【生活】思い出すと泣けてくる思い出 てんこもり。


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【生活】思い出すと泣けてくる思い出

1: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/18(火) 21:25:49

ありますか?
自分の大親友が中学受験で離れ離れになっちゃったとき


2: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/18(火) 21:31:45
ちっちゃいころ弟とおもちゃ取り合って 
ものすごい勢いで階段駆け上がるわたし 
追いかける弟 

階段でこける弟 

弟は口の中切って何針か縫う事に・・・ 
ほんとごめんね・゚・(つД`)・゚・

3: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/18(火) 22:20:07
ガキの頃、兄弟四人で一年位生活してた事 
電気止められて、ろうそく使ってた 
みかねた電気会社の人が「三つまでなら電気使っていいですよ」 
と言ってくれた時は嬉しかった 




8: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/19(水) 17:31:54

>>3泣いた


6: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/19(水) 10:26:39

片側2車線の道路を原付で走っていた。
後ろから来たトラックが幅寄せして来て、ビビってハンドルを左に切ってしまい、前輪が縁石に接触して転倒。
幸い後続車との距離があり、止まってくれたためひかれずに済んだ。
そのトラックは少し先で停車して待っていた。
開口一番「こっちはミラー見て気を付けてたんだから、ちゃんと運転しろよ」
いつの間にか、私は泣いていた。
それを見た相手はオロオロして「泣かんといてや、それじゃ俺が悪いみたいやん」
今考えれば、何故反論出来なかったのかと思う。

その後、私はコンビニのトイレに駆け込んで、泣き崩れた。
今になって転倒の恐怖が押し寄せ、また相手に対して何も言い返せなかった悔しさで、しばらく涙が止まらなかった。

家に帰ってしばらくしたら、だんだん足が痛くなって来たので見たら、両膝が青くなって腫れ上がっていた。
程なくして、痛みで歩けない状態になってしまった。
親の手を借りて病院に行き、診てもらったら打撲していると言われた。
幸い、骨に異常は無かった。
だが、しばらくの間日常生活に支障をきたす日々が続いた。

書き込みの途中で、思い出して泣きそうになったのは秘密です(苦笑)
乱文、長文失礼。


31: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/23(日) 09:27:18

>>6
頭だいじょぶ?
トラックは車輪の幅が広いからカーブの時幅寄せされてるように感じる


10: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/19(水) 18:45:26

母親が飲酒運転のトラックにひかれて死んでしまった事
3年経ったが今でもふとした瞬間大泣きする。特に母との思い出の品や場所を見ると。
最後の言葉は「今日は雨降ってるんだから気を付けて行きなね」だった


35: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/25(火) 02:43:29

>>10
それは辛いな。何も言えないけど、死んだって思うのではなく、
自分の記憶の中でずっと母さんが生きていると思えば少しは
救われるんでは。記憶とか思い出の中では人は永遠の存在になれるのだから。
例えが悪いけど、もう何十年も前の映画やスポーツの試合なんかでは、
亡くなった人がブラウン管の中でまだ若くて生き生きと動いてるよね。
心の中の映像もそれと同じことだよ。


12: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/19(水) 21:45:14

ベタだけど愛ハムが死んじゃったときのことは
今でも思い出すとボロボロ泣けてくる。
初めて手に乗ったときのこと・・・
初めて手の中で寝てくれたこと・・
撫でたらすごく幸せそうな顔をしてくれたこと・・

今では全部が思い出です。


14: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/19(水) 22:03:51

前立腺マッサージを発見した時


20: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/22(土) 17:46:08

盲導犬クイールの一生


21: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/22(土) 19:09:25

子供の時クリスマスの夜、サンタを信じていたら母と父でもうサンタ信じてないでしょといってプレゼントをくれなかった。。。


23: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/22(土) 19:26:34

家から一歩も出たことがなかったうちの猫(当時一才)が
俺がうっかり窓を開けっ放しにしてたために外に出て、
数日後近所の農家の納屋の藁の上で丸まって死んでるのが見つかった。
1月の寒い朝だった。
帰り道もわからず寒かったんだね…
ごめんな…


24: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/22(土) 19:34:32

私は循環器科の医者になり父の自慢の娘でした。父が心筋梗塞で倒れ入院、担当にはなれなかったが悪化した夜はたまたま私が宿直してた。緊急処置を施し…最後に心臓マッサージを行い臨終を迎えた。医者になって1番辛かった…


25: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/23(日) 01:03:00

>>24
きっとお父様は喜んで満足されて召されたのでしょう。合掌。


30: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/23(日) 04:23:32

唐辛子をいじった手で目をかいてしまった


34: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/25(火) 01:47:43

>>30
俺なんか、まず七味唐辛子が目に飛んできて、次にワサビが目に飛んできて、次に虫が目に飛んできて……
マジで涙が止まらなかったよ。

目は細めなのになんで入るんだ……orz


32: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/23(日) 15:01:26

ラーメンマンの髪型して帰宅した母を夕べ見て泣いた 


40: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/25(火) 22:46:45

口の中にカメムシ入った


44: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/26(水) 04:57:57

小中どっちだったか忘れたが2泊3日林間学校の2日目、寝る前に担任教師が親からの手紙を全員に渡した
周りにいた奴は笑ったり黙ってたりで俺も大したことは書いてないだろうと思ってた
だが内容は俺が生まれたことがとても嬉しかったとか体は一生ものだから気をつけるんだよ、とかそういうものだった
本当に心配して貰ってるんだなとわかってボロボロ泣いた、心からありがとうと思った
青臭い思い出だがあの時のことを思い出すと今でも泣ける


45: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/26(水) 14:18:20


10才そこらで親への感謝で泣ける感情を持ってたってすごいね
オレは23才の時に初めて泣ける程の感情持てたから。


46: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/26(水) 14:27:54

確かにすごいですね。私は今まで16年間生きてきて親への感謝で泣いた
ことは一度もないです。親にあんまり心配かけちゃって泣いたことはあ
ありますが。


54: 44 投稿日:2006/07/27(木) 02:11:56

>>45
>>46
改めて言われると何か心に響いたんだよ、手紙だと特にね
父親は単身赴任で日頃滅多に会わないのに凄い心配してくれててさ
まぁ最近は殴り合ってばかりだけどな


51: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/26(水) 18:36:33

良スレ


53: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/27(木) 01:02:19

中三の時
同じクラスに初恋の人ができた
ほとんどしゃべることもなかったけど
いつも見てるだけだったけど
そしてもう会えないけど
楽しかったあの日々を思い出すたび泣けてくる


56: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/27(木) 19:04:26

同級生10人の前で、公開告白した事。そしてきれいに
振られた事。


58: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/28(金) 12:19:51

妻と別れてからも 月に一度だけ子供達に逢わせてもらってました。
毎月その日が待ちどうしくて、今度はドコに連れていってあげようかなぁ?何を食べたいかなぁ?など思い考えながら逢える日を心待ちにしていました。
けれども 逢えた日には必ず別れなければならない時間がやってきます。
迎えにきた元嫁の車に乗せ「また遊ぼうねぇ」と 声をかける度に 娘は幼いながらに泣いてはいけないと思ってたのでしょう…
目にいっぱいの涙をためながら、気丈に手を振ってくれました。
車が見えなくなるまで私も目一杯 涙が溢れてくるのを我慢し手を振り続けていました。
もう何年も前の話ですが、今でも すまない気持ちでいっぱいです。悲しい思い出ですが
今でも月に一度 逢わせてもらってるので 悲しい思いをさせた分 楽しい思い出を目一杯作れるように 子供孝行していきます。
つまらない長分すいません


61: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/28(金) 18:32:46

ついこの間、妹が星になりました。
原因は交通事故でした。
信じられませんでした。今でも立ち直れません・・。
>>58
本当に娘さんは優しい子ですね。
可愛い娘さんを幸せにしてあげてください。


62: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/28(金) 18:58:02

上京する前日、家族で食事をしようという事になったのに
弟1が「俺の高校の合格祝いなんだから寿司だ!」とか言い張って(私はすしが嫌い)
父も「弟1の高校合格と弟2のなんだかのお祝いなんだから、弟に合わせろ」とか言った事。
そんで私は寿司が嫌いなので食べられないから、とだだをこねたところ、置いていかれた。
母だけ残って私の好物のケンタッキーを買ってきてくれたが、
帰ってきた弟たちに食べ尽くされたこと。

母だけは私のお別れ会だと思っていてくれたみたい。嬉しかった。


63: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/29(土) 01:49:15

あと一年以内に母が亡くなること
覚悟なんかいつまでたってもできない
ごめんなさい。ここしか吐き出せるトコがなかったんだ


69: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/29(土) 23:44:22

>>63
その間、お母さんを大切にね(;ω;)


67: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/29(土) 23:05:28

父親が亡くなったこと。
ファザコンだった為、思い出す度に泣いてしまう…


74: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/30(日) 19:40:31

母が雨の朝、砂利道で転んだ。
顎を切り、血を流して、一階から寝ている私に向かって
声にならないうなり声の様な声で呼びかけた。
母は腎臓病だった。
その治療の副作用で血液が凝固しなかった。
そして人工透析をしており、腕には機械?が入っていて
体力も落ち、骨も弱っていた。
腕をぶつけたらオワリなので守ろうとしたら
二回も転んだのだと、痛い痛いと言ってた。
うちは母子二人暮らしで車が無いため、親類を呼び
病院に向かってもらった。
親類は私に、おまえも乗れ、ついててやれと言ったけど
私は風呂に入っていなくてぐちゃぐちゃでスッピンでもあったので(醜形恐怖症です)
行かなかった。
行けなかった。
母は もういい!と怒ってた。
きっと悲しかったのだと思う。
障害者手帳を持っているから私が恥ずかしい思いをするのでは、
などといつも母は考えていた。
母は、私が母を愛していないと思ってた。
幼い頃は母から虐待的なめにあっていたし
私はすれてひどい暴言ばかりはいていた。
数時間後、顎を縫ってもらった母は帰宅した。


78: 74 投稿日:2006/07/30(日) 20:06:30

>>74に書き忘れました
私は 母が血まみれになってる姿を こわい と思ったんです。
ついていってあげなかった事、こわいと思った事、
後悔がとれません。
また、私が気付いてやってたらまだ死ななかったのにと。
私たちには大きな溝があり
私はそれを埋めようと数日前に決意して
暮らしの事を二人で話していたところでした。

すいませんm(_ _)m


75: 74 投稿日:2006/07/30(日) 19:48:59

ある日、母は倒れた。
二時間前まで私がまたつっかかっていた母は
奇妙な形で倒れたまま動けず、しきりに頭が痛いと言っていた。
動揺しながら私は病院に電話した。
その間も母の意識は薄らいでいき、次第に目を閉じていった。
おまえが病院に連絡したのか、えらいね。って
小さな子に言う様に私をほめた。
救急車の中、私は特に声をかけなかった。
病院につくまでのしんぼうだ、頑張れ そう思っていた。
病院につくと医者は、残念ですが と言った。
ドラマの撮影みたいだった。
病気のせいで体力がなく、手術に耐えられないとの事。
こいつは何をおかしな事を言ってるんだ?と思った。
死ぬのを待つしかない、と言う。
私は理解できなかった。
病院につけば助かると思っていた。
死ねと叫んだことはあった。いつか覚悟が必要だとも思ってた。
が、母はいつまでもそばにいるのだと思っていた。


76: 74 投稿日:2006/07/30(日) 19:55:36

脳で出血が起きていたのだった。
今までも頭痛などがあったはずだと医者は言った。
そういえば、日に日に元気はなくなっていたし
ろれつも回りにくくなっていた。
手がしびれると言った日もあった。
それは病気のせいだと思っていた。
医者と楽になる方法を話していると思っていた。
でも母は医者に話していなかった。
私のせいだ。毎日顔を合わせていたのに。
それから病室で、私は選択をしなければいけなかった。
人工透析は、一度でもやらないと死ぬのだと母は言っていた。
だから元日でも台風でも通院してた。
本当は入院レベルなのに、私がひとりきりになるから入院しなかった。
医者は、脳の出血で死なせるか透析をしない事で死なせるか
母の死に方を私に選べと言ってきた。
私が代わりに死にたい気持ちだった。

火曜日の朝、いつもなら透析の時間。
その日は管を通さなかった。
すると二時間後に、母の心臓は止まった。


77: 74 投稿日:2006/07/30(日) 20:02:59

どのタイミングかは忘れたが、私は一度家に戻った。
母の布団にはさっきまで人が寝ていた跡があり、
もう誰も使わないなどとは思えなかった。
私は枕をだきしめて大声で泣いた。
母のことを呼びながら何十分も泣いた。
私が小さい頃、水商売をしていた母は
私が夜中に目覚め、呼びながら泣き出すタイミングでよく帰宅していた。
だから私は自分が呼んだから帰ってきたのだと思ってた。
でも、呼んでも呼んでももう母は帰ってこなかった。

火葬場でボタンを押す役目は姉だった。
私は姉と暮らしたことがない。父親が違っている。

長々とすいません。
私は25になり、あれから3年か4年経った。
だけど過ぎた年月も、母の命日も、
何度覚えなおしてもどうしてか忘れてしまう。

私が思い出して泣くのは母の事だけです。
たくさん書いてすいませんでした。


81: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/31(月) 01:34:12

親孝行、したい時には親はなし…

あなたが悔やむ事はないよ。
どんな親でも、子より先に死ぬ。
どんな形であれ。
良かったじゃん、亡くなる前に良い話し合いができて。
深い溝のあいたままだったら、ひどく辛かったと思うよ。一生。

余計なレススマソ。


83: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/31(月) 16:58:45

うう・・泣ける・・


91: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/02(水) 22:23:07

他界した身体障害の姉の顔を拭いてあげたことが最後だったこと。


92: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/02(水) 23:09:24

他界した旦那の位牌前で営みしてる自分
性欲に負けてゴメンょ旦那


97: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/03(木) 10:39:18

母親がストレスで倒れて運ばれた時


99: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/03(木) 10:41:35

最後にとっておいたケーキのイチゴを落としたときかなぁ・・・・


103: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/03(木) 13:37:48

母親が忙しすぎてぶっ倒れた時……。
しかも自分の為に何とか時間作って学校来てくれた時だった。
マジごめん。わがまま言って。
その後母は病院に入院したケド今は元気


104: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/03(木) 17:49:54

14歳上のねーちゃんの結婚が決まった時、家から出ていくのが悲しくてこっそり机に隠れて泣いてたら
ねーちゃんが探しにきて、俺は鼻水ダラダラでねーちゃんに抱きついて、高価な着物を鼻水だらけにしたこと。
あれは結納だったんだけど、俺はずっとねーちゃんから離れなくて困ったと母親に今だに言われる。


108: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/04(金) 02:51:35

ヤカンを落として母の手を大火傷させてしまったこと


112: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/05(土) 02:47:42

転校すること知らなくて最後の日に貰ったラブレター
俺も君が好きでした


119: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/07(月) 04:11:23

>>112
切ないね。
なんだか泣きそうになってしまったよ…(´・ω・`)


115: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/06(日) 16:49:49

学生の時に母親に奴あたりして体を強く揺さぶり倒した
泣きながら着替えてた母親の背中が
先ほどの俺のせいで赤くミミズ腫れしてたのを見た時
反省して来年の春に一諸に北海道へ旅行に行く  


118: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/06(日) 23:55:10

母の12時間にも及ぶ頭部の大手術。手術室から部屋へ運ばれてきたときの母は痛々しかった…。今は回復してます。


120: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/07(月) 08:07:35

祖父が道で転倒したのを部屋から見えた
周りの人は助けずに知らんぷり
若い女性は祖父を見て笑顔の有り様
部屋の中に居た俺は優雅にカキ氷を食べてた


122: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/07(月) 16:45:54

大雨の中、迎えに来てくれてたじいちゃん
去年の台風時に、増水した川に流されて行方不明中
遺骨なき葬式は泣くに泣けず   


123: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/07(月) 16:51:44

>>122
爺さんの分までイキロ


124: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/07(月) 23:54:06

修学旅行で、結構仲のいい社交的な友達に誘われて
その友達の友達とも一緒に班を組んだ。
自分達は3班。
本当は部活の友達と組みたかったけど、人数制限で無理だった。
部活の友達は6班。

しかしこれが悲劇。
クラス行動のほとんどが1~3班と4~6班に分かれての行動。
でも1~3班には仲のいい人がいない。
誘ってきた友達は他の人と話してたから話しづらくて、
内向的な自分は結局一人で歩くしかなかった。
バスの中でもそんな感じだったからずっと寝てた。

修学旅行もう一回行き直したい……


125: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/08(火) 00:18:59

前に母親が一年以内に亡くなると書いた者です
あれから容体は急変し、医者の話だと治療はやめて緩和に向かうとのこと
今月が覚悟の月になるかも

産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
一緒に笑ってくれてありがとう
心配してくれてありがとう
信じてくれてありがとう
お腹痛かった時さすってくれてありがとう
ご飯作ってくれてありがとう
毎朝起こしてくれてありがとう
応援してくれてありがとう
ありがとう。もっとありがとうって言いたいよ


134: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/08(火) 19:08:57

>>125
それをあなたのお母さんに直接言ってあげて欲しい。
冗談っぽくでもいいから。

私の母親が亡くなったのは本当にある日突然で
何も伝える事が出来なかった。
倒れてそのまま。。
弔問客に出したキュウリの漬け物は前日母が漬けた物だったよ。。


128: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/08(火) 01:42:04

小学校の頃の友人たちと一緒に毎日、楽しく遊んでた頃を思い出すと泣ける。


135: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/08(火) 23:33:32

中学の頃の卒業文集にまつわる話です。

文集のクラスのページに、なんでもランキングっていうのがあった。
その作りかけの原稿をみたら、私の名前はどこにもなかった。
多分クラスの中でも私だけだった。
きっとその時私は思わず「私ないわー」とか言っちゃったんだと思う。
一緒に見ていた親友が「編集委員の子に言ってくるよ!今なら変えられるよ?」と言ってくれた。
普段は自分から行動や発言をするタイプじゃない親友がまさか
そんな事を言うとは思わず、泣きそうになったけど涙をこらえて「別にいいよ」と私は言った。

その悔しさと、親友の優しさが3年経った今でも忘れられず、
卒業シーズンになる度に思い出して泣いています。


137: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/09(水) 13:58:15

>>135
かわいそう・・。
でも良い親友やね


140: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/10(木) 00:07:30

堤防で釣りをしてた時に
父が大物を釣り引き揚げようと竿を持ち上げたら
途中で折れてしまい逃げられた
諦めきれない父が、飛び込んで竿ごと捕まえようとしたが
考えてるより浅瀬だった為に、父は東部を打ち気絶
10歳だった俺は、飛び込めずに泣いてオロオロ
下では、半尻状態の父がうつぶせで浮かんでる
その周りでは、先ほどの逃げられた魚が、ついてるであろう竿の先のウキが
父の周りを、ゆっくり迂回してた房総の夏 


148: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/12(土) 21:55:04

>>140

あなたおもしろいw
他に話があれば書きこみしてww


146: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/12(土) 16:58:16

飼ってた猫が、俺が大学に進学して引っ越した次の日に死んだこと。ごめんな最期まで一緒にいれなくて


147: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/12(土) 18:21:03

家が大きい理由で小学生の頃いじめられてたこと。


次の仕事を探してる2ヶ月の間、たまたま3日続けて予定があっただけで母に
「ふらふらして。こんな子になるとは思わなかった。出ていけ」と叫ばれた。
今も親の顔色を伺った生活を続けてる。
26歳です


149: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/12(土) 22:06:12

>>147
同い年だ。早く当座の金貯めて出て行こうや。
しばらくはその日暮になるけど、たぶん多少解放されて気持ちがしゃんとするって。
そしたらいろんな歯車が良い方向に回りだすかもしんない?


150: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/12(土) 22:24:09

目も開いていない猫が4匹捨てられいた
一度家に帰ってお母さんにせめて目が開いて飼い主が見つかるまで飼わせて!と頼んだが案の定ダメで、せめてミルクをあげようと思って猫のもとに走った
その時には、もう野犬に遊ばれて血まみれでぐったりしてる猫達の姿があった
3匹はもう動かなくて1匹だけ苦しそうにモゾモゾしていた
泣きながらその猫の首を絞めた
涙が止まらなかった
猫は最後に手がピーンとのびた後、ぐったりした
未だに忘れられないあの感触
楽にさせてあげたかったけど、やっぱりそれは人間のエゴだよって思い出しては後悔する


154: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/15(火) 00:23:35

私は中学の頃にいじめられてました。独りぼっちの寂しさや皆に信じてもらえない悔しさで泣いていました。親や兄弟が帰ってくる前のわずかな時間を毎日毎日泣いて過ごしていました。
そうすると犬が「どうしたの?何かあったの?」と困り顔で近づいて来てくれてました。犬に私の泣いてる訳は分からないと思うけど、慰めてくれようとペロペロ舐めてくれるその仕草にまたワンワン泣いてしまいました。

いじめは辛かったけど、私にも非はあるし、乗り越えてみせる物だと考えてます。
ただ、ホントに辛かったあの時に、隣にわんちゃんが居てくれて良かったです。


155: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/16(水) 16:41:33

家族で組体操してた時
参加出来ない祖父が
隣の部屋で泣いてた思い出
祖母は一応は参加できたのだが
ごめんよー祖父


156: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/16(水) 20:56:25

祖父可愛スw


158: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/16(水) 22:14:45

家族で組体操ってのもある意味悲しい…


163: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/17(木) 23:07:01

私は継母なんですが、、、
娘がまだ小学1年生の時、怪我して泥まみれで帰ってきたことがありました。
何でも同級生に、「お前の母ちゃんままははなんだろ?本当の母ちゃんじゃないんだろ?」等と4人組にいじめられて来たとのこと。
それで、娘が泣きながら私に、「お母さんは私のお母さんなんだぞ、世界一のお母さんなんだぞ!」と取っ組み合いの喧嘩をしてきたんだと。
娘が私に
「お母さんは私のお母さんだもんね。私お母さん大好きだもん」と泣きながらも笑顔で抱きついてきたのが、すごく嬉しかったし、泣けた。
立派に二十歳になって、今じゃくだらないことで喧嘩もしますが、この子の母になれて本当に幸せです。


164: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/18(金) 00:06:52

実の子でも育てるの大変なのに、他人の子を愛情一杯育て上げた>>163はほんと偉いよ!
これからもがんがれ。


167: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/19(土) 18:00:49

7歳の時離婚して出て行った母親が、最後に一度だけ誰にも内緒で小学校に私に会いに来てくれた。お母さんは泣いてたけど、その頃の自分は何も知らなかったから喜んでた。
今思うと、何も知らないがゆえに笑顔で見送れて良かった。
もう十年以上前の事で、今はもう生きてるか死んでるかも分からないけど思い出しただけで涙が止まらない。


168: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/20(日) 13:45:56

5年前ぐらいの話。
中学3年の時少しの間登校拒否になってた。
俺はサッカー部にいたんだけど部活も辞めた。登校拒否は部活が原因だったようなもんだし。
家でする事もなくて毎日ボーっとしてたらある日サッカー部の副顧問の先生が家に来て、「学校行くのしんどいかもせんけど出席だけ取っとけ。保健室おるだけで大丈夫やから。」って言ってくれた。
正直行きたくなかったけど何回も先生が家に来てくれて話してくれたり、車でドライブ連れてったりしてくれたから出席だけ取りに行ってた。
先生が来ても居留守使った事あったけどずーっと家の前で先生が待ってくれてた。
今思えば先生が来てくれてなかったら俺は今頃何してるか想像もつかない。
結局学校には戻れず2学期に転校した。転校する時も先生は話しにきてくれた。
お礼も言えずにそれからずっと会ってないけど元気にしてんのかなぁ。ふと昨日思いだして書きました。


170: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/22(火) 13:32:23

13年間、一緒に育った愛犬。
乳癌を患い最期は餌も食べず歩く事も出来ない状態でした。
横たわっていた愛犬が急にスッと立ち上がりタタタと水を飲みに行き、シートの上でオシッコをして「キャンキャンキャン!」と鳴いて倒れてました。
名前を呼んでも意識は無く胸だけ上下して呼吸だけしてる状態になってました。
「もう いいよ…楽になっていいよ…シートにオシッコしに行かなくても怒らないのに…最期までいい子だったね…」と言って小さい体をさすってやってると胸が上下する動きが止まりました。


171: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/24(木) 22:35:03

父親が末期がんで、一時帰宅してた
家にいたら、突然「背中マッサージしてくれ」と言われた
ほんとは嫌だったけど母は出かけていたので、仕方なく押してあげた。
久しぶりにさわった父の体は骸骨みたいにやせていて怖かった
だからすぐ「もういいでしょ?」と言ってしまった

父は「ありがとう」といった

あれから一週間もたたないうちに死んでしまった
今思えば、一番苦しかった時期だっただろうに


帰ってきた母とのやり取りが聞こえた。
「マッサージしなくて大丈夫?」
「今日は○ちゃん(私の名前)がやってくれた。きもちよかった」

その父の言葉が忘れられない


172: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/25(金) 19:03:38

>>171
泣ける・・・。


173: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/26(土) 02:45:43

中学の時は1~3年まで毎年クラス替えがあったんだけど一学期の最初の日から感情を押し殺す演技をしてた
幼いころの悲惨な事件の影響(自分以外の家族を目の前で全員惨殺される)で一切の感情を失った悲劇の少年って言う設定だった
それで好きな子ができると、なんか理由をつけてその子と二人っきりになる機会を作って、一通り自分の人生(全部つくり話)を語った後に大泣き、または狂ったように大笑いして
「君と・・・・・・君とであったおかげでボクは人としての感情を取り戻したよ」
これが自分の中での最大の女の落とし方だった

3年のとき唖然とした相手の子に
「先生呼んでくるね・・・」って言われた


174: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/26(土) 03:14:46

ワロタw


175: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/26(土) 03:55:45

17の時、親父が会社の健康診断みたいなものでひっかかった
今度きちんと検査しに行くけど、まあたいしたことないだろと親父は言ってた
しかし病院での診断結果は癌だった、でも最初は手術で治るって聞いて少し安心していた
なのに術後に聞いた言葉は、転移により余命9ヶ月という結果だった
おかんは病院にいたし学校から帰宅後に祖父母からこのセリフを聞いた

正直「は?」意外頭に浮かばなかった

けど時間が経つにつれどんどん痩せていく親父見てどんどん実感していく自分がいた
そんな状態なのに、親父仕事辞めねえでやんの、動けなくなるぎりぎりまで働いてやんの
もういよいよ動けないって状況になってようやく辞めて、それからずっと入院生活
たくましかった親父の見る影ゼロ、もうガッリガリ、骨浮きすぎ、親父見る度にそんな事思ってた
なのに「見てみろ、こんなにヒゲ生やしてやったよ、仕事ん時はできんかったからな」とか楽しそうに言うの
それ見て兄弟で「チンピラやんw」とか言って顔では笑ってた


176: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/26(土) 03:56:38

けどやっぱ少しずつ元気なくなってきてるのがわかった、最後は自宅でって話になって家に帰ってきた
家にいる時、やめていたタバコをたまに俺に要求してきた、あと普段全く呑まない炭酸飲料なんかも
死期が近づいているのを察していたんだと思う、ダメだと思いながらもその要求に答えてた
最後はなるべく好きにしてほしかった、けどその時はもちろん今もあれが少しは死期近めたのかなとか思う
抗がん剤とかの影響で、辛そうな顔する事が多くなってきた、最後とか呼吸もままならん感じ
おかんに「三日間くらい眠る薬打つ事になったよ、起きたら少し楽になる薬」って言われて、是非打ってって思った
薬投与の前に兄弟が一人ずつ親父の部屋に呼ばれた、兄俺弟の順で、俺は

「音楽でもスポーツでも勉強でも何でもいい好きな事やれ、後悔は絶対すんな
友達裏切るな、人に慕われる人間を目指せ、おまえは一番俺に似ている」

だって、ほっそーい腕で力なく俺の手握って、喋るのもきつそうなのに何か迫る感じが伝わったの覚えてる
三日後起きるなんて嘘だった、何かどっかで解ってたけどやっぱ耐えられなかった
細い呼吸がゆっくり消えていった、息引き取り確認してくれた医者看護婦に今までのお礼言って
部屋に入ってこれでもかって程泣いた、もう会えない、話せない、どうしようってもうどうにもならん、って

やっぱいつ思い出しても辛い、時が経って大分傷は癒えたけどね
俺は今親父に見られて恥ずかしくない人間になろうと頑張ってる、みなさん人を大切にね長文スマソ


177: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/08/27(日) 16:30:35

ふだんはあまり外に出させないのだが、ある日飼い猫がふと邪魔になったので外に放り出した。
しばらくして猫同士の喧嘩の鳴き声が聞こえ静かになった。
それ以来うちの猫は帰ってくることはなかった。

一週間後、家から少し離れた道端で冷たくなっていた。
まだまだ寒い冬の、ちょうど俺の誕生日の日でした。


179: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/02(土) 14:26:24

精神的にカツカツになってしまった夏休み。
他人に甘えるな自分ばかりが不幸だと思うな、とひたすら言い聞かせた。

厄介な病気になってしまい通院する事になった。
でも誰にも相談せず。
言ってもどうにもならないから、て思って終わった。
その日に久々にコンビニに入ってライターを買った。
久々に煙草吸いたいなぁと思って、買い置きの煙草も出してきた。
でも吸う気になれない。
医者に止められたわけでも何でもないのに。

「あーなんでだろう」て独り言言って煙草しまって、夜の道路に立ってみた。
月がキレイだった。

自分はどんな大人になりたかったんだっけ。
昔見た月と、今見てる月は明らかに違う。
今見てる月と"今見たい月"も違う。

たった数分間だったけど泣いた思い出。
今でも思い出すと涙が出てくる。

生きたい。


180: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/02(土) 15:50:43

>>179、あなたの苦しさはあなたにしかわからない。
『自分より不幸な人がいるはず』と思ったって、人の苦しみが自分に解らないように、人にも解ってはもらえない。
でも、永遠に降り続ける雨がないように、あなたの気持ちが明るくなる日も必ず来るよ!しかも近い内に。

どうか元気出してください。


181: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/03(日) 00:42:50

父の最期を看取ることができなかったのは、今でも心残り…。


188: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/10(日) 04:02:55

うちは貧乏家族でお年玉を毎年もらえなかった(´・ω・)小6の元旦の朝初めて父親からお年玉を貰った。
中身は500円玉1枚と手紙。手紙には「今までやれなくてごめんな。これでビックリマンチョコでも買いなさい。」と
書いてあった。俺は嬉しくて布団の中で泣いた。23歳になった今でもその500円玉を持ってる。


189: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/12(火) 09:09:41

いい話しだ。
金額じゃぁないんだよな。


190: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/12(火) 11:09:30

いい話だ
でもよく考えたら、おれも親からお年玉をもらったことは一度もないな。
というか親戚からもらったお年玉も、半額親に渡し、残りは信用金庫に
1/4に預けにいかされた(1/4に子どもが行くと、おもちゃをもらえた)。
その貯金も大学入学のとき、全額拠出させられた


191: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/09/15(金) 04:06:32

正月に祖父が作成した絵画を凧にして飛ばした
途中で糸が切れて凧が遠くに飛ばされる
追いかけてた祖父の後ろ姿を見て 弟が突然にタックル
埃まみれの二人 消えていく凧 遠くで眺めてる祖母
泣けた


211: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/10/02(月) 20:06:43

小学生の頃、夏休みに毎年田舎のばぁちゃんの家に帰ってた。「来年は会われへんかもしれんし貰っといてや」遠慮をするとこう言って必ずおこずかいをくれてた。

亡くなる年の夏休み最後の日には、珍しく写真を撮ろうとばぁちゃんが言って孫ばっかりとばぁちゃんで集合写真を撮った。
それから秋にばぁちゃんが死んだ。棺の中のばぁちゃんの手にはその時の写真が握ってあった。もう15年ほど昔の事だが今でも鮮明に蘇る。


214: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/10/08(日) 17:17:03

今から十数年前。当時小6だった俺は小学校の合唱クラブに参加していた。
合唱コンクールに出場するために、希望する有志を集めたクラブで、
不定期に放課後の音楽室で練習をしていた。

ある、給食が無い午前授業の日のこと。
合唱クラブのメンバーは弁当を持参して、昼食後に練習する事になっていたが、
俺は当日のお昼に音楽室へ行ってから弁当を忘れた事に気がついた。
お金も無く、家は遠いので戻る事も難しかったし
合唱を担当する先生は昼食後にやってくるのでその場にはおらず、
いまから思えば職員室に行って事情を話せばなんとかなったのだろうが、
当時はそんなこと考えつかなかったので、
俺はすっかり食事を諦めて、弁当を広げるみんなを見ながらボーっとしていた。

一人食事をしない俺を見て、同じクラスのK君がやって来た。
K君は冬でもランニングに短パンで、いつも真っ黒に焼けた元気な男の子。
俺は友達が多い方じゃなかったし、K君とも特別仲が良かった訳では無い。
K君「お弁当食べないの?」
俺「忘れちゃった。お金も無いし我慢するよ」
K君「そっか。わかった」
というと、K君はやおら立ち上がり
K君「みんな聞いてー!○○君が弁当忘れたんだって。おかずちょっとわけてー!」
と大声で宣言すると彼自身の弁当の蓋をひっくり返して皿がわりにして
その場の皆からご飯やおかずを集めだした。
一人一品位なんだけど30人近いから
あっと言う間に一人分には十分な食料が蓋に盛られた。

突然の出来事で碌にお礼も言えずにポカーンとしてる俺に
蓋弁当を渡してK君はにっこり笑った。
直前まで「今日はお昼抜きだな」と諦めていた事のギャップと
K君の機転と発想と優しさに、涙がこぼれてしまった。

K君は礼を言いながら少し涙を流す俺に慌てながら
「なっ泣かないでよ。対した事してないし。分けてくれた皆のおかげだよ!」
なんて言ってた。

あの時は本当に嬉しかったんだ。ありがとうK君。


217: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/10/15(日) 17:48:49

さっき祖父の夢を見た

元気で笑顔だった

私の作ったカップラーメンを受け取ってありがとうって
そこで目が覚めた

起きてしばらく、祖父に会ってないな、うちに帰らなきゃ…と思うくらい生々しい祖父だった

涙がいま止まらない

もしももう一度会えたら
なんて謝ればいいだろう
祖父はなんて言うだろう

あの海はいまどんな景色になっているだろう


227: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/10/25(水) 08:55:45

わたしの父はいわゆる生活破綻者でたくさんの借金を作り、
母を夜中から晩まで働かせて、雀荘とパチ屋に入り浸る生活。
そのせいで母もおかしくなり、弟たちにはヒスを起こして
虐待まがいのハードな躾を繰り返し、わたしには泣きながら
毎日父への恨み言を聞かせてきた。

「あの人はあんたら(子供)に興味がない」
「あんたらを可愛と思ってない。自分のことしか考えてない」

幼かったわたしはそれを聞き、ショックで愕然としたものだ。
父は確かにいい加減だったが、わたしにとっては優しくて大好きなお父さんだったから。裏切られた。
それからわたしは、反動のように父を恨むようになった。

今、両親は離婚して6年になる。父にも何年も会っていない。
もう父を恨まない。そう思えるようになったのはごく最近だ。
父はわたしたちを養う力がなかったし、家族を持つ資格もなかった。
だが子供に母の悪口を言ったことは決してなかった。
ヒスを起こして泣くまでわたしを殴る母から守ってくれたのも父だった。
バカと思われるかもしれないが、わたしは救われていたと思う。

いまだにぼーっと思い起こすことがある。
2歳か3歳の頃。
両親の間にわたしが入って、手をつないでもらって、どこかへ
出かけるために、駐車場への階段を下りている。
わたしはまだ軽くて、両親の手にぶらさがったまま足を浮かせてる。
両親の顔を見上げたら、右も左も笑顔で、わたしも嬉しくて笑顔・・・
きらきらと陽光が眩しくてすぐに顔を戻す。

あの頃は幸せだった。幸せだった。
幸せな思い出なのに、今でも涙が止まらない。


長文すいません。


302: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/05(火) 04:09:10

>>227
読んでてなきそうになった。


240: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/10/31(火) 23:08:59

高校時代の話・・・

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。


241: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/01(水) 08:56:25

それは切ないな。
でもそれで少しでもやさしくなれたらいいね。


242: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/01(水) 19:54:36

>>241 もうすでに亡くなっているから意味がないのでは?どちらにしろ切ない話だ。


244: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/03(金) 21:01:06

高校生の頃、バイトしてたコンビニに冬だというのに寒そうな服装の小学3年くらいの男の子と、小学4年ほどの小さな女の子が手を繋いで夜に来店した。姉弟だっただろうと思う。

夜の帰宅時間とあり、レジが忙しく最初は気にしなかったが、レジ近くの弁当コーナーに迷いもなく来た事を覚えている。
列のお客を捌ききった時にもまだ弁当コーナーにいたが迷ってるのだろうと見過ごした。
また店内が賑わってきて、忙しくなりお客を捌いていたら姉弟がいつしか列んでたようでカウンターに小さな弁当1コとおにぎり1コを置いた。会計は470円程だった。
金額を伝えると姉が巾着から、もそもそと袋を取出した。
瞬間的に何?と思ったがすぐに1円や5円玉ばかり入った袋だと分かった。
姉は袋から小さな手でお金を取り出していたが列のお客が気になるのか、かなり慌ていた。
暫くオレはどうしていいか分からず待っていたが、弁当とおにぎりをレンジに入れて温めている間に、隣のレジが空いたので後のお客を誘導した。
前ではまだ小さな手がお金を取り出していた。横にはカウンターに首を置くようにお金を覗く顔があった。
ずっと何も言わず待っているとオレは泣きたい気持ちになった。決して姉弟が疎ましいんじゃなくて、この弁当をこうやって買う姿の背景に泣きたくなっていた。
小さな手から5円玉がこぼれ落ちた時に代わってあげた。会計なんてどうでもよかった。レジに置かれたお金だけ貰って弁当とおにぎりをレンジから取り出して、ささやかながら隣にあったおでんを数種類、パックに入れ弟に持たせた。
「ありがとう。」そんな言葉が2つ、小さくだが聞こえた時には堪らなくなって何も声を掛けられなかった。
その日以来、オレが辞めるまでの間に姉弟は現れなかった。元気にしているんだろかと今でも鮮明にあの時を思い出す。


253: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/16(木) 10:07:35

15年過ごした猫が死んだ時。


254: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/16(木) 11:48:27

夫に浮気をされ、3者プラス彼女の姉の4人で話し合った。
その時に、夫の彼女に対する真剣な思いを聞き、「しょうがないな」と
あきらめた時に、最後まで黙っていた彼女がぽつんと
「もう、別れたいと思っていた」と言うのを聞いて、
夫のことが純粋にかわいそうだなと思った。
(もちろん、それまで私は激しく夫をののしったりしてたけどね)
結局、彼女と別れ、ボロボロになった夫の世話をして、立ち直った時に
夫とは別れました。
私って「女としてはダメ」かもしれないけど、
人としては「アホだけどいい奴じゃん」と自分を見直したこと。


291: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/02(土) 17:41:30

>>254
女として尊敬する。


267: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/17(金) 03:31:35

2年前の話になる。

私は丁度2浪して希望の大学に合格して4月の入学式を迎えた時だった。
その日、祖父が無理をして母と一緒に私の入学式を見に来てくれた。
入学式も順調に終わり、特別な事も無く、近くの食事所で3人で食事を取った。
当たり前の日常、当たり前の家族、当たり前の事ばかりだった。
その時、祖父は満面の笑みを浮かべて、私に祝辞としてお小遣いをくれた。
今でもはっきりと覚えてる。

時は8月になり、生活に慣れた所で母親から電話があった。

「祖父が亡くなった・・・」

始めは聞き間違いだと思った。
身内が死ぬ経験を全くしていなかった私には何を言ってるのか分からなかった。
いや、分かろうとしなかった。分かりたくも無かった。

急遽、実家に帰ると既に葬式の段取りが進んでいた。
どうやら亡くなったのは連絡される2日前だったらしい。
おそらく、母が一番動揺していたのだろう。

私の祖父は、母方の親戚の家で一緒に住んでいるのだが
私の実家の近くにある。
しかし、親戚と祖父は仲が悪く、度々実家に足を運んでいたようだ。

父から話を聞くと、祖父の部屋で泡を吹いて亡くなってたらしい・・・
死に方も特殊なので、警察も来て親戚に事情聴取もされていた。


268: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/17(金) 03:44:21

父もどうやら、怪しんでいたみたいだ。
(親戚が殺害させたのではないかと・・・)
有耶無耶の内に、急性脳炎後の癲癇で状態悪化とされていたが
私は祖父の健康状態は知ってたが、急性脳炎になっているとは一言も聞いていなかった。
寧ろ、祖父は御酒が大好きで元々かかり付けの医師から肝臓が悪いぐらいで
その他の臓器が健康そのものだと言われていた。
司法解剖を父は進めたらしいが、母が断ったらしい。親戚もそれを了承していた。

祖父には2億弱の財産が有り、その7割は何故かその親戚に渡る事になっていた。
明らかにおかしい・・・その不可思議さと親戚への憎しみと祖父を亡くした事での悲しみの輪廻が渦巻き
私は、思考が停止していたのだと思う・・・

葬式も無事に終わったが、私は親戚を憎むようになった。
奴らが殺したのも同然だと。
そして、それと同時に私の力の無さと医療知識の無さを憎んだ。
折角、この道を歩んだのに・・・

それ以来、私は二度とこのような悲劇と疑惑が起こらぬようにと誓いを建てた。


274: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/29(水) 00:12:50

小学のとき可愛がってくれたおばあちゃんがしんだ
塾で勉強してる時に母から「おばあちゃんが危篤」っていう電話が来た家に帰された
家に着いた時既に奇跡的に気がついて泣いている僕に、「ごめんな、〇〇ちゃんの卒業式みられんでな」って言って数分後に息を引き取った。葬式では涙なんて出なくてただ横たわるおばあちゃんを見ていた
だけど帰りの車で「それ」が、死んだ人にはもう二度と会えないことが、実感できて泣いた
一回でいいから夢に出てきて欲しい


275: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/11/29(水) 00:30:30

↑(;ω;)ブワッ


278: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/01(金) 01:35:19

小さい頃、母親と水族館に行った時に母親に買って貰ったソフトクリームを転んで落とした。

号泣してる私に母親は「痛かったね、ママのソフトクリームあげるからね」といってなだめてくれてたけど、
私は本当は「母親が買ってくれた」ソフトクリームを落とした事が申し訳なくて泣いていた。

あれから13年経って、母親が死んだ。
私は、伝える事が出来なかった話を死んだ母親の前で泣きながら話した。

ずっと前に「死ね」と言った事をずっと謝りたかった事。
彼氏が出来た事を報告しなかった事。
お嫁さん姿見たいって言ってたのに見せられなくてごめんね、などたくさんの事を話した。

そんな時急にソフトクリームの話を思い出した。そして死んだ母親に言った。

「あの時私が泣いたのは申し訳なかったからなんだよ」

するといつからいたのか、父親が後ろから、
「お母さん全部知ってたよ。あの時、お母さんは“○○が私の為に泣いた”って言って泣いてたから覚えてる。ホント親子揃って泣き虫だ」と言って、泣いていた。

嬉しくて悲しくて涙が止まらなかった。
謝ってばかりいる事が情けなかった。もっとありがとうを言えば良かった。

お母さん、本当にありがとう。こんなとこでしか言えなくてごめんなさい。


283: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/01(金) 13:53:11

>>278
泣いた


286: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/01(金) 23:23:16

>>278
オヤジの大根役者っぷりに泣いた


369: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/01/04(木) 08:29:39

>>278
泣いた…

自分は小さい頃を思いだすと泣けるなー…
躾が酷かったから
基本殴る蹴る、階段から落とす、長期ご飯抜き、冬に裸で外に放置、包丁で追いかけ回す、などなど
父の蹴りは死ぬほど痛かった…
辛かった ほんとに辛かった


305: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/05(火) 06:24:33

高校生の頃、イジメの為学校をやめた。

うちは母子家庭で、お金のかかった私立を簡単にやめると言い出した事で母とは毎日泣きながら争った。

私立高校を退学して数ヶ月後、再び通信制の高校に通わせてもらうことになった。

初登校の日、なんだか同級生達が怖くてたまらなくて一人になって母の作ったお弁当を食べた。

せっかく入れてくれたのに学校なんか行きたくない。
逃げたい。学校も行けないくらい自分はつまらない人間に成長してしまった。
母もこんな娘望んでいなかったろうと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんな時、母から一通メールが入った。
「弁当うまいか?(*^_^*)」って一言。
大した内容じゃないのにボロボロ涙が出た。
ご飯噛み締めながら一人で泣いた。
普段難しがってメールなんてしないくせに、、、。
こんなどうしようもない娘でも心配してくれてありがとう。

お母さん大好きすぎるよ~。長生きしてください。
長文スイマセン…


308: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/05(火) 19:01:55

>>305
(´;ω;`)ウッ…
いい話や!!お母さん共々、是非長生きして下さい。


323: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/08(金) 01:34:46

中学の時、三者面談で進路を話していて、母親が『この子は本当に何もやらないし何も考えてない子だから!』と、凄いキレてた。反論してもすぐ怒鳴られて、自分はついに泣いてしまった。
そしたら先生も泣きながら『ちゃんと考えてる子です!!何でそんな風に言うんですか!』と、母親に反論してくれた。
先生。今は大学の就活が始まります。この前も海外研修に行ってきました。
少し、大人になれた気がします。


333: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/13(水) 02:57:14

>>323

いい先生だね。
世の中にはいい先生たくさんいるのにね。


324: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/08(金) 02:05:26

10年前に足を大怪我をして7年勤めた佐〇急便を首になりニートに…
仕事はしたいが足の自由が利かず面接落ちまくり…

万引きした弁当をビルの非常階段で泣きながら食べた思いは一生忘れない!

今は自営業しています、足も40%の確率で完治すると言われて確率に残れました。
日々感謝して生きてます。その時助けてくれた皆さん本当にありがとう。

札幌で頑張ってます!


331: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/12(火) 23:57:46

学生の時、オーストラリアからホームステイで同じ年の女の子が来た。
同じ年頃なんだから案内しろと親父に言われたけど
サークルとかで忙しいし、んなもの勝ってに呼んでおいて世話を俺にしろなんて
だるくてずっと断っていた。会話も殆どなかった
ある日車で事故ってしまい、病院に運ばれ入院することになった。
両手、右足大腿骨骨折で誰かの手を借りないと何も出来ない体になってしまい
途方に暮れていたら、次の日の朝からあの子が来て色々面倒見てくれた
留学生のくせに、講義も受けずに毎日俺の世話を買って出て
誰に教わったのか折り紙の鶴まで持ってきやがった。骨折なんかすぐ直るのに・・・
でもいいかげん悪いので
「かーちゃんにみてもらうから、お前学校行けよ」て言ったら
「○○はーわーたしのかぞくーでっす。」「かぞくーすごくだいじぃ」
今迄邪険に扱っていたのが恥ずかしくて、情けなくて
あの子の目の前で泣いてしまった。


332: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/13(水) 00:15:05

>>331
全宇宙が泣いた 。・゚・(ノД`)・゚・。
数年後ケコーンした なら、もっと泣けた。


334: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/13(水) 06:59:25

俺が中三で不登校になったとき。
部活の顧問の先生が授業無い時間とか放課後とかに家まで俺の様子を見に来てくれてた。
最初はちょっとうざかったけど、先生の車でドライブ連れてってくれたり飯にも連れてってくれた。
たまに出席だけ取りに学校連れてってくれたりもしたな。
そんで俺はニ学期に親戚の家に下宿して他の学校に転校する事にした。
先生は「頑張れよ」とだけ言ってくれた。
もう会えないけど先生ありがとう。


349: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/14(木) 18:43:45

自分の住んでる地域で臨海事故があった日
村が映画みたいだった


350: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/15(金) 07:08:02

私が通っていた中学は生徒数60人ほどで、青森の津軽半島にある小さな村の古い校舎の学校でした。
1年から3年までの間同じ先生が担任でした。
担任は国語と美術を教えていました。
ある日私が当番で、放課後に書き終わった学級日誌を担任に渡しに行くと、日誌を受け取った担任にいきなり日誌の角で左側頭部を殴られました。
日誌は角が丸く金具で止めてあります。
いきなりな事に痛さは忘れ呆然としていると担任は「昔嫌いだった先生がいつも日誌の角を机に叩き付けて、いつも日誌の金具が曲がってたんだ」と言いました。
だから角の曲がった日誌を見ると嫌な事を思い出すと…。
確かに私が担任に渡した日誌の金具は曲がっていました。でもそれは担任が机に叩き付けて歪めたものでした。
反論したら更に殴られるのは分かっていたし、今みたいに体罰にたいして厳しくありませんでした。
他にも沢山あるけどこの事を思い出すと悔しいのか悲しいのか分からないけど涙がでます。
傷の所は未だに残っていて髪が生えません。


351: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/16(土) 00:27:42

泣ける
元気出せ


363: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/30(土) 21:48:01

3年前、仕事が終わって家に帰ったら、母が布団の上で死んでた。
心筋梗塞だったらしい。

冬。
布団の横に置いてた水を飲もうと布団から出た時に、
急に体が冷えて心臓に負担がかかったみたいだった。

最低の父親を死ぬまで愛していた母。
自宅に愛人を連れ込み、病気の母には食費だけ渡して放置。
そんな父親。
何度も別れろと言ったけど、母は断り続けてた。

そんな母が死ぬ前日。
わたしが「わたしはもうすぐこの家を出るから、一緒に来ない?」って言ったら、
笑いながら「そうしようかな」って言ってくれたんだ。

でも、次の日。
仕事帰りに母の部屋を片付けるタメの道具を買って帰ったわたしが見たのは、
よだれを流して失禁した、母の死体だった。

どうして待ってくれなかったの。
散々親不孝して来たウチが、やっとこれから親孝行しようと思ってたのに。
これからだったのに。
何もかもこれからって思ってたのに。

おかーさんの作るご飯。
美味しかった。
作り方、いっぱい教えて欲しかった。

ウチもね。
おかーさんに似たのか、ご飯作るのすごい好きなんだよ。
食べたらびっくりするよ。ホント。

でも、どうしても、おかーさんの味にはならない。
おかーさんが作ったお味噌汁。おでん。玉子焼き。
簡単なはずなのに、どれもおかーさんの味にはならない。

教えてよ。
もう一度食べたいんだ。
おかーさんのご飯。

どんどん記憶が薄くなる。
おかーさんの味、どんどん忘れちゃうの。嫌なんだ。

いつも言ってたよね、野菜巻き作ってーって。
おにぎり作ってーって。
いつも作ってくれたよね。
もう一度食べたい。
でも、もう2度とと食べられないんだ。

おかーさんの味。きっといつか忘れちゃう。
おかーさんの声。きっといつか忘れちゃうよ。
嫌だよ。

いっぱい謝りたい。ごめんね。
おかーさん助けたがったのに。
やっと届いたと思ったのに間に合わなかった。ごめんね。
いっぱい親不孝してごめんなさい。

もっともっと色々話せばよかった。


364: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/12/31(日) 17:56:21

>>363
(;Д;)ブワッ


371: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/01/06(土) 03:00:32

>>363
涙が止まらん


412: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/02/08(木) 18:20:18

離婚の話し合いの時
「お前が別れた方が生きやすいなら仕方ない。死ぬまで一緒にいたかったけど」
と号泣した元旦那を思い出すと今だに泣ける


413: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/02/08(木) 18:29:48

オーナーゼフ!!!
……長い間!!!くそお世話になりました!!!
この御恩は一生……!!!忘れません!!!


415: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/02/08(木) 21:23:15

私が中学生の時、父が脳内出血をおこした。
まだ、35才くらいだったのに。ICUに入ってからも
何度も脳内出血を繰り返した。
右半身麻痺になったし、ろれつもあまりまわらなくなったけど
頑張ってリハビリして、歩けるようになって話せるようになった。
働けない父の代わりに母が働いたけど、父の束縛やその他の事があって
離婚する事になった。弟と二人、居間に呼ばれどっちについていくかときかれた。
私と弟は、母を選んだ。なぜか母を選んだ。
その時の父の悲しさは半端じゃなかったはず。
出ていく日、ソファーにすわりながら『元気でな』って父がいった。
どうして、病気の父についてあげられなかったんだろう。と悔やんだ。
同じ敷地内、向かえには親戚やおばーちゃんはいるけど、心配だった。
もし、一人で寝てる時に…なんて考えただけで後悔が自分を襲った。
母は、さばさばと離婚届けを手にし涙一つみせなかった。
でも、ちゃんとその日の父の夕飯は作っていた。
好き嫌いの多かった父の、好物のお刺身(海の近くにすんでいたから)
テーブルには小皿や醤油、健康を考えた味噌汁など…
それを作った母の気持ち、それを一人で食べた父の気持ちを考えるとボロ2になけてくる。
二人とも再婚はしていない。早く新たな幸せをみつけてほしい。


433: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/12(月) 11:29:28

祖母が死んだ時

母をいじめ、私を虐待し(脱臼させられたりした)
兄だけをかわいがり、いあな事しか思い出せない祖母

先に死んだ祖父を追いかける様に死んだ

死ぬ1週間前、ほとんど意識がなかったけど、私に向かって
「ありがとう」と言った

本当にひどいそばだったけど、その一言で救われた


436: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/12(月) 12:33:24

大学で講義を受けていた時、祖母が危篤という知らせをうけ、新幹線で急いで東京から岩手に帰ったが、間に合わなかった。

死ぬ間際まで俺に会いたがっていたと、後から母に聞いて、涙が止まらなかった。


461: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/18(日) 03:04:55

大好きだった猫が死んだ日

学校から帰ってくつろいでたらばぁちゃんがつぶやくように「猫ちゃんね…車にひかれて死んじゃったよ」
っていうわけよ
頭んなか真っ白になった
嘘だと思った
そんで猫見に行った
でもちょうどお母さん帰って来て、いつも怒らないのに
「何してんの!!」
ってどなるんよ
そんでお母さんに猫は?ってきいたら小さく舌打ちして
「ばぁちゃんにきいたんか…」
って呟いてた
そこで嘘じゃないって気付いた
その日はピアノの日だったから
「ピアノの練習してなさい」
って言われて部屋に戻った
放心状態でピアノの曲を引いてて

ふと 涙がでた
そんとき松任谷由実の『春よ、来い』ひいてた
涙がぽろぽろ流れて
とても悲しかった




その日から春よ、来い聞くとあの猫のことを思い出す


465: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/19(月) 18:01:17

うちのウサギが死んだ時。
一人暮らししてて、ウサギは実家にいるから二年くらい会ってなかったんだ。
家族でも俺にしかなつかなくて、俺が歩くといつも付いてくるからマジで可愛かった。寝るときも
俺のベッドの隣。
この前親から電話がきて、ウサギが死んだことを知ったんだけど、「ハナ(ウサギの名前)ね、死ぬ前にフラフラになりながらあんたの部屋まで歩いたんだよ。きっとアンタにお別れを言いたかったんだろうねぇ。」
ウサギは頭よくないし、俺のことも忘れてると考えてた自分が恥ずかしくなった。
最初はショックで泣けなかったけど、その話を聞いて涙が止まらなかった。今までの思い出がどんどん蘇ってきて、親の前で声を出して泣いたのは何年ぶりだったんだろ。


473: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/20(火) 01:03:26

>>465
泣いた


476: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/26(月) 23:43:15

3年前の話。
他県に住んでた母方のおばあちゃんが痴呆症になり、
おじいちゃんを1人家に残してうちで面倒みることになった。
小さい頃から、お正月とかお盆にしか会わなかったから
特別おばあちゃん子いうわけでもなかったが
うちにいるということが嬉しかった。
たまに一緒に布団に入って寝たりすると手を握ってくれた。
でもおばあちゃんのいる生活にも慣れてきたし
部活とかで忙しくなってきて、家に帰っても
あいさつだけして自分の部屋にこもってしまってた。
両親共働きだったから1人で暇だったと思う。
テレビもずっとつけてたみたいだし・・・。
そんな日が続いてた。
休みの日におばあちゃんにも構わずになんかモヤモヤ
してたからベランダで隠れてタバコすってた。
慣れてなかったから頭クラクラしてきて昼寝してたら
親がイキナリ泣きそうな顔と声で「おばあちゃんが血吐いた」
と言ってきた。
おばあちゃんは血管が詰まってしまう病気でいつ死ぬか
わからない状態だったらしい。
結局そのまま病院へ運ばれて逝ってしまった。



おばあちゃんごめん。
一人で寂しかったでしょう。
おじいちゃんにも会えずに。
もしまたあの日々に戻れるならもっと話したかった。
もっと手握っていたかった。
もっと長い間一緒にいればよかった。
本当に後悔してます。


477: 476 投稿日:2007/03/26(月) 23:54:31

続きです。



お葬式のためおばあちゃんを、おじいちゃんのいる家へ
連れて行った。
おじいちゃんは厳格な人でいつもムスっとしていたけど
この時ばかりはとても悲しそうだった。
だって出て行くときは元気だったおばあちゃんが
3ヶ月ぐらいして帰ってきたと思ったら
もう喋れないし、目も見れないし、何も動かないんだもん。
本当に生きる気力もなにもなくなってしまって抜け殻みたいだった。
その夜おじいちゃんはおばあちゃんの入ってるお棺の横で寝た。
朝みたらおばあちゃんの顔がちょっと横を向いてた。
そしたらお母さんが「きっとおじいちゃんが見てたんだね」って。
そのあと、朝ごはんのときおじいちゃんが亡くなりました。
おばあちゃんのお葬式の朝でした。
そのときこの夫婦は本当に愛し合ってたんだなって思った。
おばあちゃん無しじゃおじいちゃんは生きられなかったんだって。
おばあちゃんの遺体が帰ってきたときのおじいちゃんの
気持ちを思うと痛々しくて涙が出ます。。。
最後まで2人で暮らしてもらえば良かった。
その後おじいちゃん家を整理していたら、
2人が腕を組んで笑顔でいる写真が出てきました。
それをみると今でも涙が出てきます。


478: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/27(火) 00:06:22

うちの母のは介護の資格を持っていて家にいるボケたばあさんの面倒を良く見ていた(私からすると祖母)。
おむつ変えたり、ご飯食べさせたり、いろんな話をしたり。


本当によく面倒をみるなあって関心するほどだった。



けど祖母が亡くなって少したったある日の夜、久しぶりに夜2人で話す機会があって
その時「本当のおばあちゃんじゃない」って初めて聞かされた。
母とは血がつながってなかったらしい。継母というやつ。

そのときボロボロ涙が出てきた。

本当の母親じゃないとわかりながら一生懸命面倒を見ていた私の母。
どんな気持ちだったんだろう。
自分でも「よくあんなに面倒みたなぁ」ってつぶやいてた。



昔は喧嘩ばかりで好きではなかった母。
今では尊敬してるし寛大なあなたを目標としています。


479: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/27(火) 00:06:56

( ;∀;)イイハナシダナー
おばあちゃんもおじいちゃんも多分そう思ってくれて喜んでると思うよ。


480: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/28(水) 04:37:27

ガキのころ、俺はじいちゃん子で毎晩のようにじいちゃんの部屋で過ごしてた。
怖がりだったから寝る前にじいちゃんと一緒にいないと眠れなかったんだ。
ただ中学に入学してすぐ、俺は荒れ始めた。
毎晩のように外をふらついて、あのころの俺は、家族にも嫌われてたと思う。
高2の時、じいちゃんが死んだ。
家には全然帰ってなかっから、じいちゃんが死んだと知ってもあまり悲しくなかった。 しかし葬式の後、お袋に呼び出されて、ある事実を知った。 俺が帰ってくるまで、じいちゃんは決して眠ろうとしなかったらしい。
お袋が、どうせ帰って来ないんだから寝てくださいと話しても、
「タクロウは寂しがり屋だから、家が真っ暗だと可哀想だろう。」
その時、何時に帰宅しても必ず、家に明かりついてるのを思い出した。

じいちゃんは口下手だったから、おかえりを直接言えなかったんだと思う。
涙が止まらなかった。
こんな俺を、ずっと守ってくれていたんだね。
もう遅いかもしれない。
でも言わせてください。
じいちゃん、あなが大好きです。


481: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/28(水) 05:52:44

このスレ読んでたらポロポロ泣けて、気付けば号泣してた。
おかげで一睡も出来ずこんな時間になってたよ…。
>>480
大丈夫だよ、きっと>>480の想いはおじいちゃんに届いてる。
私自身、霊とかを信じてるのか信じてないのかあやふやなんだけど、気持ちは届くって何故かそう思うんだ。
それに、そのおじいちゃんはそれだけ>>480が好きで大事だったんだよ。
それに気付かず、最後までありがとうと言えなかったらしいけど、
おじいちゃんはそんな事関係なくあなたが大事だったんだから。


483: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/03/28(水) 12:06:05

>>480の最後のあなが大好きです。に笑ってしまってすいません


503: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/07/24(火) 23:09:25

長文でスマソ

当時厨房だった俺。
母と親父が喧嘩別れした
誰がどうみても親父の方の我が儘だった
私立通いだった俺は親父の方に残され、金には不自由ない生活だったが明らかに物足りない日常だった。
無精で掃除をあまりしない俺だったが、母が去ってから数週間後のある日、掃除をしていたら引き出しの中から見慣れない封筒が出て来た。
開けてみると二枚の便箋
それは母が書き残した最後のメッセージだった。
俺との思い出をはじめ様々な事が書かれていた。
字が所々滲んでいて水滴を落としたような跡があり、読むのも辛くなってその場で泣き崩れた。

おまいらには親を大切にして欲しい。


504: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/07/25(水) 03:17:11

父方の祖父。
昔から健康な体じゃなかった祖父だが、ついに末期の癌に。
癌治療の薬の後遺症か、認知症になった。
認知症になった祖父と、どう接せれば良いのか分からず、見舞いにも「部活が大変だから…」と行かなかった。
数ヵ月後、部活中に顧問に呼び出され「おじいさんが亡くなったと言う連絡があったから、帰りなさい」と言われた。

癌がそこまで進行してると聞かされてなかったので、まさに不意打ち
聞いた瞬間号泣した。

悲しい気持ちと、接し方が分からないなんて理由で祖父に会うのを避けてた自分が、情けなくて悔しくて泣いた。
号泣しながら人目もはばからず、家に帰った。


今でも悔しくて仕方ない。
父は一人っ子で、孫も私と妹しかいなかったので、ずっと可愛がって貰ったのに……
今でも思い出すと泣けてくる。


512: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/07/27(金) 02:29:03

このスレ読んで涙流してたら、
隣で寝てた愛犬が私の目の周りをペロペロなめてくれた
でもこの子もあと数年しか生きられないんだなと思うと
余計に涙止まらなくなった


515: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/07/27(金) 03:39:24

(´;ω;`)
(´;ω;`)
(´;ω;`)


523: ななしかな・・? 投稿日:2007/09/06(木) 02:41:55

ここを読んでて小学校の校長先生を思い出しました。
休み時間に母子家庭の生徒の黒く汚れた爪を丁寧に切ったり
伸びきった髪を切ったり
だからその学校は貧しいと言う事でイジメはなかった。

冬のある日登校途中に校長先生に会い私の手を握って
校長先生のポケットに入れてくれた。

谷校長先生・・暖かかったの今でも覚えてます。


526: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/09/07(金) 03:50:02

>>523
( ;∀;)イイハナシダナー


524: ななしのいるせいかつ 投稿日:2007/09/07(金) 00:00:29

付き合ってる人に「深く人好きになったことない」って言われた時ですかね


4: ななしのいるせいかつ 投稿日:2006/07/18(火) 23:15:14

思い出といえる思い出がないことを思い出したとき…

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