【歴史】爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 2 てんこもり。


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【歴史】爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 2

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/26(土) 09:53:43 ID:XsNLZn5k0

サブジェクトが長すぎて苦労しました。
前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1162752969/l50
爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1
1 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 03:56:09
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。

歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話




4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/26(土) 15:37:20 ID:fEPNK7X3O

ひいじいさん 薩摩の人間にみんなで石投げたって言ってたよ


20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/01(木) 08:41:33 ID:O+GE41NH0

一つ山越えた所から来た美人のお嫁さんが
いきなり手鼻をかんで周囲を驚かせた。


21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/01(木) 13:47:16 ID:Nu2OUqlX0

10年前に89才で亡くなった婆さんの実家は
平坦な集落の中にあったので、早くから電気と上水道が引かれていて
結婚式の日に、自分の嫁ぎ先がまだランプと井戸と知って、
先が思いやられて、悲しい結婚式だったと言ってた。
当然ランプのホヤ掃除なんて知らなくて、井戸の水汲みの経験もなくて
新婚の頃は、姑さんにいつも怒られてたそうだ。
爺さんの家は、婆さんの実家から3kmぐらいしか離れていないんだけど
山の中なんだよね。




22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/01(木) 21:43:18 ID:zZdFc2cRO

うちのばーちゃん今86歳だけど戦時中畑仕事していたら、
味方の飛行機が飛んで来たな~と思っていたら空襲警報がなったと同時に敵の爆撃機が頭上すれすれに飛んで来て、慌てて体一つが入るのがやっとの用水路に逃げたらしい、空襲警報は鳴るのが遅いし役立たずって言うてました。


24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/02(金) 04:51:36 ID:cAzvVG5Z0

うちの婆ちゃん、戦前に18歳ぐらいで教員になったんだけど、
10㎞離れた山奥の小学校に毎日、徒歩で通勤していたそうな。

知り合いの爺さんは、季節によっては毎日、大八車に積んだ野菜を
自分一人で引っ張って、4,5時間かけて、青果市場まで持って行ってたんだと。
1日、8~10時間歩く生活って、想像できないなぁw。


25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/02(金) 05:12:09 ID:Kv5nwzjVO

西南戦争の戦場だった田んぼでは当時の鉄砲の弾が今でもよく見つかるらしい


26: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/02(金) 07:48:05 ID:TgEUfn5lO

大正4年生まれの死んだばぁちゃんが言ってたけど
昔は日光に遠足に行くと、いろは坂は自力で歩いて登ったんだそうだ
でもその景色は格別だったって


27: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/02(金) 23:45:57 ID:cAzvVG5Z0

旅で歩くのと違って、毎日同じルートを見慣れた風景を見ながら長時間歩くと、
ランナーズハイじゃないけど、意識がぼぉ~とするときがあるんだって。

今日はどうしても、あの角を曲がった記憶がないけど、気づいたら、正しく曲がって、ちゃんと家に帰る方角に歩いていたとか。

なんか、キツネに化かされたとか言う話は、どうもそういうところから生まれたんじゃないかな。


306: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/14(月) 00:45:03 ID:XyZM5m380

>>27
そういう語り継ぐのって大切ですなぁ。。そして日本人、弱体化しているな明らかにw


36: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/11(日) 01:24:33 ID:FoqRT2bzO

爺さんがマッカーサーに直訴した。

爺さんの友人はケネディの親族だか誰かを戦時中助けて大統領就任式に行ったらしい。

マッカーサーは案外良い人だったと言ってる。


38: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/15(木) 16:25:27 ID:EBTIbAx90

263 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で 投稿日:2008/05/15(木) 15:52:49 ID:d5oFP78e
>>261
ある意味波乱の時代だよ。その前数百年続いてた平和が乱れた時だから。
実際、俺のひい爺さんは白虎隊討ちに出征してるし
(内心皆白虎隊に同情的で、わざとゆっくり会津に向かっていたら
 着く前に戦争終わったらしいがw)
内乱の時代だから。


これ、どこの藩の話だろ


39: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/15(木) 21:26:35 ID:a+eFESMeO

会津に恨みの無い藩じゃね?


40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/15(木) 23:40:02 ID:zdVumCo10

薩長以外のほとんどの藩は、名目的には西軍に味方しても、
やる気なんて全くなかったよ。


41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/16(金) 02:10:20 ID:IigIkryyO

鳥羽伏見の戦いの前夜に敵味方関係なく仲良くお風呂に入っていたという逸話が本に書いてあったぐらいだしね


42: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/20(火) 18:56:04 ID:7TIv4qdm0

江戸時代生まれの人と喋った事ある人ってまだ生きてるかなぁ


188: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/29(日) 12:26:35 ID:GiUb3Vjc0

>>42
江戸時代生まれの人と喋った人なら今でも普通に生きているだろう。
今百歳の人が5~10歳位の時なんかだったら江戸時代生まれの人は
当時40代から50歳位の人もいるわけだし。


43: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/20(火) 21:00:56 ID:GIXPGTClO

江戸時代生まれの泉重千代さんは1986年まで生きてたぞ


44: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/20(火) 22:52:27 ID:9kKrhvOD0

上野戦争のあと死んだ幕兵に官軍がいたづらしてたって。でも注意しようとか
遺体を片付けようとすると怒られた、官軍なんて酷いもんだとひいひいばあちゃんが
言っていたとか


45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/21(水) 02:16:41 ID:4T0V8nPn0

目黒川の行人坂とぶつかるあたりのうなぎ屋さん(太鼓鰻)
昔は目黒川で取った鰻を出してたんですよだって。

そのころのあたりの映像が頭に浮かんで幸せな気分になった



46: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/22(木) 19:25:15 ID:X9xOz348O

北区王子を流れる石神井川(音無川)は幕末や明治の古写真にたまに登場するけど、当時は水が綺麗でこの川の水で入れたお茶が最高の贅沢と言われていたらしい
今ではコンクリートに覆われた汚い川だけどね
近くに吉宗の命で作られた飛鳥山や、名主の滝、近藤勇が処刑された地(板橋駅前)などもあります

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/22(木) 22:56:22 ID:5yBGjONd0
>>45,46 
こういう昔情緒の話はいいね 
綺麗な小川なんて今の時代じゃむしろファンタジーに近いw
 

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/22(木) 23:29:43 ID:MYgntH880

でもあこがれるね。都心の川が清流でザリガニや魚が泳いでるのって。
韓国はソウルの川の上を走っていた道路をなくして清流復活させたんだよな


53: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/25(日) 12:04:21 ID:4KP5Omfm0

本に書いてあった話だけど、戦前にヤクザ同士が日本刀で喧嘩を始めそうになった
しかしお互いにらみ合ったまま一歩も動けずに「もう止めよう」って話になって結局斬り合いにはならなかったそうだ


59: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/28(水) 05:15:21 ID:mxYZjFHD0

うちの死んだじいちゃんは大酒のみで近所でも有名だった
田畑と酒を交換したという逸話があるぐらい

そんなじいちゃんが戦争で満州へ行った時の事
じいちゃんは仕事しないで酒ばっかり飲んでたらしい
銃弾の降りしきる中でもニコニコしながら酒飲んでたらしい
んで、日本が負けた時、中国人が日本兵に復讐を始めたらしいんだが
戦争中日本兵にひどいことされた彼らの恨みは凄まじく、日本人はかなりむごい目にあったそうな
そんな中じいちゃんだけは
「お前は戦争中も優しかった、私達に何もしなかった」って見逃されたんだと
ただ酒飲んでただけだろ~wって感じだが、ここで死んでたら俺もいないんだし
大酒のみに感謝だな

この話をしてくれたのは、当時日本語の通訳をしていた中国人のばあちゃんなんだが
婚約者がいたにもかかわらず日本兵のじいちゃんと恋に落ちて父ちゃんを産んだ
やっぱり差別とかいろいろ大変だったらしいが二人のラブラブっぷりは
孫から見てもすさまじかった
ちなみにじいちゃんは死ぬ前日まで毎日一升ぐらい飲んでた
倒れて、病院で「酒が飲みたいな~」って言葉を遺してぽっくり死んだ


62: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/29(木) 18:46:47 ID:cN8L0rXD0

原爆投下からしばらく後の山陽本線復旧1番列車で広島を通過したらしいが、
遺体をまとめて油かけて焼く時の黒い煙がそこいらで上がっていたとか。


67: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/30(金) 23:32:37 ID:7h7aHTK10

俺の爺さんでも婆さんでもないが、学校の年取った先生から聞いた話。
昭和二十年の終戦の日、
先生たちの集落の人は、人づてに負けたことを聞いた(山に住んでてラジオ聞けず)。
やけになった先生たちは「米軍に殺される前に腹いっぱい食うぞ!」と決めて、
近所のきれいな川に大量の山椒をぶちまけた。
川面には大量の魚が浮いてきたので残らず獲り、とっておきの酒も引っ張り出して、
これが最後のつもりで飲めや歌えの大宴会を行なった。
その後、思ってたよりはるかに穏健な支配体制が敷かれたのはよかったんだが、
近所の川では丸一年アユもアメゴもほとんど獲れなくなり、
酒も保存食料も残らず飲み食いしたんで大いに困ったそうだ。
日本駐留前の、人々のアメリカへの恐れがわかる話だな。


72: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/31(土) 17:51:18 ID:fvN8z0/l0

中国で戦ってきた祖父が、「チェコ機銃」の優秀さをよく称えてたな。
中国兵からの分捕り品だけど。
「日本のやつよりずっと丈夫で、機能もいいんだ。鉄がいいんだろうな」と言っていた。


75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/01(日) 20:00:14 ID:LwbScPVc0

>>72
ZB26(チェコ・ブルーノ1926年式)軽機関銃な。
壊れにくく命中精度が高く価格は安く、大勢の日本兵がこれにやられた。
日本軍もチェコから買えばいいのに国産にこだわって、
火力で劣る上に、戦場では故障続出でまったく使い物にならず。
今の自衛隊も、特に機銃に関しては70年前と全く同じ状況で、
馬鹿高いのに粗悪ですぐ故障する国産品に、自衛隊員は戦々恐々。
守屋みたいのが兵器を選んでバックリベート貰ってるんだから、
当然そうなるけどね。


87: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/07(土) 23:29:40 ID:sbHNa33S0

お彼岸になるとお寺に戦傷者の人がいてハーモニカ吹いててこわかったな。
片手片足とかない人多くて。勝がキンタマ噛まれたのは子供のときだろ。
勝だとボディガードの以蔵が刺客きって人を殺めるなって言ったら斬らなきゃ
あんた死んでたんだって言われて苦笑したって話が残ってるな


88: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/07(土) 23:51:55 ID:HR1BHHUc0

>>87
お寺の縁日で、戦傷者が座って募金をしてた。
傍らで軍歌のテープ流して。
やはり1970年頃だったけど、いつのまにか見かけなくなった。


90: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/08(日) 05:17:39 ID:Az4Pn2Ae0

親戚みても明治生まれって最近みなくなったなあ
ていうか内の近い親戚じゃもう一人もいないかも


92: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/08(日) 17:39:21 ID:BgK7UtX00

>>90
明治も遠くになりにけりだね。
うちも昨年祖母が亡くなって、明治生まれの親戚はいなくなってしまった。

父が太平洋戦争に行き、脛に2発銃弾受けて捕虜になったが、
こういう人も後10年したらほとんどいなくなるだろうね。

孫を作ってリアルにそういう人がいた事をみせてやりたいが、
ワープア無職なので多分無理だ。


93: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/08(日) 22:45:30 ID:e67BnEAq0

士族だったひいじいちゃんの家に伝わる話。
正月に近所の若い衆が餅つきするんだけどそれみて「あいつは人が斬れん」
とか「こいつは斬るな」とか言っていたらしい。腰と手の絞りが持ちつきと
剣術似てるとからしいけど。


94: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/08(日) 23:35:38 ID:uABkzbMX0

俺のじーさんは戦争時、満州(かなりの内地の方)に行ってたんだが、
とにかく食べ物が無くて困ってたと言ってた。
仕方が無いので数人で犬を食ったらしいが、上官に見つかり
体罰と一週間ほどの牢屋監禁だとよ。
かなり、厳しかったらしい。


95: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/09(月) 00:18:34 ID:/rr11WOH0

明治44年生まれの婆ちゃんの話
満州からの引き揚げのとき、ソ連兵に後ろから銃を突きつけられて脅され、
結婚式のときの着物を渡したら、両手でたぐるように巻き込んで持って行かれたらしい。
実家は酒屋でそこそこ裕福だったから、上等な着物だったのではないかと思われる。


97: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/10(火) 10:51:46 ID:TdI8Zmdh0

爺ちゃんから聞いた話。小中学校に配属将校がいて生活指導や教練やるらしい。
基本的に予備役の年寄り将校が来てたから、教練といっても大した事もなかった。
でも太平洋戦争が始まると現役バリバリの若い将校が赴任して来て、
「気合が足らん!」「なんだそのへっぴり腰は!」とか言って、
金属製の指揮棒でぶん殴られるから、もう死ぬかと思った。
指揮棒で殴られて意識を失う同級生が続出し、教練の時間はただ恐怖だけだった。
配属将校に酷い目にあった同級生のかなり多くが、戦後に共産主義に走ったのは、
気持は分かる、って言ってた。


104: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/10(火) 20:29:32 ID:9FCcmiotO

4年前に86で亡くなったウチの祖母。
戦争が激しくなる前は喫茶店に行くのが好きだった。何故か防空壕に入ると「ああ、またレモンをいれた紅茶と、トーストにバターとジャム両方塗ったのが食べたいな…」と毎回のように思っていたそうだ。
現在と余り感覚変わらないかも。


105: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/10(火) 22:32:06 ID:PazKWA8H0

士族だったひいじいちゃんは手裏剣が上手で年取っても庭に来るスズメや
鳩を仕留めては家族に怒られていたらしい。手裏剣の下手な侍は修行に
出たときにひもじい思いをするってよく話していたらしい。


106: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/11(水) 04:13:45 ID:uKptGMt5O

雀や鳩を仕留めて家族に怒られてた曾爺様ワロスw
徳川慶喜も手裏剣の名人で隠居しても毎日、手裏剣の鍛錬を欠かさなかったそうだ


107: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/11(水) 11:09:27 ID:RXvDNXmm0

手裏剣なあ、、、、、小柄(こづか)じゃないのかな。
うちも士族だったから小柄は何本かあるけど、手裏剣は見たことがない。

実家に空気銃があって、田舎だから色々なものを撃ったけど、
鳥は的が小さい上にちょこちょこ動くから、空気銃でもなかなか当たらない。
さらに身体は、頑丈でツヤツヤしたな羽で覆われていて、球形だから、
弾が当っても、当たり所が良くないと、弾がすべるようにはじかれる。
カラス撃った時なんて、軽くはじかれて、そのカラスはピクッとしただけで、
逃げもしないで無視された。
弓矢や小柄で鳥を仕留めるなんてすごいよ、超人技。
鳥を獲る時は、ザルを紐で引っ張って落とす、古典的な方法のほうが
はるかに効率的だったなあ。。自分の話でスマン。


108: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/11(水) 16:31:08 ID:uKptGMt5O

泉重千代さんが亡くなった1986年の2月までに生まれた人は江戸時代生まれの人と同じ時代を生きたことになる


109: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/11(水) 20:43:26 ID:0AwTQpTSO

>>108
その1986年の2月生まれです。
江戸時代生まれの人と同じ時代を生きた最後の世代だと思うと感慨深い


127: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/12(木) 23:21:50 ID:ISlZJNIA0

明治の頃は女性も時々道で「立ちしょん」したって昔ひいばあちゃんが言ってた。
どうやってやったんだろう。でも明治になって外人が来て確か政府は切り鼻と
女性の路上放尿をやめるように通達したとかって話しがあるから本当だったんだろうけど


129: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/13(金) 02:23:04 ID:oPWdlBW80

>>127
今でも田舎行くと婆さんが立ちションしてるのが見られるよ。


149: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/23(月) 12:58:25 ID:roEqZzSj0

爺ちゃん曰く、空襲の際に防空壕に入っていたら安全でもなくて、
焼夷弾で大火災が起きると、壕の中で蒸し焼きになってしまうから
防空壕を脱出する判断が難しかった、とのこと。
早く出過ぎて機銃掃射を受けて死んだり、逃げ遅れて防空壕の中で
蒸し焼きになって死んだ人も多かったって(直接の死因は酸欠だろうね)。
壕で蒸し焼きになった遺骸は、そのままの形で出てくるので、
まるで仏様みたいで、皆で読経しながら運び出したと言ってた。


151: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/25(水) 14:53:16 ID:wBoI9xxl0

80才のうちのばあちゃんが第二次世界大戦中に
吉祥寺の在郷軍人(陸軍中将)さんの家で奉公してたときの話。

空襲にそなえ、隣の組が消火訓練をやりだした。
奥さんは「隣組が始めたのだからうちの組もやらないと」と中将さんに言ったが
中将さんは「そんなことはやらなくていい」と取り合わなかったそうだ。
軍人としての自覚があるから決して口にはしなかったけどアメリカとの戦力差を知ってて
そんな小さな努力は無駄なことだとわかっていたっぽい。

そのことに奥さんが怒って実家に帰ってしまい、そこの娘さんとばあちゃんは
一大事と大変オロオロしたそうだ。奥さんすぐに戻ってきたけど。

圧倒的戦力差が分かってた中将さんはどんな気持で日本をみてたんだろうと考えると
少し切なくなる…


166: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/27(金) 00:52:16 ID:tZ4UXGUrO

今生きていたら90才の祖母が10才位の子供の頃。うちの田舎(千葉県)にはまだチョンマゲの人が少しいたらしい。
後、お祭りの時、山から降りてきたサンカもよく見かけたそうだ。
サンカについてもっと聴こうと思ってるうちに昇天してしまった。


168: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/27(金) 08:58:57 ID:NEEaLoDk0

>>166
うちの田舎も千葉県で、同じく今生きていたら90才の祖母から聞いた話だけど、
シナ事変が始まるまでは、お歯黒をした女性がいたらしい。


174: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/27(金) 23:25:09 ID:5VUwVDbu0

母方の爺さんは戦時中の最後に徴兵された人の中の一人で満州に行ったそうだ
で、ろくに戦闘も起こらぬまま即武装解除でシベリアへ強制連行、あまりに過酷だったらしくカマキリと食ってたらしい
その時のロシア兵の馬鹿さ加減を笑ってたな、時計を水洗いしたとか
父方の爺さんは成田空港某闘争の時に左翼とか絡まずにただ百姓という身分で300人くらい纏め上げて県庁に直訴しにいった
百姓軍団が耕運機で県庁まで直訴しにいったもんでそりゃまぁ凄かったらしい、仲間が興奮しすぎて竹やりで県庁のガラスぶっ壊したりしたらしいし
その後国会に証人として呼ばれて、その時の国務大臣徴発して一触即発になったとか
親父の話によればその頃は殺気の篭った目をした右翼が家の周りに複数いたとか言ってたな
爺さんもサラシ巻くくらいの覚悟だったらしいし、とにかくその頃の百姓の気迫は凄かったらしい
そういやハマコーとも知り合いだとか言ってたな
でもその後の三里塚闘争は結局左翼主導になっちゃったからなぁ・・・


176: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/28(土) 00:40:56 ID:l4vFwhKy0

戦中みんな痩せてたのにある地域の農村だけみんな肥えていたそうな。
ザリガニ食べてたんだって


191: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/29(日) 14:52:33 ID:WzEQgZUO0

大分県出身の者ですが
子供の頃、他界した祖母(明治26年生れ)から

♪薩州西郷さんは鰯か海老か 鯛(鯛)に追われて逃げてゆく♪
という唄をよく聞かされました。
祖母も曾祖父母から聞かされたのでしょう。


193: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/29(日) 17:23:59 ID:ZdIwQlMz0

>>191
鯛(隊)だね。


194: 191 投稿日:2008/06/29(日) 19:17:08 ID:WzEQgZUO0

>>193
フォローありがとう。


199: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/03(木) 03:47:49 ID:OsOZcOqk0

幕末の写真を見るとなんか顔がみょうに黒い、というか汚れてるように見えるんだけど
あれは写りおよび保存状態のせいなんでしょうか?
それともその当時はあれが普通だったんでしょうか?


203: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/03(木) 21:19:46 ID:sQWt1ISH0

>>199
皆、農作業とかで野外活動しているから、日に焼けてて顔が真っ暗なんだよ。
昭和40年代以前の機械化される以前の農業を知っているなら分かるはず。


204: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/04(金) 00:33:49 ID:7UAmp50o0

俺の近所の漁師の爺さん(76歳)の祖父が西南戦争に官軍として従軍したそうな。
九州から遠く離れたこの村から只一人で、当時は地元で名誉とされていたらしい。
褒美?恩賞?で、「あの漁場をやろう」と言われたらしいが何故か断った。

現在でも魚の良く取れる漁場だが、「ここは俺のもんだった。遊んで暮らせた。」と
ぼやいていたのが忘れられない。
この爺さんスロットが好きでいつも負けまくっている。

じいちゃんのじいちゃんはどう思っているんだろ?


206: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/04(金) 02:16:24 ID:mxg7wUthO

>>204
昔は気骨のある人も多かったみたいだな。貧しくても卑屈じゃ無いところがとても良い


262: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/09(水) 20:58:27 ID:LDoClruk0

小さいころ、祖母(明治後半生まれ)をしたっていて
毎晩お風呂の後は、祖母とお話ししてた
時にはいとこたちと一緒に話をきいた
当時の話

戦後、飼ってた犬を朝鮮人にさらわれたあげく食べられた
戦後、朝鮮人の泥棒、恐喝、などが多発、とにかく怖かった…など

朝鮮人エピソードが多く、すっかり今の私はネット右翼です


263: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/09(水) 21:10:02 ID:U3eUsqtY0

>飼ってた犬を朝鮮人にさらわれたあげく食べられた
ちょw 朝鮮人!


289: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/10(木) 23:20:02 ID:AHIvfScr0

我が家では未だに桃の節句はしません。女の子がいても。
主君が命を落とした日で以来ずっと。あぁ、花の生涯・・
いいじゃん、と思うけど。俺、結婚して女の子が出来たらどうしよう。
なぜか姉貴は娘の桃の節句がんとして拒んで旦那さん側の家を怒らせちゃったけど。
あんな根性ないよ


290: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/10(木) 23:31:57 ID:4aiwy9DXO

>>289
その主君はどなた?
言えばまずいか


291: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/10(木) 23:48:24 ID:8SkUTZ3s0

>>290
「桜田門外の変」でググれ。
「花の生涯」も知らない若い世代か、、
大河ドラマを祖母ちゃんと尾上松録、佐田啓二で観てた自分は、
大河「篤姫」でのあのドン百姓顔が気にいらねぇ。


324: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/15(火) 23:20:18 ID:NSPyPrju0

20年前に死んだ爺さんが子供のときに犬に追いかけられた。
その時たまたま通りがかった人が日本刀で犬を斬り殺してくれたそうだ。
当時は犬など話し飼いだったって言うけど焼けんじゃなさそうだし飼い主は
心配しているかもなどとほっとしながらおもったそうな


327: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/16(水) 11:52:37 ID:Jfp66E0T0

>>324
すげえな…今だったら動物愛護団体から責められるぜ。
犬切った人は警察?
昔(廃刀令後)は外で刀もっていていいのは警察・軍人・貴族・消防署の人だっけ?


330: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/16(水) 20:05:06 ID:sITZIDuMO

>>327
よく知ってるな。消防署まで知ってる人はあまり居ないと思います。
曾祖父は消防署所長だったので今でもサーベルあります。
ただし、戦後GHQにより刃を中程から叩き折られて、斬れないですけど


328: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/16(水) 14:45:16 ID:VMKYkhSm0

母方の祖母から聞いたヒイお祖母さんのお話。
祖母の実家が愛知県の東加茂郡松平村という所なんですが、ヒイ祖母ちゃん
はそこの庄屋の娘として生まれ、村長の娘さんと二人だけ袴をはいて皮靴で
学校に通ったらしい。
子供のころはお殿さんがみえると「下に~下に」と時代劇と一緒だったと。
また、屋根裏部屋(祖母の子供心には卓球の体育館位の広さ)には祖母が
小学校のころはお蚕さんをかっていて、村のおばさん達が籠に桑の葉を
しょって屋根裏にあがっていくのを興味津々で付いていったんだって。
母も小学生の頃夏休みに数回いったらしい。
母の思い出の中では、その村の風景はトムクルーズのラスト侍の小雪が
住んでいた村そのものらしい。


338: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/17(木) 00:38:46 ID:yEORiN+m0

>>328
蚕は、戦前の話に必ずと言っていいほど出てくる。
俺の明治生まれ祖父は旧藩主の墓参りに行っていた。
やはり日本は、地方自治国家の連邦国だったんだな。
道州制より、廃県置藩のほうが日本らしい。


346: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/17(木) 10:04:33 ID:FiEZoushO

もうボケちゃった爺ちゃん(84)が健在だった頃に聞いた話。

その当時我が家はそこそこ貧乏で、当然中学校に入るお金は無く小学校が終わると丁稚奉公に行った。
その会社が中国の天津に工場を出すことになって、当時16、7の爺ちゃんがそこへ行くことになった。
そんなある日、工場の従業員が街で喧嘩しているのを見かけ、仲裁しようとした。
すると突然後ろから声が掛かった。
そいつは日本刀を持ち、「貴様、日本人か。こんな所で何をしている。」と全く不自由ない日本語で話し掛けて来た。
相手は日本人で、ここにいる事情を説明すると、「ここらは俺らの縄張りだ、迂闊に手を出すとこうなるぞ」と言いながら刀を頭に押し付けた後去って行った。
(そこに日本人がいた理由はよく分からなかったが、とにかく人生で一番の生命の危機だったらしい。)
そのまま立ちすくんでいると、周りが騒がしい事に気付いた。従業員も騒いでいる。
「頭!」と言われ、後頭部に手をあててみる。その手を見ると血がべっとり付いていた。
今でもその傷は頭に残っている。

子供の頃に聞かされた話だからよく覚えてないけどこんな感じ。
おんぶしてくれたらちょうどその傷が見えてて気になってて聞いたら教えてくれた。
ほんと、ボケる前にちゃんと聞いとくんだったな。


347: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/17(木) 15:13:35 ID:83p/Lt0Z0

爺ちゃんと婆ちゃんは、マッカーサーに田んぼを取り上げられた話をよくしてたなあ。
もし自分で耕していたら1haだけは取り上げられなかったので、
急遽家族で田んぼやる事になったけど、やったことがないから要領が分からなくて、
元小作人に聞いても誰も助けてくれなくて、仕方なく家業の従業員にやらせたら、元小作人に
農地委員会に密告されて、1haも取り上げられそうになったとか、そういう話。
家族で慣れない米作りして、必死で守った5枚の田んぼも、
この数年で伯父さん伯母さんが相次いで亡くなって、もう完全放置状態。
従兄弟もみんな東京に出てきちゃってるし、どうしようもない。


361: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/17(木) 22:46:53 ID:1EvlsaNZ0

西南戦争の時、ひーばあちゃんの家に西郷隆盛が泊まりに来て
お礼にナギナタと鉄砲を一本ずつ置いていったんだって。
この話聞いたときびっくりして、思わずソースきぼんぬって言いそうになった。
ちなみにそのナギナタと鉄砲は、第二次世界大戦の時に兵隊に回収されたんだと。
ハナクソみたいな金属が当時の日本には必要だったんだな。


365: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/18(金) 18:02:16 ID:q5jgLhQm0

前スレで西南戦争に出兵する西郷さんをひいばあさん(ばあさん?)が見たって話あったよね。
その後に>>361のひーばあちゃん家に行ったということか…
ちょっと前に続いたGHQの話といい、関連して話が横に広がると
歴史がすごくリアルかつ壮大に感じるな。


367: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/18(金) 19:25:52 ID:IQyGjLEsO

偶然、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の最終巻を借りてきて観ていた。西南戦争に発つ西郷さんのそのエピソードが、何か目に浮かぶようでちょっと感動した。


378: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/21(月) 17:48:16 ID:9/kjJ41H0

うちのひい婆さんは 幕臣の娘で
鳥羽伏見の敗走のあと 大阪城で上様を見たらしいお
そのあと 五稜郭まで転戦したお


380: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/21(月) 23:40:40 ID:jnuAGYOWO

>>378
見た時の様子とか、城内の話とか伝わってないの?


398: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/26(土) 14:25:27 ID:BCFThrYQ0

ラーメン屋を営んでた明治生まれの曽祖父が亡くなった時に
市街地の道路を警察が封鎖して葬儀を行なったらしい。

生前までに県長やお偉いさんがよく挨拶をしに来てたらしい。
それと、天皇陛下から勲章も頂いてたみたい。


410: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/30(水) 22:59:06 ID:ZZEAUKwNO

うちのじいちゃんは西園寺公望の葬列を見たって言ってた


411: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/30(水) 23:14:08 ID:iPoMgbf00

>>410
昭和15年だからな、そんなに古くない。
山本五十六の国葬もきっと見たろう。


412: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/30(水) 23:22:35 ID:GD7ofK160

うちのじいちゃんは綾小路黄身麻呂の葬式に出席した


413: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/30(水) 23:22:37 ID:ShT5bIzU0

まるで剣が伸び縮みするみたいに、まるで自分の腕のようだった。

達人の斬り合いだそうデス。うちの先祖は腕がおぼつかなかったんで
達人を見て唖然としたとの事。戊辰の話です


415: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 00:21:11 ID:EPZ+NhPh0

>>413
祖先は実際に幕末のカタナバトルに参加してたのか。すごいな。どこの藩士だったの?


416: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 01:12:06 ID:RTLqoPMO0

うちの年よりは戦争でものすごく苦労したらしい。
ばあちゃんは会社の仕事で南方にやられたんだが、せっかくテニスラケットを
持って行ったのにコートの整備が悪くてボールが変にバウンドしてこまったそうだ。
しかも、社宅についている現地人のメイドは日本語がよく分かってなくてこれまた苦労したそうだ。
食事にしてもデザートはバナナをはじめドリアンとかマンゴスティンとか
パパイヤとかばかりですぐにあきてしまったそうだ。
男性社員はゴルフに興じる者が多かったらしいがこれまたゴルフ場の整備がなってなくて
苦労したらしい。いやはやせんそうはこりごりだと言っていた。


417: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 02:25:27 ID:wU+IOoJj0

>>416
フィリピン?


419: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/31(木) 10:01:44 ID:EPZ+NhPh0

>>417
日本が統治していた南洋(サイパンとかマリアナ諸島)だと想像する。


431: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/03(日) 02:12:52 ID:J3MkAqrL0

 
大叔父は若いときに招集されて、中国大陸で戦闘に明け暮れた。
敗戦後、復員し、思い出したように当時のことを話した。

そのひとつ:
 
功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。
そこはよくしたもので、たいていどこの部隊本部にもベテランの事務担当がいて、
てなれたやりかたで、「名誉の戦死」 にしたてて、内地へ報告した。
 
「どこそこの部隊で上官が戦死」 といううわさは、展開する各地の部隊にただちに伝わり、
「さては、やられたな」 と兵士同士でささやきあうものだった。
 
軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。
 
日中戦争の戦史で 「一部隊全滅(玉砕)」 という事例が少ないのはこういう事情による。
 


432: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/03(日) 03:26:38 ID:4YuBHNCK0

大正生まれの祖母は生粋の沖縄人なんだが、いいとこの娘だったらしく
戦争前に京都へ家族で非難し沖縄戦の経験はないらしい
日本は負ける・沖縄地上戦の情報は知ってる人は知っていたみたいで
事前に逃げた人が大勢いるってことを大人になってから知り
何も知らずに死んでいった方たちの無念さを思うと苦しい


433: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/03(日) 04:28:46 ID:FJKMPshN0

>>432
沖縄戦を前に民間人の大規模疎開・避難の計画が立てられたんだが、
その矢先に起きた対馬丸撃沈事件のせいで皆及び腰になってしまったらしい。
勇戦気分もあって、多くの民間人が沖縄に残った。悲劇だ。

にしても、対馬丸を撃沈した潜水艦ボーフィンが「真珠湾攻撃の復讐者」はないよな・・・


438: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/05(火) 13:44:29 ID:HH+rV9fd0

徴兵され、陸軍二等兵としてスマトラ島(インドネシア)へ送られた祖父の話。

田舎の一本道を輸送車両で走っていると、荷物をたくさん背負ったお爺さんが歩いていた。
上官から「原住民とは仲良くやれ」と言われていたので、
そのお爺さんと荷物を軍用トラックで、途中まで送ってやったという。

数日後、同じ道を走っていると、例のお爺さんが道端の木陰に座り込んでいる。
運転席に祖父の顔を見つけると、ニコニコ笑いながら近づいてくる。
(また、乗せてくれか。今日は軍事物資積んでいるし、他の兵士も同乗しているからなぁ・・・)
と困惑していると、何十本ものバナナの山を差し出した。

言葉は何を言っているのかわからないけど、「先日の礼だ、受け取ってくれ」ということらしい。
バナナを荷台の隅へ積むと、お爺さんは、満足げに村の方へ戻って行った。
いつ来るとも知れぬ祖父が通りかかるのを、毎日道端で待ち続けていたということだ。

長文、スマソ


439: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/05(火) 18:21:19 ID:cJZGBp9G0

ええ話や


489: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/20(水) 01:42:52 ID:0iufVmIj0

歴史好きの身内が見ていないと良いんだけどw
祖母は四国のある村のちょっとした家の一人娘だった。本妻さんに子供が出来なくて、側室なんてたいそうな家ではないけど、
妾というよりはパブリックな存在である女性同居していて、その人が実母、なのに45歳の子ってちょっと不思議なので、45歳ってのは実は本妻の年齢かも知れないね。
父親は当然もっと年上だったと思う。跡取り娘である祖母とその父が上座で、本妻が下座、実母は次の間でご飯を食べたとか話していた。

うちは山手で大震災の火事の被害はさほどではないけど、そのすさまじい揺れとパニックは
東京大空襲より怖かったらしい。空襲では死体の上を走るように逃げたけど、
もう覚悟があったのか、陶酔していたのか、震災の時ほど怖くなかったらしい。


492: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/20(水) 23:13:35 ID:dgYNqTvj0

>>489
なかなかエグイですね。

自分の祖母は母だか祖母が妾さんだったらしい。
昔は割とあった話なんでしょうかね。


490: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/20(水) 02:07:33 ID:pD5xHnsd0

ウチの爺さんは雪風に搭乗してたが、観光気分で戦場に行って観光気分で復員した
稀代のポジティブ軍人だったみたい。
そこに酒があれば同期の士官、下士官、一兵卒を集め同期の桜を歌って盛り上げてたらしい。


491: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/20(水) 05:26:04 ID:2mKYmbTj0

>>490
いかにも運が強そうというか
雪風に呼ばれたのかなw


550: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/30(土) 18:21:29 ID:P7dR2X/g0

うちの祖父が戦争で南方に行ってた時の話。
そこでは戦況も厳しくなく、食事もおはぎやバラ寿司なんかが出て
甘い果物のおやつもあるし、気候は温暖だし(祖父は冷え性だった)
食料の乏しくなっていた国許よりよっぽど過ごしやすかったそうだ。

戦後も地元の人たちは「ニッポンジンはトモダチ」と言って
鶏を分けてくれたり、封鎖されてる橋を渡らせてくれたり
なにかと日本兵に親切にしてくれたらしい。

もう亡くなったけど、ボケてからは1日中その南方での話ばかりして
家族みんなウンザリしてたからあんまりちゃんと聞いてなかった。
今、歴史に興味を持つようになって、爺ちゃんの話もっとちゃんと聞いていればよかったなと思う。


552: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/30(土) 18:55:01 ID:lTSrXJ2D0

>>550
おじいさんいい時期に行ってたみたいね。
友達の爺さんも南方へ戦争へ行って「楽しかった」と言ってたそうだ。
馬の飼育担当で行ってたそうだけど、動物の世話終わったら海に潜ったり貝を拾ったり。
帰国時に貝をほかの国の人に見せたら「きれいだな、くれよ」と言われて仲良くなったり。

戦況良い時に徴兵で満州行って帰ってきた親戚も、女装して劇してる写真や飲み屋の女の人と
写ってる写真があって(奥方に見つかって破られたあともあったw)、それなりに楽しそうだった。

戦争体験って言ってもほんといろいろあって興味深い。


554: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/31(日) 15:53:23 ID:zsSqAbXq0

水木しげるの南方の戦争体験聞いてても、現地の人に好かれる人は好かれまくってたみたいだね
彼も現地の人に、土地をやるから返るなと言われたほど好かれてたそうだ


556: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/01(月) 16:43:12 ID:SSZrBjGT0

南方って言っても、インドネシアやマレーは連合軍の攻撃から外れていたから
強力な師団が10以上もありながら手持ち無沙汰だった。台湾やベトナムも同じ。
フィリピン・ソロモン・沖縄などは、悲惨を通り越して地獄だったけどね。

俺の地元には今でも路面電車があるんだが、路面電車の中での女性の授乳は
昭和までは普通だったなあ。女性が授乳やってると、車内が暖かい雰囲気になった。


594: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/07(日) 17:18:46 ID:1EVH2cRN0

祖父は大正三年生まれで徴兵の時は山砲に配属され満州に駐屯していた。
太平洋戦争では国鉄から技師として派遣されてビルマ、シンガボール、クアラルンプルに行った。
特にビルマに長くいたが国鉄の技師なんだから戦場にかける橋で知られるタイメン鉄道の建設に関わっていると思う。
敵機に追われて逃げたり、小象に追われて川を泳いで逃げたこともあったと俺が子供の頃に聞いた。


616: サンフ 投稿日:2008/09/10(水) 00:35:14 ID:XKW4/DeC0

おれの爺さんは、フィリピンでアメリカの捕虜になったんだけど。
捕虜収容所では、日本の男の捕虜はみんな金玉取られるって噂が流れて
本気でおびえてたってさ。

まあ、そんな気持ちで戦争してたんだろうねえ。爺さん乙


618: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/10(水) 06:10:46 ID:lwglUer90

>>616
ドイツじゃ捕虜じゃないけどユダヤ人が金玉どころか命を取られていた訳ですから
戦争という集団的狂気の中では人間は何をやらかすか分かったものではありません。

そういう人間の狂気を戦争という中でそれこそ肌で実感していたのですから
あなたのおじいさんがありうることと考えたのも無理からぬことでしょう。

日本軍だって捕虜を生体実験したとかいう話もあるし、
アメリカ軍がしなかったという保証だってありません。
原爆だってありゃまさに生体実験でしょう。

日本人の金玉を生体実験するってあながちまるっきり的外れなうわさでも
ないと考えたのもその状況ではしょうがないでしょう。

うわさと言うのはすべてそれが人に信じられるにはそれなりの根拠があるのです。
そのうわさと根拠が正しいかどうかとは関係なく。


631: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/10(水) 14:22:37 ID:bFN4dXHv0

昭和2年生まれの祖母。
小学生の頃、家計を助けるために「ろくしゃく担いで野菜を売り歩いてた」らしい。
街まで降りて行って、近所の人にはばれてないと思っていたらしいが
小学校の校長に見られていたらしく「感心な勤労学生」ということで
表彰を受けたらしい。
全校生徒の前で名前を呼ばれて
「そりゃあ恥ずかしかった。放って置いて欲しかった」と言っていた。

「ろくしゃく」とは「陸尺」かな?
「六尺」だと褌だしw
祖母に聞いても「分からない、ろくしゃくはろくしゃく」と答えられたが。


651: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/12(金) 13:18:39 ID:agC7SRPr0

漏れのひいおばあちゃんの話し
ひいおばあちゃんの父親は幕臣で、上野戦争や会津、函館と従軍したそうだ
そのときに 上様が水戸に謹慎したときに見送りにいった。

慶喜はすごい英明だったらしい。でも、そのjひいばあちゃんの父親は
大阪城から逃げ出した 慶喜を卑怯者と生涯憎んでいたそうだ。


704: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/13(土) 03:22:18 ID:W/6XP8lI0

>>651
英明な方と知っていても、その上でやっぱり幕臣としては
兵を捨てての退却は、納得しがたかったんだろうなあ。


715: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/14(日) 07:41:38 ID:VNDqfEXSO

開拓史の娘だったばーさんの昔の家は原始人がすんでそうな藁葺き屋根のほったて小屋だった。


716: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/14(日) 07:47:35 ID:VNDqfEXSO

床は土の上に何枚もムシロをひいた粗末な家だったらしい。ヒグマがうろつく森の中に10戸くらいで集団生活して、もっぱら木を切り倒して、みんなで切り株もぬいて開墾するのが日課。


718: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/14(日) 08:04:26 ID:VNDqfEXSO

その中には攘夷運動に参加してた人や、大鳥圭介の部下で函館戦争に参加してた人もいたらしい。武市半平太や中岡慎太郎と面識あった話を聞いたっていってたな。ばあさんは30年くらい前に死んだけど


721: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/14(日) 15:29:06 ID:2tVK5OVUO

うちのひいひいじいさんは薩摩人だったが西南戦争で政府軍側の人間で薩摩軍のスパイだったが捕まってS郷T盛に首切られたそうな。
その祟りかはわからないがひいじいさんにばあさんに親父へと代々直系の人間の指が事故で千切れるんです。
次は俺の番なんですが今のところ何もありませんw。余談ですが一回テレビでS郷さんの末裔が出てたんですが親父がその人を見てる光景がなんか面白かったw


722: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/14(日) 16:20:19 ID:sGIBp7Sr0

鹿児島の人は西南戦争について祖先から話が伝わってること多そう。


733: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/18(木) 00:50:07 ID:Od82VGv70

祖母の話によると西郷さんの童歌は九州中で相当浸透してたみたいだな


778: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/26(金) 14:10:58 ID:YuAohCOS0

祖母から聞いた話

仕事を求めて日本にやって来た朝鮮人を下男として使ってたんだけど
まじめに仕事をする日本人と違って、すぐサボったり妙に卑屈な態度を取ったりして評判が良くなかった
ある時曽祖父の時計を盗もうとしてすぐ捕まり警察に突き出そうとしたが
地面に這いつくばって泣き出し許しを請うので、ついそのまま家に置いてしまった

戦争になり、書生さんや若い日本人の使用人は次々出征してしまい
使用人の男性は昔からいるおじいさんとその朝鮮人だけになった

日本の敗戦が決まり騒然とする中、その朝鮮人は家の中を物色し金目の物を盗んで逃げた
「昔盗みをしたとき叱り付けられたことを根に持っていたいたようだ」と
朝鮮人の犯行を止めようとして殴られ怪我をした、使用人のおじいさんが言っていたそうだ


782: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/26(金) 20:36:54 ID:Fm5VQ5j50

>>778
日本にやってきたっていうけど戦前は朝鮮も日本ですから。
朝鮮出身者も日本人ですからね。
一応いっときますけど。


783: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/27(土) 00:14:44 ID:MrPAJPPQ0

ひいひいじいちゃん。明治になっても仕込み杖っていうの、刀が入った
杖持ってたらしい。庭には貝をまいて夜はいつもぴりぴりしてたそうだ。
子供が足を切るので貝はやめてくれって言っても「大事を避けるためだ」
って言って聞かなかったんだって。


784: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/27(土) 00:33:13 ID:soBtnj5v0

>>783
そんな人達がごろごろいたんじゃ
そりゃ戦争強いわな・・・


790: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/27(土) 22:17:03 ID:N+Q8xDkC0

今井信郎もずっと仕込み杖を持ってたらしいな。
実際敵討ちが来たら「ちょっと待て」って言って奥さんから子供までが
武装してでてきた「いざ」って言うんで襲った側も気持ちが折れて酒を
酌み交わしたとか言う話がある


798: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/28(日) 14:54:01 ID:8gF9Ejtc0

祖母から聞いた高祖母(自分のひいひい婆さん)の話
慶応元年生まれの高祖母が子供の頃
田舎在住だったためか明治維新以降でも
チョンマゲの人は結構いたらしい 帯刀して道を歩いている人もいた

郵便配達制度が確立するまではその村の庄屋に郵便物や新政府のお達し類を一括して届け、
庄屋が村人に届けていたらしい 子供の高祖母がその役をやっていた
そのため小さい頃に寺子屋で漢字の読み書きを習った(女子はたった一人だった)
おかげで新聞が発行された時、スラスラ読めるのが自慢だった
(当時田舎の娘達はひらがなカタカナが普通だったらしい)
ボケる事なく90才過ぎまで生きていたから当時としてはすごい長生き婆だ


799: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/28(日) 14:54:55 ID:8gF9Ejtc0

別の祖母から聞いた話
うちは徳川家康が江戸に移った時、
三河から一緒について来た家来の家系(真偽不明家系図なし)なので
幕府終了して明治維新以降でも
代々お正月に手を合わせるのは宮城(皇居)ではなく
権現様(日光東照宮)の方角だった


800: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/28(日) 22:32:38 ID:Zcps8xFp0

新撰組がドラマになってるのを見てひいじいちゃんは
「わしが子供の頃は新撰組なんてどうしようもないバカで卑怯で口だけの連中って言われて
たもんだが。鞍馬天狗の敵役に過ぎなかったのになあ」と言ってたそう。

戦前は新撰組って悪役だったのか


806: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/09/30(火) 07:29:24 ID:OpBJwDOfO

>>800
新選組が現在のような人気者になったのは司馬遼太郎の「燃えよ剣」「新選組血風録」以降だと聞いたことがある


809: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/01(水) 21:23:54 ID:hvkY2lyK0

>>800
新撰組=悪というのは、明治政府がでっち上げた話。
色々調べてみると、戦前英雄扱いだった天狗党の方が、むしろ基地害の集団の様だ。


815: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/04(土) 19:03:52 ID:gxPA29qL0

近藤の手紙はかなり残っていたにもかかわらず価値無しとして処分されたそうだが
新撰組に限らず戦前の皇国史観で敵とされたモノの多くの資料が処分されたのは残念だな。

明治初期の廃仏毀釈と戦時中の空襲は文化財保護の観点から非常に残念だ。
けど外国には(例えば文化大革命時の中国)もっとヒドいことになってる国もありそう。


816: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/04(土) 22:25:22 ID:xiHIf60r0

いやいや下母澤が始末記で取り上げるまでは新撰組なんてほんとの唾棄すべき
集団としか捉えられなかったって。
見廻組の今井も「ご一新では随分間違いをしてしまい・・」って語ってたけど
幕府側の行動はまったくの愚行とされてたのでほとんどその頃のことを語る
幕臣古老はいなかったって。慶喜だってやっと対象になって皇居に上れたくらい


844: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/22(水) 19:59:37 ID:dAryizOBO

北海道出身の母親が子供の頃昭和40年代前半頃にソ連で抑留されてた親戚のおじさんを親戚一同で迎えに行ったとか。
1970年代に入ろうかと言う時代まで抑留されてたもんなの?


845: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/22(水) 20:08:08 ID:QiL7DxOK0

残留組じゃね?


846: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/22(水) 21:49:53 ID:llEFLLWd0

帰りたくない事情があったんでしょ。
日本にだって未だに帰らない半島の人たちがいるくらいだから。


847: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/23(木) 03:43:57 ID:D5aO7ZF8O

シベリヤに抑留されていた、じいちゃんの話。   
シベリヤでは年配の人は体力的に持たず、逆にあまり若いと精神的に持たなかったとのこと(祖父は当事三十前後) 

だれかが亡くなるとお供えものをしていたがあくる朝には必ず失くなっていた。
日本人にくらべてドイツ人のほうがひどい目に遭っていた。

じいちゃんも一度高熱をだして死にかけたが、死ぬかもしれないが飲んでみるかと謎の薬?を人からもらい命を取り留めた。

鉄道作業の帰り道端に芋が落ちていたので大喜びで持ち帰り煮てみると、馬か何かのフンだった。

蒙古の兵隊はすぐに何かくれとうるさかった。

もっと色々聞いて書き留めておけばよかったなぁ


848: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/23(木) 15:31:36 ID:jtAV5wNi0

>>847
>死ぬかもしれないが飲んでみるかと謎の薬?を人からもらい命を取り留めた。

これすごく気になる


852: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/24(金) 03:50:53 ID:V40V81VHO

>>848 そうですね。俺もすごく気になるんだけど 今となっては聞くことができない。ただ、じいちゃんもよくわかってはいなかったのは確か(笑)でもかなり劇的に治ったらしい。 


それ以後は命の恩人とゆうことで何かと、そのくれた人を立ててあげたんだって 

もし、じいちゃんがその時に、力尽きていたら俺も生まれていなかった訳だから俺もその人に感謝! 

追加


武装解除の前にじいちゃんはソ連機に襲われ足を負傷した。ソ連機は旋回してまた襲ってきたので近くに生えていた白樺の木に隠れて難を逃れた。 


この白樺の木にも感謝! 
ちなみにソ満国境の孫ゴというところにいたみたい


850: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/23(木) 23:12:43 ID:Up7kIsFMO

ばあさんの故郷四国の小都市でも軍港があったからよく空襲に遭ったらしい。
普段厳格なばあさんの父親も焦って枕を持ち出して逃げだそうとしたそうな。焼夷弾が屋根を壊すバリバリバリって音が今でも耳に残るとかそんなことをよく話してくれます


851: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/24(金) 02:32:35 ID:vmgyjB8U0

内地の話は悲惨ですな…

祖母は結婚とともに満州に渡って、戦後はシベリアから祖父が帰ってくるまで
祖父の実家の農家で数年暮した。話を聞いて印象に残ったのは
・百姓は凄い量の飯を食べること。
私は「農民は貧しい」って思ってたが肉体労働なんだから当たり前かな
・戦後すぐまで夜這いがあったこと。

歴史上の有名人との接触は、山本五十六の奥さんが祖母の実家の近所に住んでいた。
三橋牛乳屋の娘で祖母いわく美形一家だった。


853: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/24(金) 04:08:12 ID:Y+7Jb+ilO

俺の祖父は青島の部隊に配属されてたらしいが、戦時中にも関わらず食い切れない程大量の食事が出ていたらしい。
前線や内地とは偉い違い。


863: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/27(月) 05:19:46 ID:m8uv1KRiO

プライドが高く気性が激しい薩摩隼人の典型だった爺ちゃんは沖縄が陥落した十代の時本土に上陸なんかさせん!!と仕事もろくにせず毎日竹槍片手に山篭もりしてたらしい。
ギャグ漫画で竹槍でB29を突っついて云々と言う記載があったのが印象に残ってたので冗談のつもりで聞いたら本当にその気だったらしい○| ̄|_
しかも真顔で答えられた


874: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/28(火) 03:51:56 ID:dTeyOSC3O

>>863
明日は筍ご飯だといいな。
季節ハズレwww


881: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/10/31(金) 18:48:08 ID:nTTNVHoR0

20年前に亡くなった祖父が寝たきりになったころに
祖母が「じいちゃんは特高に追いかけられても負けなかったんだよ」とふと言った。
聞いちゃいけないような気がして詳しくは聞けなかった。
寝たきりになる前は毎週日曜にうちの仏壇にお参りに来てた。
そんな自分は思想とは無縁の日々を送っている・・・


888: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/12(水) 02:36:06 ID:HrVscF1zO

以前ここで竹槍の話題がでていたので昭和初期生まれの祖父母に聞いたら、やっぱり訓練やらされたようだ。
ただ、現実に飛行機に対抗できるなんて、本当のところ誰も信じちゃい無かったという。当たり前だが。
しかし、政府の命令なら訓練せざるを得なかったんだな。自分で身を守れっていわれりゃ抵抗できる兵器は刀や槍くらいしかないから。
その他にも戦時中は兄弟を戦地に見送ったり南方に通訳で派遣されたり大変だったようだが、戦後の方が寧ろ倍は苦労したとか。


889: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/12(水) 02:56:13 ID:kGvWdiyP0

竹やりは戦闘訓練じゃなくて、基本的には気合を入れるためでしょうね。
辛いときだからこそ声出して、気持ちだけでも軍人さん(みんな地元の若者だ)と一緒になって
みんなで戦おう、頑張ろうと。

逆に「もう負けです、どうせ皆死ぬからから訓練なんてしなくていいですよ・・・」って政府が言ったらどうなる。
敗戦色濃い時期に、軍人も民間人もみんな下向いてたら仕事もできないし、自殺者が大量に出たかもしれない。


899: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/26(水) 02:11:43 ID:Q3ED5WMa0

明治38年鹿児島川内生まれの祖母は川内川で水練をやったと話してました
胴に巻いた手ぬぐいを後ろから母親(曾祖母)が掴んでいて、緩めては泳がせ、
沈みそうになると手綱を締めるようにして助けたそうです

薩摩琵琶を演奏する若い頃の祖母の写真が残ってます


900: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/26(水) 03:02:09 ID:76lT/NtO0

「胴に巻いた手ぬぐい」ってところがいいね


913: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/12/27(土) 22:30:11 ID:4VM3iSXK0

隅田川を泳いで渡ったって言ってたな。死んだおじいちゃんが明治時代、20代のころ


922: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/01/04(日) 22:03:56 ID:/a2P/FFx0

幕末より少し前に母方の先祖がある神社の鳥居を建てたらしいんだが、
ついこないだばあちゃんがその神社から「鳥居を建て直したいの寄付を」とお願いされたそうだ
ばあちゃん曰く、「そんなん知るかwww」

立てた当時、その先祖は藩士だったそうだがそんなの勝手に建てていいの?
十人扶持大番組って言われてもどれ位の身分かわからん。
その鳥居見に行ったら確かに名前はあった。

あ、幕末には長刀の道場やってたらしい。
女の先生だったらしいが。長刀って女が習うもんだっけ。
勉強しないとダメだなー、俺。。。


929: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/01/05(月) 18:18:44 ID:qt0xmHuz0

>>922
寄付なら別にいいんでないの?詳しくは知らんが
つーかその神社すげえな


951: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/04/09(木) 23:02:23 ID:IKCN6ieF0

幕末は飲み屋が面倒だったらしい。酒の上での喧嘩は今でも多いけど
それが侍だとすぐに斬り合いになるので店の被害も大きかったと。
片付けしてると指が落ちてたり耳とかほほが転がったりしてたそうな。

ばあちゃんのばあちゃんのばあちゃんの話


189: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/29(日) 14:17:43 ID:nYnNWkWL0

京都の江戸時代の風景をCGで復元したものを見たことが有るが
綺麗だったな、なんつうか幻想的な感じ。


406: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/29(火) 19:12:05 ID:/78PcCPJO

黒髪大和撫子美人とセクロスしてえ
明治大正には腐るほどいたんだろうな
ああ羨ましい


302: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/13(日) 23:32:32 ID:XX4+1Kqo0

婆さんが死んだ後、数年してから、幕末~現代に興味がわき、もっと聞いておけばよかったと後悔した




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♯50274
7年前のスレか 偉そうなのが多い
♯50276
俺の小さい頃の話だけど、大阪駅だったかな?戦争乞食(包帯を巻いた乞食)が居たよな。45年くらい前の話だけど?
かうんたっく

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