚で誰にでも親切だったAさん。若いころはさぞかし
もてたことだろう。なのに彼女は独身でどうしてなんだ
ろう?って不思議に思っていた。
棺の中の彼女はウエディングドレスを着ていた。
彼女の友人が作ったものだそうだ。
彼女を見送る友人たちは涙を流しながら
「綺麗よ、ようやく●●さんと幸せになれるね」
と言っていた。
彼女は若いころに婚約者に先立たれていた。彼女が亡くなった
のと同じ白血病だったそうだ。以来彼女はどんな殿方が声を
かけてもずっと婚約者のことを思い続けてのだそうだ。
40年間もずっと彼を想い続けてきたんだなぁ。
でも彼女は暗い影を落とさず、いつも明るかったよ。でも
どうして独身なのか?っていう問いには寂しそうに微笑む
だけだった。
きっと向こうで幸せになったんだな。
757 :名無しさん:04/03/19 21:36
まだ彼が出てくれる気がして電話かけちゃうの。
もらったメールも全部保護してあるの。
借りっぱなしのCD、ずっとこればかり聴いてるの。
桜が咲いたらお墓参りにいこう。
喜んでくれるといいな。
764 :名無しさん:04/03/20 17:06
俺のばぁちゃんが入院した。毎日お見舞いに行ってた。
すると相部屋だった女子大生に一目惚れしてしまった。3歳年上
俺は毎日お見舞いという口実に(ばぁちゃんごめんな)逢いに行ってた。
ばぁちゃんが3ヶ月して退院した。
俺は困ったさ。でも、最初はとぼけて「あれ?退院したんだっけ?」とか
言って逢いに行ってた。
その女子大生は寝たきりだったので俺を快く(だと思う・・)招待してくれた。
次はいつ来てくれるの?ってな感じで。俺はその言葉を聞くと毎回のように涙がでた。
一緒にいれるんだ、またこの人とお話しできるんだって。すごい幸せだった。
彼女はまったく自分の体のことを言わない。どういう病気なのか怪我なのか。
俺も相当元気だった彼女を全く心配してなかったよ。だって元気だったもんな。笑ってたもんな。
テストが始まり1週間俺は病院には行けなかった。
テストが終わり俺は病院に行った。白血病だった。昨晩彼女は死んだんだって。
俺は倒れた。涙は不思議とでなかった。しかも俺は半笑いだった。
彼女のベッドの横に俺は立って、たった1週間の間に変わる部屋の匂いをかいでいた。
ありえないよな。だって1週間前だぜ?テスト終わったら逢いに来てよ?って言ってただろ?
何でいないんだ?なんか変じゃないか?ずっと俺はそんなことばかり考えながら家に帰った。
翌日、学校を休み葬儀に行った。
なんだあの空虚感は。火葬場へ運ぶ前、コピーしたお金やら彼女の化粧ポーチなどを入れた棺を目の前にして
俺は彼女の冷たい手を握ってお礼を言って謝った。
葬儀の後、家族の方からお礼を言われ彼女が生前につけていたクロスのネックを手渡された。
俺は大好きだったが逢いたいってゆう自分の気持ちしか考えられてなかったよ。
君が逢いに来る俺をみてどう思ってたんだろうか。
いつまでこうしていられるのかってずっと考えていたのかな。
俺の事なんか好きじゃなくてもいいよ、そんわけないし。
でももし俺が生きている間に、いや死んでからもいい。
一度だけ直接お礼したい。ありがとう。本当にありがとう。ってさ。
777 :名無しさん:04/03/21 17:58
今週、彼女が亡くなってから8年が経ちます。
いつの間にか、33歳。
同級生だったはずなのに、自分だけおっちゃんになってしまいました。
逢いたいなー。
ほっぺたをぷにぷにしたいなー。
ぎゅっと抱きしめたいなー。
自分は、生きてます。
明日、死んでも構わないけど、死ぬまではきちんと生きていくつもりです。
早く逢いたいけどねー、それまでは待っててくださいな。
783 :名無しさん:04/03/22 01:31
去年の9月に、初めての恋人が事故で死んだ。
高速道路で、トラックにひかれた。即死。
しかも、そいつの誕生日の日に。
遠恋だったから、プレゼントも宅急便で、
「もう宅急便届いたかな?」って携帯にメールしたら、
お兄さんから返事が来て、はじめてその事実を知った。
涙はふしぎと出てこなくって、お葬式の日程をぼんやりきいてた
死んだとは、どうしても思えなくて、死んだ朝も携帯に電話して、
「おはよう」って声を聞いたのになぁって思って。
相手の住んでるところは東京で、自分は三重。
しかも私は工房で、親が東京行きを許してくれなかったけど、
無視していった。後悔するからって思って。
夜行バスにゆられながら、何度も何度も携帯に電話する。もうだれも出ない電話
何度も何度も携帯にメールを打った。もう見ることはできないのに
そして、東京の彼の実家に着いて、お葬式に参列した。
お葬式のあいだも涙はでなかった。やっぱり泣けなかった
ほとぼりが冷めて、彼の家族に「彼の顔が見たい」と言った
向こうはしぶってた。なんでかなぁってちょっと不思議に思ったら、
顔も、体も原型を留めてなかった。それでも愛しいと思えた。
彼を目の前にして、1時間ぐらいぼうっとしてた。どうしても泣けなかった
彼のお兄さんがずっと棺桶の前に立ってる私を無理やりすわらせて、
あったかい缶ココアをさしだしてくれたとき、はじめて泣いた。
湯気がみんな隠してくれると思って、いっぱい泣いた。
793 :TW使い ◆TW33pX0JSg :04/03/24 12:14
先日、最愛の妻に先立たれてしまいました。
私は全力で妻の事を心から愛していましたし、妻も私を愛してくれていたと思いま
す。
全くの健康体だったのに突然の急死に未だに現実感も湧かずに、毎日が過ぎていって
います。
妻のことが愛しくて愛しくて、会いたくて、話したくてたまらないんです。
本当に仲が良くて、妻が亡くなる当日の朝だってキスをして玄関先で見送ってくれた
のに。
人の死、それも最愛の人間の死なんて考えた事もなかったですし。死別なんて悲しす
ぎる。
私の転勤で地元の横浜から見知らぬ土地である静岡に来ても、
明るく振る舞い私に尽くしてくれていた妻でした。
知らない土地で二人っきりで支えあってやっと慣れてきた所だったのに。。。
「他人の悪口を言うと自分に帰ってくるから言わない」って良く言ってたな。
老人になったら二人で手をつないで、
お買い物に出かけられるような夫婦でいようね、って約束していたのに。。。
一日三箱も吸うヘビースモーカーだった俺の体を心配して、
必死で止めてって言うから、物凄く苦労して煙草だって止めたのに。。。。
凄く素直で真っ直ぐで、俺にとって、妻であり
叱ってくれる姉であり、甘えてくる妹であり、
優しく包んでくれる母であり、何でも話し合える親友でした。
夜に妻と過ごしていた部屋に一人でいると狂いそうに寂しく、そして悲しくなってし
まいます。
いっその事、「自殺して妻の後を追いかけよう」などの馬鹿な考えも出てきてしまい
ます。
子供はいない代わりに妻が可愛がっていたポメラニアン(可愛いですよ)の事を考え
るとそれも出来ませんし、妻が悲しむだけですから。
いい年して我ながら情け無いですけど。。。
写真を見ながら、運転してて思い出の場所を通ったら、
一緒に買い物したお店に行くと。。。
常に思い出して馬鹿みたいに毎日ボロボロ泣いています。
先日、二人で暮らしていた静岡から、本社のある横浜に戻りました。前に
住んでいた時は二人で一緒に静岡に行って、手続きも二人一緒、戻る時の手続きは役
所も引越しも何もかも全て一人。物凄く悲しかったです。自分の将来のこと、何も考えられません。
来月からの復職する仕事に対する不安だけがあります。
仕事で嫌な思いをしても、その場で携帯で電話ではなすとがんばれ!励ましてくれて
た優しい妻。
家に帰って仕事の愚痴、相談をすると前向きな意見を教えてくれた出来た妻。
そんな、妻のいない状況で仕事するのが怖い。
将来の事、1ヶ月先の事さえ考えられない。
煽り、煽られで2ちゃんねらーだった俺を、
「馬鹿なんだからー」って言って
うしろで苦笑いして見守っていてくれた妻がいないのが
どうしようも無いほど悲しいです。
こんなに悲しい思いが人生にあるなんて思ってもいなかった。
結婚前は結婚に夢を持ちすぎると後で後悔するって
周りの人に言われていて覚悟していたんですけど、
結婚前よりも妻を好きになるくらいの結婚生活でした。
6年も経っていたのに。
「結婚前よりも後の方が幸せ、新婚の時よりも今のほうが幸せ。
常に今が一番幸せって言えてるから、私って本当に幸せなんだな」
って言っていました。私も心からそう思っていました。
俺とは最後の最後まで携帯で話していた。
妻は亡くなる二日前に受けた健康診断も異常無しで、
亡くなる当日って言うか、
亡くなる瞬間まで私と携帯で普通に話してた。
俺が車で移動中、短期派遣で仕事中の妻の携帯に電話して
「今日、忙しいから帰り遅くなるよ、嫌になっちゃうよ」って
話していて妻が「そーだよねー」って言った後に
声が聞こえなくなって・・・・・
返事が聞こえなくて電波が悪いのかと思ったら、
職場の人が出て、「奥様が倒れました」って。
救急車が5分で着いたけど、心肺停止していて、
そのまま蘇生しなかった。
俺もすぐに病院に駆けつけたけど、
そのまま冷たくなりかけた手を握って、
名前叫んでも返事がなかった。物凄く悲しかった。
妻の手は、俺の手の中でどんどん温もりが失われて行った。
俺は、手を握り締めて泣き叫ぶ事しか出来なかった。
自分が死んだ事に多分、気が付きもしないで逝っちゃったんだと思う。
それぐらいの心臓関係にしては苦しまない一瞬の即死だったらしい。
過呼吸→急性不整脈→静脈瘤破裂だと、あなりない、珍しいケースだけど
一瞬での即死になるらしい。苦しみも味あわず。
予防も予測も出来ない、持病も無かったから何も出来ない。
でも、もっといい暮らしさせてあげたかった、
欲しがっているもの、全て買ってあげたかった。。。
他人が羨むような暮らしはさせていた自負はある。
だけど、もっとああしていたら、とかもっとこうしていたら、って思いが消えない
810 :名無しさん:04/03/29 06:46
おはようございます。今日、初恋の人が夢に出てきました。
夢の中の、制服姿の彼は元気に自転車を押しながら、
「チャリはやっぱりダサい。早くバイク乗りたい」って言ってました。
彼はバイクや車の免許をとることも、おおっぴらにお酒を飲むことも、成人式に出ることも出来ないまま逝きました。
目が覚めた時、20歳の彼の姿は誰がどんなに願っても見ることが出来ないんだなと、改めて感じました。
夢の中では同じ学校の制服を着て、普通に喋ってたけど、
本当ならもう普通に喋り合ったりすることも、笑った顔を見ることも出来ないということ。
彼はずっと制服姿の年齢のままで、なのに私は彼よりももう5つも年上になってしまったこと。
頭の中ではわかっているはずだったのに、またぐちゃぐちゃになって久しぶりに泣きました。
本当なら今頃彼は背が180越えていたかもしれない。
車でいろんなところを遊び回ってたかもしれない。
すごい大学に入って女の子にモテモテだったかもしれない。
「本当なら」が全部、何があっても叶わないのが、現実なんですね。
悔しくて、悲しくて、怒りに似た変な気持ちになるけど、変えられないんですね。
叶わないならせめて、天国では誰よりも幸せになってほしいな。
素敵な恋をして、いっぱい笑って、生きてる内に出来なかったこと全部、好きなだけやってほしい。
思い出の中でも、夢の中でさえもあれだけいいやつだったんだから、幸せになれないわけがないとは思っていますが…。
なんか言いたいことを全部思いのままに書いたので、文が変だったらごめんなさい。
811 :名無しさん:04/03/29 17:07
去年、2年半付き合っていた彼氏が自害しました。
仕事で失敗したわけでもなく
別れ話があったわけでもなく、まるで前触れも無く。
遺書には「幸せになって」と書いてありました。
来月納骨があるので、徐々に精神的に不安定に
なってきました。
円満に結婚し、赤ちゃんもできた兄が
最近やたらと実家に帰ってくるので
この時期は来るのは控えて欲しいとお願いしたら
両親に怒られました。
一生、実家に帰ってきて欲しくないと言っている訳でもなく
納骨が控えてて「幸せそう」な姿を見るのは
辛いのです。
それが両親には理解できない!精神病院へ行け!と言われました。
私の身内には誰にも味方が居ないんだと。
何か、全てがどうでも良くなりました。
今まで「後追い」だけはしないと、周りの人を
悲しませてはいけないと思っていたのですが・・・
最近、どうやったら楽に死ねるのかそんなのばっかり
考えてます。
前のレスで何人かの方が
書いていらっしゃいましたが、死ぬのは怖くないです。
向こうに彼が待っているというのは変な話
心強いものですね。
815 :Lucifer:04/03/29 20:00
このスレ読みました。 やはり、同じ境遇の人は沢山いるもんだなと思った。
僕も、先月末、彼女を看取った。
6年つきあって、今年結婚しようって約束したのになぁ
30代で逝くなんて・・。
原因は悪性直腸ポリープ。
2年前から手術と入退院を繰り返していたが、
ずっとそばにいて付き合っていた。
彼女といると落ち着くし
彼女という存在は、世界に一人しかいなかったし
ほぼ、毎日電話かメールで『愛してる』って
言ってた。 それは、つきあった時の条件だったからな。
今も色々考えてしまうよ。
街中を歩いても、どこへ行っても
もう、彼女の体はないのだからなぁ
そして、最大の悔やみは
彼女に余命宣告ができなかった事。
向こうの家族の意向で、言えなかったんだ。
最期が来る事を。
彼女が眠るベッドを前にしても
溢れる涙を無理に止まらせ
唇をかみしめ・・
笑顔で
『治って、春になったら、お前が好きだった
六甲牧場へ行こう!』
って。
最期まで、彼女は生きられると信じて
夜明けの朝日に照らされて逝ったヨ。
人間ってあっけないものだな。
儚いものだ。
だから、死と生について 今は沢山考えてるし・・自殺も考えてる。
今、死と生の間でどちらかを選べといわれれば、『死』を選ぶかな。
841 :名無しさん:04/03/30 14:37
幼稚園、小学校、中学校と一緒に育った彼。
小学3年生まではいつも一緒だった。
一緒に登下校、親がいない日は一緒にお留守番。
小学3年の頃からはじめたサッカークラブに夢中になった彼。
活発でげんきんな彼は学校の人気者だった。
小学6年生の時、友達らのお節介もあって彼と付き合いだした。
けど、その付き合い方は今までとかわらない。
そのまま中学生になり、私も小学生からしてたミニバスを続けてた。
彼は、今までとかわらず人気者で、小柄ながらにもすぐにサッカーのレギュラーをとっていた。
両親が背が高いからいつも「俺もぜってーでかくなるんだ」と言ってたの覚えてる。
だけど中3の時、学校にこなくなった。
若い癌だったのだ。
葬式では中学の周りを霊柩車がぐるりと走った。
クラスの皆も校庭がみえる位置で1分間の黙祷をした。
結局、背の高くなった彼を見ることは永遠になくなった。
19になった今も彼を忘れることができない。
843 :名無しさん:04/04/01 02:10
ふと、ね。
「彼女を亡くした不幸な自分」に酔ってるだけじゃないか、
って思う時があるんだ。
本当はもう大分回復してるのに、ダメな自分を正当化する為に
いまだに酔った気分に浸り続けてるだけなんじゃないかって。
実際、嘘みたいに楽な気分になれる時もある。
…だけど、それは片時の事。
思いだしたなら今でも辛い。辛い。会いたい。
846 :名無しさん:04/04/02 22:26
他のケースとは違うかもしれないけど。
初めて高校のとき付き合った相手が18歳年上。
幼かった自分は彼に一気にのめり込んだけど、彼は
「年齢が違いすぎるから。普通の恋愛は無理だよ」って私を突き放した。
「俺は一緒にいてやれないから、同世代の彼氏つくりなよ」って、って彼の言葉に流されて、
同世代の男の子と同時進行で付き合ったりした。
それでも彼は私を好きだと、別れようとはしなかった。
私も彼が無条件に私を受け止めてくれるのが心地よくて、
精神的には彼に頼りっぱなしだった。
19になって同世代の男の子を本気で好きになって、年上との彼氏との関係を清算させようと決意した。
彼は急に「結婚してくれ。お前なしでは生きていけない」って・・・
私の気持ちは揺らいだけど、変わらなかった。
次の彼に悪いから、二股なんてできない、って。
今まで心地よかったけど、これは恋愛じゃない、って。
彼は私を追いかけて、何度も何度も復縁を持ちかけてきて、
私はある夜寂しさを紛らわすために、彼を私のアパートに呼んでしまった。
セックスはしなかったけど、私は半年振りに会った彼が急に老けてて、
私は何てことをしてしまったんだろう、って次の日自分のしたことの大きさに気付いた。
それから彼から電話が来ても、出なかった・・・
狂ったように何度も、何度も電話が鳴った・・・
半年の月日が過ぎて、彼の友達からメールが入った。
「彼死んだよ」。
明らかに事故に見せかけた自殺だった。
半年会ってない彼に会わす顔がなくて、お葬式には行かなかった。
彼の友達が「彼の部屋にお前に渡すもの、って書いてあるダンボールがあったから渡したいんだけど・・・」
って電話が入って、受け取るために会うことをOKした。
私は彼の友達に「彼、最近どんな感じだった?」って聞いた。
「言わなくても、想像つくでしょ?」って返された。
そして「ね、これなんだと思う?遺品から出てきたんだけど」って指輪を見せられた。
見覚えのある指輪だった。
彼は私にあだ名を付けてくれてて、別れる別れないで揉めてたときに、彼は私のあだ名を
内側に彫った指輪を作った。
私はもう別れたかったので気味悪かったけど、彼は肌身離さず身に付けてた。
「私を一生愛する証」って。
彼の友達が「アクセサリーとかするやつじゃないから、不思議に思ったんだけど、
これと同じ指輪をあいつしてたんだよね。死んだとき」
私はパニックで大粒の涙がこぼれた。
悲しみじゃなかった、最後まで彼が私のことを考えてたかと思うと・・・
850 :名無しさん:04/04/03 10:19
いきなりですみません。
僕は中3の時、新設された部活に入った。新設されたばかりで
メンバーは6人。新設していきなり大会が目前にあったので、
僕らは一生懸命だった。大会は初出場ながら好成績。
大会が終わってからそんなに多忙ではなくなって、少し余裕
が出てきたとき、その部活にいた女の子と仲良くなった。
部活中は相変わらず忙しくてあまり話す機会はなかったけど、
放課後は毎日のように電話をしたり、時には遊んだりしてい
た。お互いがお互いに告白した訳じゃないけど、友達以上の
関係だったと思う。
季節が過ぎ...中3の秋が始まろうとしたころ、その子が急に
学校を休みがちなった。それでも放課後の電話は続いていたし、
当時の僕にはそれがとても明るい声に聞こえたので、あまり気にせず
半分冗談交じりに「あんまり休んでると、進級出来なくなるぞ」
などと言うだけだった。
そして季節がまた過ぎ、高1の春。中高一貫校なのでみんなエスカ
レーターで上ってきているはずの、クラス分け名簿にその子の名前
がなかった。驚いて電話してみると、出席数が足りなくて進級出来な
かったとのこと。
僕はそのとき
「出席数くらいなんで数えて登校しなかったんだよ?」
と少し責めるような口調で聞いてしまった。
すると彼女は半泣きの口調で、今まで病気で学校に行けなかったこと。
進級の件で校長まで直談判しに行ったけど、やはり出席の足りないの
は如何ともしがたく、こうなってしまったことを話してくれた。
僕はそのとき「しまった」と思いつつも、
「それで、その病気は治るのか?」
と聞いた。彼女は少し逡巡したあと、
「うん、お医者さんが言うには時間がかかるけど直るって」
って答えてくれた。
そのとき僕は安堵と喜びでいっぱいになったのを今でも鮮明に覚えている。
そのせいなのかや僕がガキだったのか、その言葉...その自分に都合の良い言葉だけを
妄信してしまったのだ。
その後も電話やメール、直接会ったりが続いたけれど、片や高校生活、片や病院通いと自宅療養
話が合わなくなってきてしまい、少しずつ疎遠になってしまった感じがしつつ、それでも切れること
なく続いていた。お互い趣味(物書き)に共通点があったし、僕は僕で、彼女は彼女なりにいろいろ話題
を探して話していたように思う。
彼女が「大検」を受けて大学に行くなんて話をしていたから、話も前向きで楽しかった。
そんな関係が1年と半年ほど続いた。
高校2年の夏。
昼休み、彼女が死んだことを彼女の友達から知らされた。青天の霹靂だった。
僕はその子になんで彼女が死んだかを問いつめた。その子もその時はじめて知ったらしく、詳しくは何もわか
らなかった。午後の授業なんてまったく聞いちゃいなかった。
早く終わってくれ。そしてこの話が嘘だと言ってくれ。
頭の全てがその言葉で埋め尽くされていた。
そんな中ふと思い出したことがあった。
ちょうど2週間前のことだ。定期テスト前日の話だ。
電話がかかってきたと思ったら、すごいハイテンションで「彼女は私のこと好き?」と聞いてきたのだ。
試験前で少々気が立っていたし、いきなりハイテンションで言われた事、自分自身こっぱずかしかったこともあって
「友達程度には好き」
などという今考えると取り返しの付かないことを言ってしまっていたのだ。
「まさか?」と思い、帰りのHRが終わると全速力で走って駅に向かい、そして彼女の住む家に向かった。
インターフォンを何度押しても誰も出ない。戸を何度叩けども誰も出ない。彼女の携帯に何度かけても誰も出ない。
焦って焦って、焦った。
立ち往生している間に、同じ部活の仲間の数人が追いついた。僕の様子を見て留守だと悟ったのだろう。
タウンページで調べて近くの病院に片っ端から○○さんという人はそこにいますか?と電話をかけた。
僕も参加した。
市内は全部かけた。該当0。隣の市、さらにその隣の市とかけたが見つからない。
必死に電話をかけているうちに、警察が来ていた。彼女のマンションのドアの前で高校生数人がなにかやっていると
近所の人が通報したのだと思う。僕たちは事情を説明した。
だがその警官は「夜遅いから一端帰りなさい」との一点張り。
気がつくと夜22:00だった。まだまだ諦めたくはなかった。探し続けた。だけど......
家に電話をされて両親が飛んできた。
両親に引っ張られるように帰ったときほど、自分が子供で自分が本当に無力なんだと感じたことはなかった。
次の日、彼女のお姉さんから電話があった。
彼女の遺体が家に戻ってきたからと言うことだった。
昨日のメンバーと一緒に彼女の家へと向かった。
彼女の遺体を見た。綺麗だった。とても死んでるようには見えなかった。
でも触った手が冷たくて冷たくて...
でも僕は泣きもせず、実感がなくただほうけていた。
ここではじめて、彼女の死因を聞かされた。
自殺だった。
それを聞いても僕は信じられず、いや信じることをかたくなに拒んでいた。
考えることを拒否していた。
その次の日、彼女の葬式があった。頭が真っ白で真っ白で何があったのかすら覚えて
いない。気がつくと、帰りの電車だった。
その後彼女の母親から電話があって、経緯を知った。それでも信じたくなかった。
認めたら全てが終わってしまう気がして...
でも、彼女の苦しみをそこではじめて知った。なぜあのときあんな話をしたのか、
どんな気持ちだったのか、そしてなぜ自殺をしたのか。
彼女の遺書を読んでいただいたうちに、涙が出てきた。あのとき程泣く事はもうないと思う。
そして数年経って、今や僕自身が入退院を繰り返す日々。
あのとき彼女のことを考えてやれなかった自分に、神様か仏様あたりが、彼女の気持ちを
教えてくれているような気がしてならない。
854 :名無しさん:04/04/03 12:54
2年前の今頃事故で彼氏が死んだ。
最後に見たのは仲間達とカラオケ行った日の
缶ビール2人で回し飲みしてた本当に何気ない時の笑顔。
最後に話した事は覚えてない。葬式も覚えてない。
台の上に寝てる骨と灰の姿を少しだけ覚えてる。
いまだにどこかで生きてると思ってる自分がいる。いきなりすぎるんだもん。
今年の2月13日、2年半付き合った彼が亡くなりました。
享年21。急性骨髄性を発病し、入院から7ヵ月後のことです。
同棲を始めたのが1年半前。私の父親の勤め先が倒産し、このままだと中退、
という時に、彼が「一緒に暮らそうか」と言ってくれたのがきっかけでした。
彼は結構大きな家の長男で、そんな人が私なんかと一緒に暮らしていいのだろうかと
申し訳なく思ったりもしましたが、彼は笑って「その方が学校が近くなって楽だ」
と言ってくれました。
(私はご家族からこの人を預かるんだ。何があっても絶対守らなきゃ……)
この時、どんなにそう思ったことか。
彼の体調が目に見えて悪くなったのは、7月の頭。何日も続く微熱に食欲不振、
特にひどいのがだるさで、学校にも遅刻するようになりました。
風邪でもこじらせたかと思い、医者に行くなり即入院。3ヶ月ほど入院することになった、
という電話を最後に、音信不通。ひと月後やっと見舞いに行けるようになり、
通されたクリーンルームで横たわる彼を見た時、目の前の光景が信じられませんでした。
一体何があったのかと思う程げっそり痩せ、髪の毛は全部抜け落ちて、胸には太い
チューブが刺さっていて。どうしたらいいかわからず、混乱して、涙がぼろぼろこぼれて
言葉も出ない私に、彼はいつもと全く同じ調子で「元気にしてたか?」とか
「ちゃんと三食食べてるか?」とか、そんなことばかり心配してきて。
病名はまだわからないと言われましたが、本当は入院初日に告知を受けていたそうです。
ただ周囲の人々に、彼女にだけは絶対に言わないようにと緘口令を敷いていただけで。
彼の口から直接病名を聞いたのは、10月になってから。その時私が言った言葉は「一緒に死のうか?」でした。
彼は即答。「いいけど、なら君が先に俺を殺せよ?」
そんなこと、死んだってできるはずないのに……
2ヵ月後のクリスマスに、初めて指輪をもらいました。
「君のことを束縛するみたいで嫌だ」と言い続けてきた彼が、やっとくれた指輪。
嬉しくて嬉しくて、何日かは着けられずに枕元に置いていたりしました。
バレンタインのお返しは奮発しなきゃ。次の一時帰宅はいつだろう、チョコは
どうやって渡そうか、なんて考えているうちに、時間はあっという間に過ぎて。
彼が亡くなったのは、バレンタインの前日。手渡しするのが楽しみで仕方なかった
チョコレートは、冷たくなった彼の枕元に置くことになりました。
何ヶ月も離れ離れになっていた彼の、見慣れた寝顔。もう息をしていないのに、
何日かすれば灰にされてしまうのに、やっと手の届くところに戻ってきて
くれた……そんな喜びさえ沸きあがってきて、自分はちょっとおかしいんじゃ
ないかと思ったりもして。
でも、安らかなんかじゃない。「あー、疲れた!!」っていう彼の表情を見たら、
もうそれしか浮かんでこなくて。
やっと楽になれたね、頑張ったね、つらかったよね、って……
一緒に暮らしていた部屋で一人になって、彼が使っていた食器や本を見て、
やっと声を出して泣きました。もう「お帰りなさい」も「行ってきます」も
二度と言えないんだなって思ったら……
二人暮しを始める時、絶対彼だけは何があっても守るって誓ったのに。
その結末がこれ。
孫を亡くしたお祖母さんが涙ながらに言った
「もっと早く、何か気づきませんでしたか……?」
その言葉が耳から離れません。
コメントの投稿
号泣
♯24727
気持ちわりー・・・
♯24728
この手のスレは安定して気持ちわるいな
♯24729
なんか読んでみたけど自分勝手な奴の多いこと多いこと
新しい恋人ができても前のが云々って言ってる奴は他人の人生弄んでるって自覚無いのかしら
♯24731
新しい恋人ができても前のが云々って言ってる奴は他人の人生弄んでるって自覚無いのかしら
まあ本人も自覚してるが、感情がどうにもならないんだろ…
俺ならそもそも新しいのと付き合わないがね。
しかし、良く「宗教に縋る奴は弱い奴だ」と豪語している輩が居るが、この様な状況になった時に同じ事を言えるかね。
苦しんだままでいるよりは、何かに縋ってでも生きるって悪いことじゃないと思うが。
途中に出てきたが、相手があの世に居ると思うのも一種の宗教。
もう何も無い、と思うのと、あの世にでも居ると思うのは随分違うと思うぞ。
♯24732
俺ならそもそも新しいのと付き合わないがね。
しかし、良く「宗教に縋る奴は弱い奴だ」と豪語している輩が居るが、この様な状況になった時に同じ事を言えるかね。
苦しんだままでいるよりは、何かに縋ってでも生きるって悪いことじゃないと思うが。
途中に出てきたが、相手があの世に居ると思うのも一種の宗教。
もう何も無い、と思うのと、あの世にでも居ると思うのは随分違うと思うぞ。
コメントが気持ち悪いこと
♯24739
610は●ねば良いのに…
♯24756
300も氏んでほしい
♯24787
最初の書き込み、意味が分からない。
俺の読解力がないのか?
♯24788
俺の読解力がないのか?
最初の書き込み、意味が分からない。
俺の読解力が足りないのか?
俺の読解力が足りないのか?