【歴史】みんな大好き幕末について書いてく てんこもり。


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【歴史】みんな大好き幕末について書いてく

1: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:44:25 ID:8XE
花燃ゆを見て刺激を受けたので江戸時代~幕末について物語風に書いていく
はじめに言っておくけどワイはただの幕末好きでいろんなところから得た知識を
おんj風にまとめるだけで歴史の先生みたいに詳しいわけやないんや、
だから歴史的な質問についてはあまり答えられない。それについては最後に説明しようと思う
このスレはただワイなりに歴史を語るだけ
間違ったこともあるかもしれんけど、個人見解ということで
それをふまえてみてほしい

4: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:45:24 ID:WZ2
楽しくない世を楽しく

だっけ?高杉晋作の名言

6: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:45:56 ID:8XE
>>4
おもしろき ことなき世をおもしろく だったような。。
すまん細かくはわからん

10: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:49:11 ID:8XE
じゃあ書いていくでー
とりあえずポイントに分けて
書きためたとこまで上げていくわ

11: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:50:05 ID:8XE

時代は江戸時代、、
江戸幕府成立から90年ほどたった頃幕府は困り果てていた。

5代将軍徳川綱吉(´・犬・`)
(´・犬・`)「お前ら動物殺したらアカンで、あとワイが戌年生まれやから特に大事にしろや」

('ω`)「えっ」

(´・犬・`)「ここに大きい犬小屋作るからお前ら立ち退けや」

('ω`)「えぇっ」

15: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:53:58 ID:8XE
ちょうど元禄の飢饉中に大久保・四谷に16万坪の広大な犬小屋が完成
そこで野良犬などを集めて面倒をみていた(犬の食費は年間9万8千両)
さらにそこを管理する人件費が上乗せされます。
1両=10万くらいとすると98億円くらいらしい

(´・犬・`)「魚も生き物やから食べたらアカンで」

('ω`)「…」

庶民は肉と言えるものをほとんど食べれなくなりました。



16: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:54:49 ID:8XE

生類憐みの令は経済に支障をきたして、国のお金はどんどん減っていってしまいます。
この頃は消費税もなければ所得税もなく、国の収入は農家から取り立てる年貢だけです。

(`o´)「こんなんじゃやっとれんわ田んぼなんかほっぽって江戸に行くで!」

彡(゜)(゜)「おっ、お前ら農民の出身か?ワイ商人なんやけど自分たちで米売りまくって儲けようや」


19: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:55:23 ID:8XE

この頃には消費税や所得税もなく、営業利益に課税がなく商人は大儲け。
逃げた農民を商人が雇って、使い、さらに権力を伸ばす。
飢饉の場所に米を持っていけば飛ぶように売れたのです。

年貢を納めるべき農民が逃げて都市に来て、都市が膨張しそれによって商品の需要が増え利益が上がり、
手が回らない商人は逃げてきた農民を雇って、さらに莫大な利益を上げる、、、
これに幕府は一定以上の税金をかけず、さらに農民が逃げたことで年貢は減り続ける、、

これによって江戸幕府の財政は底をつこうとしていた


20: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:56:30 ID:8XE


(´・ω・`)「 初心に返って農業中心の政治をやるべきです」

( ・`ω・´)「いやいや、これからは商人から売上の上前を撥ねるべきです」 

幕府の議論は真っ二つに分かれ、結果的にこれが交互に繰り返されることとなる


21: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:57:29 ID:8XE

まず、八代将軍吉宗は農業中心の政治を展開、享保の改革を行います。
(´・八・`)「質素倹約するやで、花火とか無駄なもんも中止や」

(´・八・`)「参覲交代はやめられへんけど、頻度を減らすからその分もっと米(税金)をよこせや」



23: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:59:12 ID:8XE
吉宗はそれまで政治の実権を握っていた新井白石をクビにして、自分で政治を行うようにしました。
足高の制という登用制度で本来石高が不足して役職に就けなかった優秀な人物も
優秀な人材確保にも務めたのです。
ちなみにあの有名な南町奉行所『大岡越前』(大岡忠相)も足高の制で、吉宗に採用された一人です。
さらに、今までは絶対に海外からの輸入というのは禁止していたのですが、
今後は「技術の本のみは輸入をして外国の技術を盗もう!」と決意します。
この頃、イギリスで産業革命が始まろうとしているわけですから、
まさに最高に丁度いい時期でした。


27: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:08:29 ID:8XE
しかし9代将軍となる徳川家重の御側御用取次に田沼意次が昇格し、
10代将軍徳川家治の時に老中になると、商人から利益を撥ねる方向で必死に頑張ります。

(・幕・)「ワイらもビジネスするでー中国さんよろしくニキー」

(・幕・)「アイヌの海産物(干物)も松前藩に頼んで貿易するでー」

彡(゜)(゜)「幕府が商売しとるやんけ...」

幕府も積極的に商売を始めてしまいます。


25: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:59:59 ID:k5E

ん~なんか流れが分かりづらい


26: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:05:01 ID:8XE

>>25
すまん、キリが悪かったなあ。。
すこし背景を追加するで。

ざっくりいうと関ヶ原の戦いで天下を取った江戸幕府は武家諸法度を発行し、
一国一城令や参勤交代を義務付け、さらに貿易まで独占していた。
おまけに、もう一つの勢力である天皇も武力を背景にして抑えこみ、
まるで現在の北朝鮮みたいな専制君主制による独裁政治を行っていたわけや

時々反乱が起こっていたりしたが幕府が力を押さえ込んでいたからことなきを得ていた
しかし、いろいろなところでキナ臭い感じがたちこめていた、、
という感じやろか


28: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:09:45 ID:8XE

幕府が巨大な商社になってしまったわけです。
これによって、当時の江戸幕府は空前の好景気に湧いたそうです。
徳川家治は政治には全く興味が無く、
好きな将棋や趣味に没頭して、政治は田沼意次に任せていました。

そうなると次に起こるのは政治家による汚職でした。
もう田沼意次ってのはその名の通り、田や沼みたいにドロドロな政治家で
汚職政治家といえば田沼って方程式まであったぐらいなんです。
そして、そんな汚職をしていれば当然景気は落ち、ついでにそこに天明の大飢饉もあわせて起き
結局、田沼意次は失脚することに。


29: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:10:22 ID:8XE

次に出てきたのは松平定信でした。
白河藩出身の彼はその文字の通り、白河のように潔癖で汚職なんて許さない、
田沼とは違ってとんでもなく綺麗な水にしてしまいます。
”田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水”なんて文言ができる程に

(´・松・`) 「水清ければ魚住まず?何言うてんねん、清い水に住めない魚など絶滅してしまえ」


31: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:12:31 ID:8XE
清らかすぎる定信が行ったのが寛政の改革です。
当時、御家人(武士)というのは、とにかくお金がなく、
身分階級の最下層である商人から借金をしないと生きて行けず
その為、武士は商人によって支配されてしまっていたのです。
しかし、この松平定信は寛政の改革でなにをしたかというと、、


32: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:12:54 ID:8XE

(´・松・`) 「よっしゃ武士の借金は帳消しや!法律で決めたで!」

彡(゜)(゜)「ファッ!?」

( ・`武・´)「よっしゃああああぁぁぁぁ」

彡(* )(* )「あああああ!!(ブリブリュリュリュリュ!!! )」

33: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:14:38 ID:8XE
しかし、時代は商業の時代、いきなり莫大な借金を帳消しにされたら商人が疲弊します。
結果、都市が疲弊してしまうのです。
結局、松平定信の行った寛政の改革は商人の疲弊による都市の疲弊という幕府がより貧乏になる形で集結したのでした。
>>29にあった歌が”白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”
なんて文言すら言われるようになりました、、
 

34: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:15:35 ID:8XE

次に台頭するのは、11代将軍、徳川家斉です。
この人はどんな人かと言いますとビッグダディのように子供を作りまくります。
というのも、在位が長かったのです。
10歳という若さにして将軍となった彼は、その後50年間将軍を務めます。
そしてその間、もう好き勝手に贅沢しまくります。
特定されているだけで16人、、一説には40人もの妻を持ち、
生まれた子供は男子26人・女子27人とか、、、
当然、将軍が遊んでできた子供なので、正式な子供とは認められず、
しかもその大勢の子どものせいで養育費は莫大にかさみ幕府の財政はついに底を尽きる勢いに、、


35: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:16:24 ID:8XE

これが江戸幕府の決定的な転機となります・・・
彼が遊ばなければ、きっと江戸幕府はもう少し長生きできたかもしれません
で、お金が無くなり、さらに天保の大飢饉が訪れると
彼はまたムチャクチャなことを言います。
(・´з`・)「米が無いやと?ならもってこいや、アレや、大阪の蔵屋敷にようけあるやろ?アレ持って来い」と
説明しましょう、これがどれだけの問題発言なのかを、、、


36: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:17:09 ID:WZ2

大塩さんがアレを起こすんやな


37: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:17:13 ID:8XE

まず知っておいて欲しいのは、江戸幕府ってのはとにかく反乱を起こさせないために、
藩同士の交流というのを極限まで制約していたのです。
たとえば、A藩という藩で飢饉が起こり、食べるものが一切無い、
だから今年豊作だった隣国のB藩が助けてあげようとお米を分けてあげた・・・
これすら犯罪行為なんです。なぜなら、そんなことをしたらA藩とB藩の結託が強くなって、
江戸幕府を倒幕するおそれがあったから。。
だから、徹底的にどんな状況でも助け合いは禁止だったのです。
にも関わらず!!江戸幕府が困った・・・なら、大阪から米を貰えばイイ!?
そんな馬鹿でアホな横暴が許されるはずがありません。
グリエルに振り回された、ちなDeも驚きの横暴なのです。


38: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:18:20 ID:8XE

もちろん、これに激怒した人物がいました、その名を大塩平八郎と言います。
大阪の蔵屋敷からの米の取立てに激怒した彼は、仲間と共に大塩平八郎の乱を起こします。
次にやったのは
(*^◯^*)「そうだ!小判を集めて溶かして、純度を下げて、小判を増やせばいいんだ!!」
ジンバブエなどでも問題になっていますが、わかりますよね?お札とかバンバン印刷しちゃいけない理由を、、
当然、一気に物価が高騰。リンゴ一個10000円の超インフレ時代に突入です。

結局、江戸幕府はもはや転落への道だけしか残らず、
文字通り元に戻るのは不可能という倒幕への道を踏み出したのでした。


42: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:47:02 ID:8XE

再開します。
ペリーまではまだいきません、、

最後に出てきたのは、水野忠邦という老中でした。
彼が行ったのは 天保の改革、まず、行ったのは人返しです。
当時農民はもう生活できなくって農地を捨てて都市部に出てきていました
農民の出稼ぎを禁止し、江戸に住み着いた農民を村に返すということを行いましたが、
これは思惑通りには進みません。
次に、株仲間の解散を行います。


43: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:47:34 ID:8XE

株仲間とは田沼意次の時代に奨励された同業組合のようなもので
酒なら酒を売る仲間同士が集まって幕府にお金(税金)を渡す。
きっちりとお金を幕府に納める組合には、特別に商売に有利な条件を与えてあげるというシステムです。
水野忠邦は、この株仲間の制度が物価高騰の原因であると考え、
これらをなくし商品の流れを自由にすれば物価は下がると解散を命じます。
家斉のせいでとんでもないインフレになってしまいましたので、
それをなんとかしようと、商人の組合を解散させてしまいます


45: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:48:14 ID:8XE

しかし、そんなことをすればそれまでにあった流通を全て壊してしまうことになるので
町は贅沢品や庶民の楽しみを奪った為に活気がなくなり不景気は更に進んでいくことになります。
ちなみにこのとき贅沢品として禁止されたのは好色絵本(エロ本)や初物野菜(初物は高級品)などです。


46: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:49:09 ID:8XE

さらに鳥居耀蔵という肝いりの部下に命じてご禁制の品物を販売していないか調査させ、
スパイを一般の客の振りをさせて店に向かわせ、
(・ス・)「こっそりと、例の御禁制の品を売ってくれへんか」

彡(゜)(゜)「あかんて、そんなもんないし、、」

(・ス・)「そこを何とか頼むで、金なら弾むから」

彡(゜)(゜)「・・・しゃーないな、、秘密やで」

( ● ▲ ● )「逮捕や!」

という風にスパイを放ち、密告も奨励させ、庶民を大いに締め付けました。


48: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:49:59 ID:8XE

でも、水野さん諦めず、すぐに上知令です。
つまり、日本全国の藩の領地・・・今まで散々独立国扱いしていたのに、そのすべてを幕府の直轄にしようとしたのです
一応、大名や旗本にもメリットはあり、当時の大名の領地には飛び地が多く、支配力の低下が問題となっておりました。
幕府は返させた豊かな土地の代わりに、なるべくひとまとまりになった土地を与えてあげるというのです。

初めのうちは従うものも多くいたものの、豊かな土地を手放すのは誰だって嫌ですし、
大名、旗本の中には財政難で農民から借金をしていたりしました。
そうなった時農民はどう考えるでしょうか


49: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:51:33 ID:8XE

(`o´)「お金を貸している大名が配置換えとなったら、借金踏み倒されるやんけ!」

(`o´)「じゃあ配置換えになる前に取り立てにいかなアカンで!」

となることを予想した大名が農民に借金の取り立てに合うというみっともない姿は晒せないと
すべての大名が大反対。ついには当時の将軍、家慶からも「さすがにそれはアカンやろ」と言われ諦めます。


50: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:53:18 ID:8XE

すると水野さん今度は相対済令を発行します。
商人たちに対して
(・幕・)「金利を下げろ!それと旗本と御家人の借金は全部無利子や!!あとローンも組むやで」と言いました。
一見すると、武士にも市民にもやさしいこの法案ですが商人に取ってはきつい、
だってお金貸しても商売にならないし、逆に踏み倒される危険性が高いのです


51: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:55:10 ID:8XE

ただ、この制度を悪用して踏み倒そうとする者は訴訟の対象になったようです。
しかしながら、夜逃げ等をするのならともかく、
旗本側が居直って「踏み倒す気など更々ない!少し滞っているだけだ!」と主張したらどうなると思います?
奉行所側も「旗本は逃げる気などない。よってまだ示談の余地がある。」といって
訴追を取り下げることができると思いませんか?
こうやって、旗本側は借金の返済を引き延ばしたり、事実上踏み倒そうとしたのです。


52: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)18:56:06 ID:8XE

そして商人がお金を貸してくれなくなり、結果失敗となります。
しかも、この当時ある情報を聞きつけます。
それは改革を初めて1年後の1842年のこと
それを聞いて水野さん一気に青ざめます、、、
(・幕・)「どういうことだ!?本当なのか!?間違いないのか!?」

(´・ω・`)「はい・・・事実にございます。」

(・幕・)「そんなバカな・・・ありえない・・・そんなこと・・・ありえない・・・」

(´・ω・`)「でございますが・・・」

(・幕・)「相手はあの清だぞ!?世界最強の大国!!清だぞ!?それが・・・西の国・・・イギリスに負けて・・・不平等条約を結ばされただと!?」


53: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:02:02 ID:8XE

実はペリーが来航する前に7年前に通商を求めて、
東インド艦隊司令官、海軍准将のビッドル軍艦コロンバス号を率いて、
日本に向かってマカオを出港し、浦賀に入港しています。
直ちに日本の船が両艦を取り囲み、上陸は許されなかったもののビドルは
先のアヘン戦争で敗れた中国にイギリスが南京条約を押しつけたことに
アメリカが便乗して取り付けた望厦条約と同様の条約を携え日本と締結したいと伝えます。


54: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:05:20 ID:8XE

数日後、日本の小舟がコロンバス号に近づき幕府からの正式の回答を伝えるために、
日本船に乗り移って欲しいと申し出ます。
ビドルは同意し日本船に乗り込もうとしたとき、
通訳の手違いから護衛の武士がビドルを殴り、刀を抜くと言う自体が発生します。
ビドルはコロンバス号に戻り、日本側はすぐさま謝罪し、事なきを得ます。
結局幕府はオランダ以外との通商はやっていないし、また外交は長崎で行っているのでそっちに
行って欲しいと伝えます。ビドルは辛抱強く、敵愾心や米国への不信感を煽ること無く交渉するよう求められていたため、
それ以上の交渉を中止し、浦賀を出港します。
これは米国として初めて正式に日本へ開国・通商を求めた事件であり、
結果は米側の失敗に終わったが更に日本を良く研究したペリーが七年後に
国書を携え蒸気船を率いて浦賀に現れ、終に日本は開国する事となります。


55: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:12:32 ID:8XE

この時ビドルを乗せた船「コロンバス」号は帆船であり、
そのために風向きと潮の流れに対して敏感すぎて江戸湾を自力で出ることができず、
不名誉なことに日本の水先案内人に船を曳き船してもらってようやく外洋に
出ることができたという体たらくを演じてしまいます。
そこで、アメリカ側にはこういうやり方では日本人は説得できない、
だから、次は大型の鉄製の戦艦で、という反省が生まれたのです。
ペリーが最初に来航したとき、高圧的な態度に出たのはこのときの経験に懲りた為だったのです。


56: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:13:42 ID:8XE

しかし国民はアヘン戦争なんて知る由もないわけですから、
水野の薪水給与令に対して「内には鬼のように厳しく、外には天使のように優しい政策だ!!」と批判します。

もう江戸幕府を立て直すならこれぐらいのことをするしかなかったのです。
幕府を盛り返す為に無理をして、イギリスなど外国の植民地にされないように無理をして結果は大失敗、
江戸幕府の寿命を縮めてしまいます。


58: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:22:18 ID:8XE

ここでとりあえず一旦終了です、
次はペリーまで行きます

その前にティーブレイクでアヘン戦争について

イギリス人はよく紅茶を飲みます。
彼らは朝起きたときに紅茶を飲むのはもちろん毎食後、
寝る前など 一日の中で何回も紅茶を飲みます。
一説には日本の茶道に触発されて紅茶を飲むようになったともいわれています。
ミルクティーに入れるミルクは先か後か?と
ミルクを注ぐタイミングに関したこの論争が130年もの間続けられていたくらいです
(「ミルクが先」ということで決着。 )


59: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:22:53 ID:341

こんばんは、桂小五郎です
1


60: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:24:21 ID:8XE

>>59
桂さん!!
挨拶されるだけでも嬉しいで

日本が戦国時代であったころ、ヨーロッパの諸国は
日本にキリスト教を布教するために宣教師を派遣していたのですが、
その時にちょうど日本では茶道が全盛期を迎えていました。
その宣教師たちが、戦国武将たちが優雅に茶をたしなんでいることに
好奇心と畏敬の念を抱いたことが、
ヨーロッパにお茶を飲むという文化が伝わるきっかけとなったと言う話です。


61: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:25:21 ID:8XE

その後イギリスでも本格的な紅茶文化が始まりましたが、
そのきっかけは、イギリスの東インド会社が茶の貿易を
独占できるようになり紅茶はたちまちにしてイギリス中で
飲まれるようになり、上流階級の貴族をはじめ、
庶民の間にまでそれを飲む習慣が広まりました。
こうして、紅茶に完全にハマったイギリスは、
紅茶の安定供給を求めて戦争までやらかしてしまいます。


62: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:26:31 ID:8XE

これが有名なアヘン戦争です。
一般的に、アヘン戦争は、イギリスが強引に中国にアヘンを
売りつけようとしたことから始まったと言われていますが、
アヘン戦争を起こした理由はそれだけではなかったのです。

アヘン戦争が始まる前、イギリスは紅茶を中国から輸入する以外になく、
イギリスは国家の財政を潤すため、紅茶を輸入するときに高い関税をかけたり、
茶税法の名目で、当時独立を果たしたばかりのアメリカに高い値段で紅茶を
売りつけたりしていました。


63: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:32:31 ID:8XE

ところが、イギリスにいいように紅茶を高く売りつけられていた
アメリカはとうとう怒り、ボストン茶会事件を起こします。
ボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃。
「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、
300箱の茶箱を海に投げ捨て、海は紅茶色に染まったそうです。


64: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)19:33:32 ID:8XE

これをきっかけにアメリカは独立戦争を起こし、独立してしまいました。
(これを契機にアメリカはコーヒー党が多くなったと言われています。)
このため、ますます国家財政が苦しくなったイギリスは、未だに中国に
大量の紅茶の代金の銀を支払わなければならないことに苛立っていました。
そこで、何としても中国から紅茶の生産を奪ってやろうと画策したのです。

イギリスはこれ以上自国から銀が流出してしまうことに我慢がならなくなり、
植民地のインドで生産したアヘンを中国に支払う紅茶の代金の銀の代わりにしようとしました。
これが、中国でのアヘン蔓延のきっかけとなってしまい、怒った中国はイギリスと戦争をします。
しかし中国は、圧倒的な武力の差でイギリスに破れてしまいました。


65: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:37:31 ID:VTw
けっきょく水野忠邦は、結局失脚し後進の阿部正弘という人物に
職を譲ることになったのですが、この阿部正弘って人も不幸な人で、、

さぁ安政の改革を進めようというところでついにあの人がきてしまいます、、

ミ ´_>`)「ワイやで」

黒船に乗ってペリーが来ます
2
 

66: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:38:36 ID:VTw

1853年 ペリー浦賀来航です。
イギリスで産業革命が起きて既に150年。
資本主義により産業が成長したところへ産業革命が後押しして世界は一気に帝国主義です

ミ ´_>`)「ガンガン侵略して自国の領土をもっと広げるでーワイの国を世界一の大国にするでー!!」

ミ ´_>`)「ワイもイギリスに負けんと中国とか侵略したい、でも遠いなー」

ミ ´_>`)「おっなんか小さい島国あんで!ココええやん!」

(・日・) 「なんか来たで」

ミ ´_>`)「港貸してくれや、あと鯨も取らせて」

(・日・) 「えっ」


67: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:40:34 ID:VTw

アメリカは当時アヘン戦争でボロボロになっていた中国への侵略を目的に
日本にその通過基地というか外交拠点というかそんなものが欲しかったわけです。
それに当時はアメリカも捕鯨をしていましたので、
その捕鯨基地として日本は最適の場所だったのです。

ビドルの件でも書きましたが、
でもなんでペリーはいきなり軍艦を4隻も連れて日本までやってきたのか?
そんな威圧的なことしなくてももっと穏便に来ればいいじゃないか?と思うでしょう
実は、日本に開国を迫っていたのはアメリカだけではないのです。
ビドル来航よりもさらに少し歴史をさかのぼり、、


68: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:41:09 ID:VTw

1792年・・・ペリーが来るより61年も前の事

( ・`黒・´)「嵐にあって流されてもうた、、ここどこやろ、、」

ξ・_>・)「ロシアやで、お前どこのモンや」

( ・`黒・´)「に、日本です、、」

ξ・_>・)「何!?ニホン!?」
     「あのニホンか?これは…ウェルカムやで(ニッコリ)」

( ・`黒・´)「あ、いや、早く日本に帰りたいんですけど、、」


69: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:42:09 ID:VTw

とある日本人が嵐にあって、漂流し行き着いた先が
ロシアなんて事件がありました。
その人の名前は大黒屋光太夫と言いますが、彼は中々帰国することを
許されなかったのです。
そこで奔走したのがロシア人のキリル・ラクスマンという学者。
彼はロシア帝国の女帝エカチェリーナ2世に頼み込んで、
大黒屋の帰国許可をもらったわけですが
なぜ、ラクスマンはそこまでしたのか、、当然、大黒屋を助け、
日本に送り届ける目的もあったのですが、
心の中では「これをきっかけに日本と交友し、貿易を・・・」なんて考えていたはずです。
ラクスマンは北海道、松前藩に大黒屋を連れていき、ついでに外交もしようと企んでいました。


70: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:43:09 ID:VTw

ξ・_>・)「日本人送り届けに来たでーどうやワイらやさしいやろー」

(・日・) 「はぁ、、」

ξ・_>・)「お礼と言っちゃなんやけどこれも何かの縁や、貿易をしようや」

(・日・) 「はぁ、、」

ξ・_>・)「アカンのか?」

(・日・) 「いや、そういうことは幕府に聞いてみないと、、」


71: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:44:50 ID:VTw

...残念ながら日本は幕府の国、
北海道の松前藩の領主から日本って将軍様が許可してくれないと
貿易はできないと言われ、仕方なく帰っていくことに、、

しかし、ロシアは諦めません。
6年後の1804年・・・ペリーが来るより、49年前・・・

ξ`_>`)「やっぱ貿易しよやー」


72: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:45:25 ID:VTw

今度はロシアの外交官レザノフが来て松前藩に貿易を求めます
一応松前藩も幕府に聞くのですが幕府は当然”NO”と言いたいわけですね
しかし、無碍に断ったらロシアから何をされるか分かったものではありません。
なので、幕府は無理難題・・・いわゆるかぐや姫戦法を取ることにします。


73: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:46:45 ID:VTw

(・日・)「えっとな、日本で外交する港は長崎って決まっとるんや」
   「だから長崎まで行ってくれないと判断できないんやで~(どうせ行かれへんやろ)」

ξ`_>`)「了解やでーちょっと行ってくるわ」

(・日・)「ファッ!?」

ξ`_>`)「...着いたでーここが長崎やな」

(・日・)「ファッ!?」
     

75: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:47:56 ID:VTw

そう、九州の長崎です。
ロシアから行くには北海道まで来てそこから日本海を通り、
東シナ海ルートへと抜けて後悔しなければなりません
しかも日本には一度も寄港することなく・・・
もちろんそんなのは不可能だと知っていながら
幕府はそう伝えたのです。

かと思いきや!!
そう時代は産業革命、蒸気船を持ってるロシアには
なんともないことなんです。
すぐに長崎まで行っちゃって「来ちゃった(ハート)」と
なったもんだからそれはもうびっくり。


74: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:47:43 ID:VKi

相変わらずのおそロシア


76: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:49:20 ID:VTw

ξ`_>`)「ここに来たら貿易できるんやろ?」

(´・ω・`)「いや、あの、、そうそうワイの国は特定の国以外と貿易しちゃダメって朝廷に言われとるねん」

ξ`_>`)「ここまで来てアカンのかい」

日本は特定の国以外と外交はしない!という”朝廷歴世の法”ってのがありましたので、
結局失敗に終わります。

しかし、、1808年、ペリーが来るよりも45年前のこと・・・
日本でとんでもない事件が起こります。やらかしてくれたのはイギリスです。


77: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:50:41 ID:VTw

その事件とはフェートン号事件です。
当時、オランダはフランスに占領されていたのですが
そのフランスの最大の敵対国家がそう、イギリスです。
なので、イギリスはオランダの船を襲ってその物品をどんどん盗む海賊行為、
要は拿捕を許可していたんですね。そして事件は起こります。。


78: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:51:48 ID:VTw

(●▲●)「なんかくれや」

('ω`) 「またイギリスが襲ってきたでー」

('ω`) 「日本さん助けてやでー」

(●▲●)「アカン逃げこまれてもうた」
(●▲●)「…そうやこないだ襲った船にあったオランダの国旗があったな、、」

(・日・)「見慣れない船やな、お前らどこから来た?」

(●▲●)「オランダデース」

(・日・)「…新しい商船か、、よし通れ」

('ω`) 「えっ..」

(●▲●)「バサッ、実はイギリスやで」

国旗を見て新しい商船だと思って、日本が受け入れると
一転、フェートン号はイギリスの国旗を掲げ人質をとり、
水と食料を日本に対して要求します。


80: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:56:54 ID:VTw

もちろん日本は激怒。長崎奉行はすぐに
「あの詐欺師でどうしようもないクソ船をすぐに焼き払え!!」と
命令するのですが、日本が平和になって既に200年が過ぎようとしているこのころ・・・
フェートン号を焼き討ちできるほどの兵士は長崎に居なく
仕方なく、食料と水を渡して人質を開放してもらいフェートン号には
穏便に帰ってもらうことにしたのです。


81: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)00:57:55 ID:VTw

これを受けて幕府は「二度とあんな馬鹿げたことをやらせるな!!」と激怒。
1825年。 異国船打払令 を発布します。
これは、もうオランダなどの貿易を許されている国以外の船が
日本に少しでも近づいたら有無をいわさずいかなる事情があろうとも、
相手の言い分も聞かないで全て打ち払え!という法律です。
まあ、フェートン号のことがあるので、多少暴力的かもしれませんが、
仕方のないことだったんです。


82: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:02:09 ID:VTw

ですが、また問題が起こっちゃうんです。
それは1837年のこと、

(`o´)「船が遭難してもうた」

ミ ´_>`)「スッ、、お困りデスカ?コノ船で送ッテアゲマース」

(`o´)「ホンマ?このガイジンめっちゃええ奴らやんけ」

ミ ´_>`)「オーケーオーケー(ついでに外交するやで)」

(`o´)「あそこが港です、おーい、おーぃ..ファッ!?」

( ・`ω・´)「異国船や!!打てええええぇ!!」

( ・`ω・´)「ああああああああああああ!」

ミ ´_>`)「ヒエッ…退散や」
 


83: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:03:09 ID:VTw

わけもわからず砲撃を受けたモリソン号は退却、、
これが後にいう、モリソン号事件です。
まあ、日本としても当時はアメリカなんて知りませんから
ノリノリで打ちまくったわけですが・・・
ただ、この一年後にこの船の所属と目的が明らかになり
幕府は「なんてことしたんだ!」って言うわけですけど
「打ち払えっていったのあんたらやろ!!」って当然にことを言われ
「・・・すまんな」って言うしか無く・・・
異国船打払令に対する反発は強まるものの、
まあ、そんな意見にもめげず、日本は異国船をバンバン砲撃してたんですけど


84: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:05:59 ID:VTw

そしてついに1842年、、日本は衝撃的な事件を耳にします。
( ・`ω・´)「ファッ!?世界の中心であり、太陽のような国、世界最強の大国、清がイギリスに負けたやて!?」
そう、1840~1842年の間でアヘン戦争があり、
世界最強と謳われていたはずの大国、清(中国)がイギリスみたいな
小さな島国に負けてしまい不平等条約を結ばされてしまったんですね。
これはまずいと幕府。
日本はサムライの国、最強の国、、その定義がはじめて揺らいだのです。
ヤバい・・・戦争したら間違いなく負ける、、と
いままでみたいに有無をいわさず撃沈してたら、
相手にとって絶好の宣戦布告材料を与えてしまいます。
これはヤバい、、そう考えた幕府は、
遭難した船に関しては薪と水を与えてあげなさいということで
同年「薪水給与令」を発布します。


85: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:06:43 ID:VTw

しかし!アメリカはそんなこと知る由もない!!
モリソン号が有無をいわさず撃沈されそうになったんだから、
もう日本に対する評価は最悪です。

ミ ´_>`)「あの国ヤバいで、、どこの船だろうが撃沈しようとする野蛮国や」

ミ ´_>`)「いや、恐ろしい国だ...ならこっちも本気で行かな殺されてまう」


86: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:07:26 ID:VTw

そうなればもう、軍艦4隻で行くしかないと考えた訳です。
そしてペリー率いる軍艦4隻は浦賀に来て、
ミ ´_>`)「アメリカ大統領の親書持ってきたから開国してくれや」って言うんですね。
もちろん日本としては開国したくないのですが、
返事を先延ばしにするとずっと黒船が浦賀に居ついてしまって困るわけです。
何故なら、浦賀は江戸最大の貿易港。
全国から集めた年貢とか各地の名産品とか全部全部浦賀から江戸に運ぶわけです。
そんな港に黒船がいたら、交流がストップして江戸の市民が餓死してしまいます。
でも、いきなり「嫌です」って言えば、黒船の咆哮(大砲73門)で
木と紙でできた江戸の町なんてたちまち火の海に、、
しかも、アメリカは日本に許可無く測量までしたりしちゃって
このままじゃ江戸城まで火の海に・・・
しかし、そこはのらりくらりが得意な日本です。


87: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:10:43 ID:VTw

(´・ω・`)「あんな、スマンけど今、最高権力者の将軍・家定が病気なんや(本当)」
     「だから悪いけど、治ったら聞くから、一年後に来てクレメンス」

ミ ´_>`)「...シャーナイ、マタクルデ」

こんなこと言われたら、アメリカだって帰るしかないわけです。
まあ、日本からすれば「1年も覚えてないやろ(適当)」って気持ちもあったんですが
こうしてペリーは一度滞在先の香港へと軍艦を率いて帰っていくのでした、、


89: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:12:42 ID:VTw

ちなみに当時の黒船は和船のおよそ20倍の巨大さ、
炸裂弾を発射できる大砲は全部で73門、
真っ黒でとても木で作られた船とは思えず巨大な鉄の塊を未知の力で
動かしていると怖れられたようです。


と、今日はここまでとなります、、
さて、一年後、果たしてペリーは忘れてくれるのか!?


90: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:14:26 ID:VTw

ここで豆知識

実はこのときペリーが初めて日本に持ち込んだものがあります。
それは今も日本で愛されている飲み物です。


91: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)01:21:09 ID:VTw

炭酸レモネードを持ち込んだそうです。
ラムネという飲み物はこのレモネードがなまってラムネと呼ばれるように
なったものらしいです。
ペリーが実際に日本人の前で栓を抜いて見せた時に
「ポンッ」という音がしてそれに驚いて
銃声だと勘違いした武士が刀に手をかけたという記述も実際にあるそうです。
黒船のイメージが強いですが意外な人物がこういうエピソードをもっている
ことってけっこうあるような気がします。


94: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)16:57:39 ID:VTw

さて、続きです。
とりあえずペリー編まで書きます。

一年の猶予を与えられ、ペリーが帰りました。
前述しましたが、不幸にも改革しようとした途端にペリーが来てしまった
運の悪い阿部正弘さんですが、このままじゃアカンと安政の改革の内容を
すぐに国防充実へと変えるんです。

では何をしたのか?結構がんばってます。


95: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)16:58:10 ID:VTw

( ・`ω・´)「まず砲台や、大砲をバンバン撃てる砲台を作るで」

(´・ω・`)「そんな土地ないです」

( ・`ω・´)「じゃあ作れや、半年くらいで」

(´・ω・`)「えっ」


96: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)16:58:50 ID:VTw

まず東京湾に向けて砲台を向けられる埋立島を作ります。
品川沖にいくつも砲台を東京湾に向けて並べられる砲台場をつくろうとしたんですね
もうおわかりでしょうか?これがお台場の始まりです。
今フジテレビとかあるあの島、元々は幕府に敬意をはらって
御台場って呼んだのがはじまりなのです。
工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期でペリーが
ふたたび来航するまでに砲台の一部は完成します。
ペリー艦隊は品川沖まで来ましたが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し
そこでペリーが上陸することになったのです。


97: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)16:59:20 ID:VTw

( ・`ω・´)「次は船や!黒船に負けんデカイやつ作るんや」

(´・ω・`)「大型船の製造は禁止されてるんですけど」

( ・`ω・´)「解禁するで!バンバン作れ!」

(´・ω・`)「えっ」

( ` 薩´) 「ほう、、」
( ´ 長`) 「…ニッコリ」


98: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)16:59:44 ID:VTw

今まで各藩には江戸に海上ルートで攻め込まれると困るという理由で
ある一定以上の大きさの船は作ってはいけないと幕府は定めてましたが
もうそんなこと言ってられないと大船製造を許可します。 
おかげで、もう江戸時代の終りになると薩摩藩とか長州藩とか力のある藩は
黒船にも負けないようなとんでもない戦艦を製造します。


99: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:00:25 ID:VTw

( ・`ω・´)「頭のいい奴ら集めて防衛について学ばせるんや」

( …??…? ) 「…学びにきたぜよー」

『長崎海軍伝習所』
つまり今でいう防衛大学でしょうか?
外国から師範を招いて、いままでの刀を振るような戦い方ではなく、
大砲の当て方や銃の打ち方など近代的な戦闘を勉強する
エリート学校を作ります。ちなみにこの学校の卒業生で有名なのが、
御存知、坂本龍馬です。


100: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:01:25 ID:VTw

他にも、、
蕃書調所→国立外語大?今でいう東京外語大みたいなものでしょうか

講武所 →国立武道体育大学?国際武道大学みたいやなw

この講武所は後に、対テロリスト特殊部隊を輩出します。
その中で有名なのが新選組ですね。


101: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:04:15 ID:VTw

こうして国が一丸となって頑張ろう!!と
いわゆる挙国一致を目指して頑張るわけです。
そしてここで一気に頑張っちゃうのが、
全国の大名の中でもとんでもなく儲けて力を付けてる藩、
俗に雄藩って呼ばれてる強い藩です。
当時、日本の藩ってのはどこもかしこも商人から多額の借金をして
なんとかやりくりしており、中には商人が借金会社に貸付企業が来るみたいな感じで、
お城に入って殿様よりも強い権限で自分のやりたい放題をして
自分の会社に良いように国を動かすなんてのがほとんどだったのですが
そんなこと全然関係ない力の強い藩です。
彼らはえげつない手段で儲けています。


102: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:05:21 ID:VTw

( ´ 長`) 「紙、ローソク作りまくって売るでー」
     「下関海峡を通る船はみんな通航料払えや」

( ` 薩´) 「琉球と貿易して貴重な砂糖をガンガン仕入れるんや」

( ` 薩´) 「秘密やけどな、琉球を通じて中国とも貿易するやで」

( ` 薩´) 「…まだまだ足らんな、借金もあるし、、」

( ` 薩´) 「ちょっと商人こいや」

彡( - )( - ) 「な、なんですか?(ワイ殺されるんやろか..)」

( ` 薩´) 「…借金を返そうと思うねん」

彡(゜)(゜) 「ホ、ホンマですか!?(よっしゃああああ!!)」

( ` 薩´) 「250年ローンでな」

彡(゜)(゜) 「ファッ!?(ファッ!?)」

( ` 薩´) 「(刀の手入れをしながら)チャキッ…ええやろ?」

彡(゜)(゜) 「は、はい、、、(一緒や!貸しても!)」


103: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:06:04 ID:VTw

他にも肥前、武力で農民を完全支配して自作農させたりして、
長州、薩摩、肥前、土佐、越前あたりが力をつけてきます。
そして、もう一つ国が一丸となって頑張ろう!で喜んだのが

(◎_◎)「国が一丸に?ってことはマロも参加するえ!!!」


104: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:06:22 ID:VTw

そう、今まで蔑ろにされていた、とんでもなくかわいそうな人々
天皇陛下とゆかいな仲間たち、、つまりは朝廷です。

当時の朝廷は、大名が税金を取るものだから、
そのおこぼれでしか税金はとれず、日々食べるものにも困ってるぐらいでした


105: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:07:08 ID:VTw

大名行列「ザッザッ,,,,,,,」

(・´з`・)「…フラリ」

大名行列「ファッ!?(なんやこいつ、、切ってまうか)」
    「いや、コイツ岩倉具視や!(アカンきられへん)」

(・´з`・)「…」

大名行列「あの、、どいてもらえませんか?」

(・´з`・)「…」

大名行列「どうしたらどいてくれるんですか?(金か?)」

(・´з`・)「…(金や)」


106: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:07:58 ID:VTw

公家もカツアゲして生きてたような時代だったんです。
そこにペリーがきっかけで挙国一致で国が一丸?
当然天皇朝廷も含まれるよね!ってことでめっちゃ元気よくなります。

ですが、、
お台場も優秀な兵士も朝廷も雄藩も1年じゃ準備できませんでした。


107: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:08:24 ID:VTw

一年後ペリーは今度は7隻も黒船連れて「マタキタデ」って
帰ってきます。
そして、さすがに、これ以上話を伸ばすわけにはいかない。
だって前に「一年後には結論出しとくわ(ハナホジー)」って言っちゃったので、、
断れば江戸は火の海、先延ばしもできない、、


108: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:09:45 ID:VTw

こうして1854年、日米和親条約が結ばれたのでした。
この1854という数字は贔屓球団の背番号で覚えましょう、
ちな虎なので背番号18…? ふ、藤浪かな!あとメッセンジャーやな!

で、この日米和親条約
どんなもんかといいますとそりゃもうたくさんあります、
でも、重要なのは2つです。


109: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:10:23 ID:VTw

1、下田、函館の開港
ただし、国内にフラフラと外国人に出歩かれると困るので行動範囲は制限します。  
つまり「外国人のみなさんは夜までにそれぞれの港に帰ってくださいねー」みたいな条件付きです。

2、最恵国待遇つまり今後、中国とかイギリスとかが日本よりも良い条件で
条約を結ぶことがあれば、日本もそれと同じ待遇にしてもらうからな!ってことです。
もう間違いなくアヘン戦争で清が結ばされた南京条約を意識してますね、、
しかも1857年~1860年で第二次アヘン戦争とも言われるアロー戦争が起こって、
さらに清は北京条約まで結ばされちゃったんですから、
これは「書いといてよかったぁ!!」です。ええの獲ったわ!


110: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)17:11:59 ID:VTw

しかしながら、
この条約が締結したその年、幕府ではとんでもないことが起こっちゃうんです、、

それはまた次回書きます、
とりあえずここまででペリー編終了です。


111: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:43:03 ID:VTw

では続きです。

ペリーが来て、日米和親条約を結んだその年・・・
とんでもないことが起こります。

(´・定・`)「ほな、また...」

十三代目の将軍だった、徳川家定 が亡くなってしまうんです。

もうそのせいで、江戸城大混乱です。 
このクソ忙しいご時世に、将軍死んじゃったんです。
今から外国の対応決めなきゃいけないのに、
そんな時期に次の将軍も決めなければならないんです。
しかも家定には子供が居ない、、
もう、一大事中の一大事です。


112: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:43:26 ID:VTw

この場合、次期将軍を出すのは、
徳川御三家(紀州家、尾張家、水戸家)のうち、
紀州徳川家か尾張徳川家のどちらか。
水戸家ってのは、将軍を補佐する為に存在し、
将軍の排出は許されなかったのです。
そして、この時次期将軍には2人の候補者が居ました


116: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:45:06 ID:VTw

一人は紀州徳川家の徳川家茂さん(13)
家柄確かな、13歳の少年です(ただし超甘党)
3

そしてもう一人は徳川慶喜さん(20)、人望もあり成績も優秀、
スポーツ万能でしかも美男子というとんでもないスーパーマン。
4

しかも年齢まで最適20歳前後。
ただしこの人、水戸徳川家の生まれなのです。
「なんでや!!水戸藩関係ないやろ!」とうまくいかないもので
そう、水戸家は有事の際に将軍を補佐するポジション。
後継者は出せないのです。
そこで、慶喜さんのパパはとあることを考えます。
徳川家の親戚である”一橋家”に養子に出すんです。
つまり、徳川慶喜から一橋慶喜って名前に変えちゃうんです。
これでもう彼は水戸徳川ではないので、将軍になれます。
一橋家ならもし将軍家に子供が居なければ、
将軍を排出することが許されますから、、、


117: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:45:47 ID:VTw

そして、この2人を巡って、
まさに血で血を洗うような相続争いが
この時、慶喜さん応援団は、現在の老中であるあの運の無い
”阿部正弘”さんと、名家ではないものの前述の雄藩の一つ、
薩摩藩主”島津斉彬”さん。
一方の家茂さんは、大名の中でもとんでもなく力のある
彦根藩主”井伊直弼” 現在の優秀な大名で、
九州を取り仕切る現在の雄藩連合のまとめる”島津斉彬”さんと
関ヶ原の合戦前から徳川家に仕え、強大な力をもつ井伊直弼、、
はたして勝つのはどちらか。


118: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:47:49 ID:VTw

結局、勝ったのは井伊直弼でした、
いやさぁ、、運がね、、悪い、、阿部さんは、、
島津斉彬さんがまさかの病死しちゃうんだから、もう勝てないよね・・・
阿部さんの運の悪さは筋金入りでした。

ってなわけで次期将軍は徳川家茂さんに。
井伊直弼は緊急時ってことで老中の一つ上、大老に。
そして彼はすぐに幕府を強化しようと企むのですが
彼ってすっごい無駄に強腰なんですね・・・


119: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:48:10 ID:VTw

当時、アメリカから派遣されてきた領事ハリスは
明治天皇のパパである孝明天皇に会いに行き、

ミ ´_>`)「日米修好通商条約結ブヤデ」

(◎天◎) 「いや、、あの、、その、、」

ミ ´_>`)「...アカン、話ならん」


120: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:49:06 ID:VTw

ハリスは日米修好通商条約を直接直談判しに行きますが、
孝明天皇ってのは天皇家でも相当端っこだったのに天皇になっちゃったので
そういう人ってのはとにかく劣等感に苛まれていて
「もし、俺が天皇の時に問題が起きたら、俺の無能が露呈してしまう・・・」って怯えたようで
それに日米修好通商条約は不平等条約。
だから何があろうと絶対に首を縦に降ろうとはしないんです。
「神国日本の土地を異国の者に踏ませ、祖先を汚すわけにはいかない」と断固拒否。
しまいには公家も納得し、岩倉具視とか88人が座り込みまでするような事態になったんです。
しかし、井伊直弼は強腰なんです。


121: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:49:30 ID:VTw

ミ ´_>`)「イギリスやフランスが清の次は日本を侵略してくるのは時間の問題やで」

(?`直´?)「ホンマか!?」

ミ ´_>`)「ワイ日本好きやし、アヘンの輸入も禁止したるし、清みたいなことにはならへんで?」

(?`直´?)「ええやん!!」

ミ ´_>`)「いいよ!こいよ!」


123: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:52:13 ID:VTw

超強気、井伊直弼は国のことなのに天皇に許可もとらないで、
勝手に条約結びに行っちゃいます。

そして1858年・・・日米修好通商条約が結ばれます。
内容は不平等 一部を抜粋すると
・領事裁判権・・・つまり治外法権を認めること
・協定関税・・・つまり関税はアメリカが決めること
・横浜(とか)を開港してもらうこと
・自由に貿易していいということ
もう、日本をいじめることばっかり考えて…るように視えるかもしれませんが、、


124: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:53:24 ID:VTw

いや、領事裁判権とか協定関税とか、
個人的には、与えてよかったと思いますよ?
だって、当時の日本って憲法もなければ刑法もないわけで
もしアメリカ人が偶然大名行列を横切って
「打首じゃ!!!斬り捨て御免じゃ!!」ってなったら
それこそ戦争の原因にもなりかねない大問題でしょう?
ちゃんと法律のあるアメリカで裁いた方がまだ公平ですよ、、
そして関税ですが、日本は当時貿易なんてしたことないわけです。
オランダとは物々交換みたいなものですし、清は無償でモノをくれるわけです。
清ってのは世界の中心でありいわば太陽。
まわりに光や熱を与えるけれど、まわりの惑星からは何も求めないそんなイメージ。
そこに「関税どうする?」ってハリスが聞いても
「関税って何でござるか?」ってのが日本の認識なわけで
ハリスからすれば関税なんて無視してもよかったのに
関税ってのを入れてくれただけでも良心的だと思います


125: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:54:01 ID:VTw

当然これで、一橋派とか朝廷とかからは大批判を受けます。
「何勝手なことしくさってんねん!!」と、
でも、井伊さんは最高権力者です。
信長と同じ「殺してしまえ!!」です。


126: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:54:14 ID:VTw

すぐに行うのは安政の大獄、
反乱者はドンドン処罰するような法律です。
とはいえ、井伊さんが直接攻撃するのではなく、
今まで通り、反乱者を捉えると裁判、つまり奉行にかけるわけです。
そして、当時の日本の裁判システムってのはこうだったんですね。


127: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:54:36 ID:VTw

(´・ω・`)「… (こいつは島流しでええか、、)」
 「(手紙で)コイツは死刑にしますやで」

(・老・)「いや、死刑は重いから島流しにしとけや(ニッコリ)」

(´・ω・`)「せやな(ニッコリ)」


128: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:55:00 ID:VTw

まず奉行が島流しって決定すると、お奉行様は老中(大老)に対して
一つ重い刑罰である「死刑にしました。」って手紙を贈ります、
すると、老中はそれがわかっているので
「死刑では重いから島流しが適切なんじゃないか?」という文章が帰ってきて
その結果お奉行様は「本来なら死刑だが、老中様の寛大なお心で島流しに処する」って
裁判結果を伝えるんです。これを寛典論といいます。


129: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:55:27 ID:VTw

しかし、、安政の大獄では、、

(´・ω・`)「コイツは死刑にしますやで(島流しやけど)」

(?`直´?)「...せやな。」

(´・ω・`)「ファッ!?」

(´・ω・`)「(アカン...)じゃ、じゃあコイツは島流しで!」

(?`直´?)「いや甘いで、死刑にせえ」

(´・ω・`)「ファッ!?」


130: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:55:57 ID:VTw

こうして井伊直弼は邪魔な人間をガンガン処理したんですね。
でもそんな外国には媚びへつらって甘い態度をして、
国内では鬼のように厳しい態度を示せば当然、起こる結末は一つ、

革 命 です。


131: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:56:25 ID:VTw

井伊直弼が江戸城へ出勤する途中、、
桜田門を通っているときにその暗殺事件は起こります。
水戸藩の脱藩浪士に襲われ、銃で打たれて駕籠の中から
動けなくなっていたところを刀で何度も刺され、
その後、駕籠から引き摺り出されて首を刎ねられる・・・
とまぁ、もう恨みの度合いが分かる話ですね・・・
この事件を桜田門外の変といいいます。
5
 


132: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:57:05 ID:VTw

そして、度重なる勝手な行動と安政の大獄の影響もあって、
幕府は完全に信頼を失ってしまいます。
故に権力が上がるのはもうひとつの団体。
朝廷です。さらに雄藩も幕府に失望し、
朝廷を応援するようになります。
そして生まれた文言が”尊王攘夷”というもの
天皇を敬って、外国を打ち払え!って考え方です。
これがもう、士農工商誰でも言うぐらい流行ったんですね


133: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:58:06 ID:VTw

ちなみに、尊王って考え方は儒教(幕府の思想)と国学(ナショナリズム)からの考え、
攘夷ってのは同じく国学(ナショナリズム)と幕府に対する不信や反感が反映されてます。
それに、武士は外国には腰抜けで国内には高圧的な幕府に失望し、
庶民は外国との貿易における物価高に悩まされていたんですね。


134: 名無しさん@おーぷん 2015/04/07(火)23:58:24 ID:VTw

※なんでここまで国内が貧しくなったかというと、
日本と外国では為替のレートがあまりに違ったんです。
日本では金貨1枚が銀貨5枚と交換してもらえるのに対し、
外国では金貨1枚は銀貨15枚でないと変えてもらえない・・・
つまり、外国の1/3のレートで金を交換できるんです。
これにより、貿易商はとにかく世界中から銀を集めます。
そして日本に持込み交換するこれによって、
日本からガンガン金が外国に吸いだされてしまう結果になってしまったんです。


135: 名無しさん@おーぷん 2015/04/08(水)00:00:20 ID:Uat

黄金の国ジパングと言われていましたが、
日本にいけば黄金がザクザクとれる、、まさに黄金の国(笑)でしょうね。


136: 名無しさん@おーぷん 2015/04/08(水)00:01:25 ID:Uat
幕府も黙って尊王攘夷とか言わせていては全然まずいわけで,,
しかしまた安政の大獄のようなことをすれば、今度は暗殺程度では済まないはず、、
だから怖くてそんなことはできない。

そして考えたのがアレです、、


143: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:05:38 ID:uZd
「公武合体」編はじまりますー

ということで日米修好通商条約とか安政の大獄によって
幕府の権威は地に落ち、
朝廷の権威はどんどん上がって行きました。
尊王攘夷とか言わせていてはまずいし、かと言って強気には出られない、、
そこで、幕府はこういう指針を出すんです。

(´・ω・`)「いやいや、、お前ら勘違いしてるで?尊王攘夷と言うが、それはちゃうねん。」

(´・ω・`)「ええか?天皇つまり朝廷と我々幕府はもともと一つなんや」

(´・ω・`)「だから、天皇を敬えとかそういうことじゃなくて、そもそも同じなんや」

(´・ω・`)「、、つまり、これから必要なのは、公(天皇)と幕府(武)が力をあわせること...公武合体なんだ(*^◯^*)」と



144: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:06:16 ID:uZd

しかし、この時点で幕府はとんでもなく分の悪いのです。
なにしろ、、
公武合体で開国しようという派閥
 →幕府
尊王攘夷で外国をぶっ飛ばせという派閥 
 →朝廷(天皇)、薩摩、長州、土佐、朝廷(下級貴族)、全国の浪士です。
勢力的に雄藩は全部天皇派、、幕府は弱りに弱ってとんでもなくダメダメなんです。

では、どうすべきか、、


145: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:06:46 ID:uZd

当時、もう日本の雄藩は全部が全部朝廷の味方で、朝廷に使者というか、
もう特命係長みたいなのを派遣して、天皇に対して様々な進言をする時代です。
どこの藩が天皇に評価されて、自らの時代をつかむか
すなわち、水面下での戦国時代が繰り広げられていました。

で、そんな状況をどうにかしようと幕府も考えるわけです。
巷で広がる尊王攘夷思想を暴力ではなくなんとか温厚に鎮静して
公武合体という思想を定着できないかと、、


146: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:07:45 ID:uZd

そこで幕府!!考えました!!
そうだ!!公武合体に朝廷も賛成してるってことを分かってもらうために、
天皇の妹を将軍のお嫁さんにするんだ!(*^◯^*)と、、

...というわけで1861年、天皇の妹である”和宮”を
降嫁(家臣のところにお嫁に行くこと、天皇よりも将軍の方が当然階級は下です)させます。
このとき、和宮には既に許嫁までいたんですよ、
それを解消してまで、幕府は和宮を貰おうとしたんです。
では、なぜ天皇はそれを許したのか、、


147: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:08:34 ID:uZd

そこにはとてつもない裏工作があったんです。
まず、始まりは勢い付いた朝廷の特命係長達が天皇に進言したんです。

( ・`ω・´)「陛下、勢いがある今のうちに幕府に対して尊王攘夷をちゃんと考えさせた方がいいですよ」
( ´ 天 `)「せやな、、」
( ´ 天 `)「...おう、幕府はいつ攘夷するんや」
(´・ω・`)「えっ?いやあの、、陛下...申し訳無いのんですが現在、公武合体というのを考えてまして、、」
( ´ 天 `)「ほーん、で?」
(´・ω・`)「それで、和宮様を将軍の奥方にして、国内情勢を安定させてから攘夷できるようにしたいのですが、、」
( ´ 天 `)「...ほんなら和宮を嫁にしたら日米修好通商条約は撤廃させて攘夷するんだな?」
(´・ω・`)「わ、わかりました、、即刻尊王攘夷致します!!」


148: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:09:21 ID:uZd

もちろん、そんなことするつもりは全然ないです。
でも、和宮をもらわないと今の尊王攘夷ばかりで幕府の地位は地に落ちたままです。
だから、仕方なく嘘をついて攘夷します!!と、、

天皇は既に婚約者も居る和宮に婚約解消させてなおかつ嫌がる和宮を
降嫁しなきゃ僧侶にするぞ!と脅してまで嫁に行かせます。
もちろんそのことも含めて幕府に
( ´ 天 `)「これは大変なことやと思うよ」
と脅した上で和宮をお嫁にやるんです。
まあ、当然大奥ってのは、武士の女達の世界、、
みんなみんな奥様はお姫様の世界です。
しかも当時大奥を取り仕切っていたのは
なんとあの超名門薩摩のお姫様、天璋院篤姫様です。
宮廷の女と武士の女、
仲がとんでもなく悪いのです。


149: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:09:46 ID:uZd

嫌がりながらも和宮は嫁に行く条件を出しました。
それが「御所風儀」です。
御所風儀とは服装や髪型など公私にわたるすべてに
武家風の大奥のやり方には一切従わないというもの。
さらに、天璋院篤姫や家茂の母は大奥に住まわせず、
一切対面しないという条件でした。
まあ今の感覚でいうと夫とは結婚するけど夫の両親と同居したくないってことでしょうか。
女性はいつの時代も同じことを考えるものですね。


150: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:10:30 ID:uZd

その条件を伝え聞いたのは当時大奥を取り締まっていた天璋院篤姫。
嫁対姑、御所風対武家風、大奥を舞台に火花散る女の戦いが始まります。

先制パンチは和宮さん、彼女は皇室という温室で大事に大事に育てられたので、
あまり世間のことを知りません。
和宮さんが江戸城へ入城した際、天璋院篤姫に進物を渡したのですが、
その進物の包み紙にはなんと
「 天 璋 院 へ 」と、宛名で呼び捨てにしてしまったのですw
嫁でありながら姑に対して呼び捨てはないと大奥女中は当然憤慨します。


151: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:10:55 ID:uZd

篤姫さんサイドの反撃が始まります。
和宮は大奥に入ると愕然とします、なんと御所風儀の約束が反故にされていたのです。
大奥ではそんなことはいっさい聞いていないと言い、篤姫武家の風儀を通そうとします。
そしていよいよ運命の初対面の際、姑にあたる天璋院篤姫は上座につき、
茵(しとね:殿様とかが座っている畳みたいなベッドっぽい奴)に座っていたのに対して、
和宮の席はその左脇の下座に設けられ、茵も用意されていなかった。
和宮は屈辱を感じ自室に戻って声をしのんで泣いたといいます。
和宮さんもアレなところありますが、篤姫さんはもっとえげつない、、
こうして和宮と篤姫の対立は、大奥女中を巻き込み激しく対立していくのです。


152: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:11:11 ID:uZd
そんな生活はすぐに天皇の元に伝わります。
しかし、天皇は我慢するんです。これも尊王攘夷の為だと・・・
しかし各雄藩は藩同士で、
「このままでは幕府に良いように利用されるだけだ・・・どうする?」って相談するんです。
特に長州派は「もう幕府潰すンゴ」とか言ってるわけで・・・


153: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:12:29 ID:uZd
そして!!ここで中々決定を下さない朝廷に対して怒った薩摩が
立ち上がり、とある人を朝廷に送り込みます。
その人の名前は島津久光さんです。
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和宮がお嫁に行った次の年に彼が朝廷に殴りこみにいくんです。
では、この島津久光ってどんな人?って言いますと
薩摩藩主の代わりに政治を行って、薩摩藩主より尊敬されていて、
ミスター薩摩とでも言えるぐらいの人、つまり薩摩の殿様より偉い人です。
そんな人が朝廷に来たら、
今までは「ほーん、お前新人?」「まあ、よろしくやでー」
という今までのようなやりとりとはいきません、、
「よくぞお越しくださいました!!島津様!!」からのスタートです。


154: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:12:57 ID:uZd

島津さんはすぐに天皇にあって

(島`o´)「陛下!!このままじゃダメです!!幕府に直訴すべきです!!!」って訴えるんです。

しかし、天皇はいかに大きな権力とはいえ単体では幕府よりはまだずっと弱い・・・
だから「そらわかっとるけど、そらアレよ、、」って濁すんです。
だって、今朝廷に居る武士は特命係長、以下に優秀とはいえ下級の武士なんです。
そこで、島津久光さんです!!
薩摩の殿様より偉い人が「俺行きましょうか?」って言うんです、
マジで!って天皇大喜び。
島津さんは今までの薩摩藩主としての旗だけじゃなく、
今度はこの日本で葵の徳川の家紋より何十倍も権威のある家紋、
天皇の菊の家紋まで持って東海道を堂々と大群で進行し、江戸城に入っていきます。


155: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:14:40 ID:uZd

権力も武力も圧倒的に敵が上という幕府として
今まで一度も味わったことのない超ピンチな状況。

そんな状況で島津さんは将軍に対して
「天皇陛下のご命令の元きたやで!!」って言うんだから
もう言い分を聞くというか、従うしかないんです。
そして島津さんこんな提案をします。
かねてから望んで望んでたまらなかったあの人を権力者にする方法です。


156: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:16:19 ID:uZd

(島`o´)「なあ将軍はん、ひとりでこの大変な時代を収めるの大変やん?だから新しい役職作ろうで」

('ω`)「えっ、新しい役職?」

(島`o´)「ワイ考えてきたんや、将軍後見職って言うンゴ」

('ω`)「ファッ!?将軍後見職!?」

(島`o´)「ええやろ?(菊の紋チラッ)」

('ω`)「設置したいんやけど、、適切な人おらんし..(震え声)」

(島`o´)「おるやで」

('ω`)「ファッ!?」

(島`o´)「将軍様とどっちが将軍になるかって争った..なんやったっけ?」

('ω`)「ひ!!一橋慶喜!!?」

(島`o´)「彼なら問題ないやろ?」

('ω`)「そ、、そらそうよ…(震え声)」


157: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:16:48 ID:uZd

そう、かねてより応援してた一橋慶喜さんはこうして一気に権力者に!!
そして、こうして権力者になった慶喜さんはすぐに自分の政策を実行させます。
もちろん彼は超優秀。今までの政治家とは根本的に違うわけです。


158: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:17:07 ID:uZd

まず、慶喜さんいままでの刀と武士道で戦うスタイルでは
全然ダメってことに気が付きます。
そこで、、

(o‘ω‘ n)「幕府陸軍を作るやで、フランスさんよろしくニキー」

こうして、幕府陸軍こと、幕府歩兵隊が創設されます。しかも指南を頼んだのはフランス軍。
当時超一流の西洋式舞台をつくろうとしたんです。


159: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:18:09 ID:uZd

(o‘ω‘ n)「次は倒幕を防ぐやでー誰かに京都守らせるンゴ」

彡(゜)(゜)「京都怖いンゴ..」

彡(-)(-)「誰かやってくれるやろ」

彡(゜)(゜);「ワ、ワイ塾あるし...」

(●゚◇゚●)「じゃ、じゃあ僕が、、」

彡(^)(^)「よろしくニキー!」


160: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:18:30 ID:uZd

当時、幕府を倒そうとする過激派藩士がたくさんいる京都の警備をしないといけないということで
京都守護職ってのを新設する命令がおこりますが、
当然、雄藩を全員敵に回して行うこの京都守護職、誰もやりたくないんです。
誰もがやりたがらない中で責任感が強いのか、「会津藩」ってのが担当することになります。
というわけで京都守護職が作られます、この中からあの新撰組が誕生します。


161: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:18:56 ID:uZd

そして抜け目のない島津さんは去り際にも確認します。

(島`o´)「幕府の指針は尊王攘夷でいいんですよねー」って、
幕府もあまりの権威と武力に「も、もちろん、、」というしかないのです。

こうして、自分のやりたい事ぜんぶやって、完全勝利、、
気分上々で京都へと帰っていく島津さん・・・
しかし、そんな帰り道、島津さんやらかします。


162: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:19:49 ID:uZd

島津さんが帰り道で横浜に入ったとき…生麦村ってところで事件はおきました。
島津さんが普通に帰り道を大名行列で通っていた時
その大名行列を4人のイギリス人が馬にのって通り過ぎたんです。
島津さんの家臣たちも最初は我慢したのですが、
行列を逆行し、下馬もせず馬に乗ったまま列を乱しまくった結果、
当然出る答えは「無礼者おおおおおおおお!!」
そう、イギリス人を殺しちゃったんです。
これが後に言う 生麦事件 です。


163: 名無しさん@おーぷん 2015/04/09(木)17:20:28 ID:uZd

今までの庶民が外国人殺しちゃったなら
外国に「あいつ消しときましたー」で済むのですが
斬ったのが大名ともなれば、とんでもない大事件。
なにしろ、いままで政府は全部味方だと思ってたのに、
思いっきり敵対行為したんですから、治外法権をガン無視で。

しかし幕府は今「尊王攘夷します!」と言ったばかり!!文句は言えません!

そして後にこの問題で薩摩は拗れに拗れてぐっちゃぐっちゃになるんです。

それについては少し後のこととなります。。


166: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:13:45 ID:Aty
将軍になれなかった慶喜さんが島津久光さんの進言により
将軍後見職という将軍様クラスの職業につきました。

さて、慶喜さんが将軍後見職になった翌年。
1863年に家茂(将軍)が慶喜と一緒に上洛、、つまり天皇に会いに行きます。


167: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:16:40 ID:Aty
(´・ω・`)「お義父さん、お久しぶりです、、」

( ´ 天 `) 「おつかれ。」

(´・ω・`)「えっと、本日はお日柄もよく、、」

( ´ 天 `) 「そんなんええから」

(´・ω・`)「えっ」

( ´ 天 `) 「いつ攘夷するんや、はよ外国船すべて焼き払ってくれや」
 (周りには雄藩の人たちも公家の人たちもいます)

(´・ω・`)「えっと....(嘘でした~テヘペロ☆なんて言えへん...)」

( ´ 天 `) 「はよ言えや」

(´・ω・`)「じゃ、じゃあ今年の5月10日にとか..かな…?(適当)」

( ´ 天 `) 「よし5月10日やな?」

(´・ω・`)「そ、そうですね、、10日..ぐらいかなハハハ..」

( ´ 天 `) 「5月10日やな?」

(´・ω・`)「(ファッ!?)は、はい!!すぐに令状をすべての藩に回します!!」


168: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:18:01 ID:Aty

(´・ω・`)「..いや、無理やろ、、なんであんなこと言うてもうたんや、、」

(´・ω・`)「ま、でも外国の脅威はみんな知っとるし行け言われて行くヤツもおらんやろ(適当)」

(´・ω・`)「各藩に告ぐ、5月10日に敵国の船を焼き払えやで(でもアイツら強いから無理はしないでね!)」

(´・ω・`)「あっそうや、アメリカさんたちにも手紙出しとこ」

(´・ω・`)「明日から攘夷とかなんとか言いますけど実際には何もないんで適当に聞き流しといて下さい。」

ミ ´_>`)「??」


169: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:18:37 ID:Aty

天皇に攘夷を迫られ困った家茂さん!
だってそれをすることが条件で上司に無理を言って貰ったお嫁さんです。
周りでは雄藩に公家も全員見てます。こんなところでもし「嘘でした~テヘペロ☆」なんて言おうものなら、
将軍家なのにお家おとりつぶし。次の征夷大将軍は薩摩の殿様なんてこともありえます。
まさに幕府存続の危機。
そこで嘘をついて5月10日に決行すると天皇に言い、
全ての藩に 「5月10日に敵国の船を焼き払え」 って命令書出します。
まあ、幕府からしても外国が日本より強いのは黒船の話で十分伝わってることだし
誰も結構しないだろうとタカをくくっていたんですね。
ついでに英仏米蘭の行使にもその気がないことを文書で伝えています。


170: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:19:32 ID:Aty

だが!!
甘かった・・・たしかに外国を無意味に攻撃したくないので、
どこの藩もほんとにやろうとはしないのですが・・・
たったひとつだけ・・・一藩だけ、実際にやっちゃった藩があったんです。

それはあの天皇陛下を尊敬してやまない、尊王攘夷バンザイの長州藩。
エックスデーの5月10日のことです,,,


171: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:20:05 ID:Aty

 ~下関海峡~

ξ`_>`)「アメリカさんの船が海峡通るやでー」

( ` 長´)「...」

ξ`_>`)「?」

( ` 長´)「…打て!」

ξ`_>`)「ファッ!?なんやアイツら!」

( ` 長´)「ああああああ!」

ξ`_>`)「ヒエッ…退散や!」

( ` 長´)「よっしゃあぁあぁ尊王攘夷やああああああ!」


172: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:20:29 ID:Aty

5月10日に下関海峡をアメリカの商船が通ったとたんにすぐ砲撃!! 
アメリカ商船なにがなんだかわかりません。だって今まで普通に通れたのにいきなり砲撃されるんですよ!?
すぐに退散して、長州大喜びです。
さらに次々と異国の船を大砲で追い払うのですがそんなことをすれば当然外国は怒り心頭です。
すぐにアメリカとイギリスとフランスとオランダ・・・つまり長州に攻撃された国が四国連合艦隊を組んで
下関を攻撃します。その数17隻。


173: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:21:18 ID:Aty

ξ`_>`)「お友達連れて来たでー」
ミ ´_>`)「よろしくニキー」
ξ・_>・)「よろしくニキー」

( ` 長´)「ファッ!?」

ξ`_>`)「船バンバン撃つやで」

( ` 長´)「ほげっ」

ξ`_>`)「上陸するやで」

( ` 長´)「ほげっ」

ξ`_>`)「新式のライフル銃バンバン撃ちまくるやで」

( ` 長´)「ああああああ!」

ξ`_>`)「おつかれ」

( ` 長´)「...(アカン)」


174: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:21:37 ID:Aty

もちろん勝てません!ボロ負けです!!
そしてここで長州気が付きます。
今までは陸上戦になればサムライより強い兵士は居ないと思ってたけど
これは勝てないと。
そりゃそうです、こっちが刀で斬りかかろうとしても、
向こうは最新式のライフルでガンガン撃ってくるんだもの。
14
 


175: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:24:10 ID:Aty

そして時を同じくして薩摩もまたピンチに、
そう、藩主がイギリス人を生麦事件で殺してしまったので
その交渉が拗れに拗れて、8月15日にはイギリスvs薩摩です。
これを薩英戦争と言います。
ただ長州と違うのは薩摩はちゃんと敵国に対する知識はあるんです。
もちろん、負けちゃいます。
でも、その負け方がぼろ負けじゃなくて
「あいつら強いなあ!!」みたいな、wbcの日本vsプエルトリコみたいな戦いだったんです。
そしてこれを機会にイギリスは
「薩摩やるやん!!幕府より全然アイツらの方がイケるやん!!」となり、
ついでに幕府を応援してるのが宿敵フランスなので、
薩摩とイギリスとお互いを認め合い、仲良しになっちゃいます。
それこそ、戦艦はイギリスから買うし、
最新の武器も全部イギリスから購入しちゃうぐらい仲良しです、
ついでに薩摩もこの頃に攘夷は無理だということを理解します。


176: 名無しさん@おーぷん 2015/04/10(金)17:25:00 ID:Aty

ただ、どっちの藩も頭のいい人が居て、、

まず長州、交渉の場で
「いやいや違うんですよ、幕府がやれっていうからやったんですよ」と
例の文書を見せます。

当然国内では誰もが冗談で済ませた文章ですが
外国に言わせれば幕府からの正式な命令書です。
「どうなってんだこれは!!」とすぐに江戸幕府に
文句が行き結局賠償金は幕府が払うことに、、
ついでに薩摩も幕府に
「あんたらがやれって言ったから俺達は攘夷してこんなんなったんだから責任取れ!」と・・・
賠償金は幕府からほとんど分捕る形で借用します。
ということでほとんどの要求をのんだ長州ですが、
ついでにイギリスは長州に彦島の租借を要求します。
しかし高杉晋作らが断固として拒否し、高杉の努力によって彦島が
香港のような外国の領土になるのを防いだという逸話がありますが、
当然イギリスもそれはわかってはいるので「そらそうよ」とか言いつつ
まあまあ賢い奴もおるやんと長州を評価してたりします。

この頃から時代のうねりが大きく動き出します。。


181: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:29:14 ID:0E9
薩摩がイギリスと仲良しに。


そしてちょうどこの頃
長州がやらかしてしまいます。
長州と言えばそう、超過激派の右翼団体みたいな感じです。
超強行派です。それが天皇の怒りを買い、、
わかりやすく言うとイチローが好きすぎてメジャーに行ってしまった川崎宗則。

( ` 長´)「陛下ー!!天皇陛下ー!!!我ら天皇陛下の為に!!!天皇陛下万歳!!!だから我々は独断で陛下の為に!!」
( ´ 天 `) 「黙れええええええ!!!!!お前らのそういうところいいかげん暑苦しいんじゃあああああああ!!!!!」
ということになり長州、、かわいそうに京都への出入り禁止になっちゃいます。
今まで勢力一位だったのに長州追放処分です。
これが起こったのが1863年の8月18日・・・
よってこの事件を 八月十八日の政変 といいます。
覚えやすいですね!
16
 


182: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:31:19 ID:0E9

で、これで完全に朝廷の尊王攘夷思想は駆逐され、
今後は外国と仲良くして国をもっともっと発展させよう!
という思想が朝廷にも広まるのですが、
長州はさらにやらかしてしまいます。
( ` 長´)「陛下は薩摩達に騙されている、、よし!こうなったのも全部あの一橋慶喜のせいだ!奴を暗殺し、皇族を幽閉して、朝廷のある京都御所に火を放ち!そして天皇陛下を誘拐して我が長州にお連れするしか無い!!!そして日本を救うのだ!!!フハハハハ!」
わかりやすい悪者のセリフですね。
はい、、バレます。。
新撰組がすぐに情報伝達係をひっとらえ、鬼の副長こと土方歳三が拷問して情報を吐かせ、
首謀者が京都の料亭”池田屋”に潜伏しているところを新撰組が総出で押しかけて皆殺しにします。
後にいう”池田屋事件”です。
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183: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:32:01 ID:0E9

これで長州も、、さすがに諦めるかと思いきや!!
「なんだと!!計画が失敗した!?クソッこうなったらもう直接天皇に直訴するしかない!!!」と
高杉晋作とかが止めたのに大挙して出入り禁止の京都に行きます。後にいう 禁門の変 です。
当然、天皇キレます。そして薩摩と会津に対して「あのクソ野郎どもなんとかしろ!!」と命令し
会津・新撰組とか薩摩の最新兵器の前に可哀想なくらい本当にボロボロに負けます。
野球で言うとしたら、日本シリーズで相手チームになすすべもなく4連敗、
しかも全試合の得点の合計が33-4というスコアになるぐらいにボロボロです。
ま、実際にはそんなことありえないですけどね!
これを 第一次長州征討 といいます。
ここで長州は攘夷なんてできっこないということを思い知ります。


184: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:32:26 ID:0E9

そして、薩摩長州共に「攘夷なんて無理ゲーやん、、」と両藩とも攘夷を諦めます。
そこで!!

( …??…? ) 「薩摩らあも長州らあも共に仲良うするがぜよ」

1866年 坂本龍馬 を仲介役として、薩摩と長州いままで散々いがみ合っていたのですが
「まあ、今後の日本のため 仲良くしようじゃないか」と・・・
手をとって、同盟を結びます。

これが1866年 薩長同盟です。
25
 


185: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:32:53 ID:0E9

そんなわけで同盟を結んだ長州さんと薩摩さん。
勇んで幕府を倒そうと動き出します。
そんな時、薩長同盟の裏側でとんでもないことがおこりました。

2年前の第一次長州征討、、あそこで幕府軍が長州をボコボコにしてしかもその後も大分いじめてたんですね。
だから高杉晋作とかそれまで穏健派と言われていた人たちがキレたんです。


186: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:33:16 ID:0E9

ってなわけで、長州でまた反乱が起きたのでこれはしめたもんだと喜んだのは幕府。
なにしろ、京都で天皇を誘拐しようとしたりしてもう倒幕しようとしてるの丸分かりですので、
すぐに軍隊を派遣します。
つまり幕府が朝廷に「またアイツら馬鹿なことやろうとしてますやで」と告げ口して
今度は幕府が天皇の官軍として、長州を征伐しにいくわけです。


187: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:33:40 ID:0E9

ですが、、
幕府はこの決断をすぐに改めることになります。
「なんで第一次で止めなかったんや!」って
なにしろ、このせいで後10年ぐらいは延命できたといわれる幕府の寿命が
一気に減ってしまうのですから...


188: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:34:09 ID:0E9

ではなんでそんなことになったのか・・・
そもそも長州さん、なんで前回は弱かったのでしょうか?
理由は簡単。 
幕府の言いつけ通りに砲撃しちゃって国内をボロボロにされてそこへついでとばかりに幕府が攻めてきたからです。
第一次長州征討として・・・
阪神がセリーグを優勝するのに力を使い果たして本当は勝てるはずだった
ロッテにボコボコにされてしまったみたいなことですね。
実際には霧の影響でその年の日本シリーズは行われなかったのですが、、


189: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:34:49 ID:0E9

ですが、この時には既に外国との交渉は決着付いてますし、
多額の賠償金は全部幕府に丸投げすることができ、長州は今や雄藩。
しかもしかも薩摩と同盟を結んでるわけですから当然武器も最新式薩摩と
仲良しイギリスさんが全部用意してくれちゃってます。


190: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:35:03 ID:0E9

よってこの第二次長州征討、実は長州VS幕府で挑んだつもりがイギリスVS幕府になっちゃってるんです。
勝てるわけないですよね?
まあ、そんなことは知らない幕府からすれば
「ファッ!?なんやこいつら!この前とは比べ物にならんで!なんでこんな強いんや!!!?」ってなるわけで
前回とは一転ぼろ負けします。


191: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:35:50 ID:0E9

ですが!!ここで幕府が負けて逃げるなんて許されません。
なにしろ200年間も藩の頂点であった徳川がこの前勝った藩に負けるなんてそんなの許されないんです。
負けると分かっていても戦わなければならず、
結果はボロボロです。
しかし、もう降参しよか、、と幕府が考え始めたとき嬉しいハプニングが、
なんと将軍家茂が死んでしまったのです。
それを良い事に、
幕府は「あー将軍が死んでもうたでーこんな場合やない!しゃーない今日はこんくらいで勘弁しといたるわ!!」と
新喜劇みたいな捨て台詞を残して江戸に撤退します。


192: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:36:05 ID:0E9

しかし、幕府、、こんなことをしてしまったがためにもう信頼大暴落です。

今まで江戸の徳川幕府ってのはお金持ちだしなんといっても武力もあって逆らえないという
ジャイアニズムで成り立っていたんです。
それなのに、今までのび太くんだと思ってた長州に負けるんですよ?
今まで強くて怖いと思ってたのに、実はのび太くんより弱いんです。。


193: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:37:14 ID:OGx

なんで関ヶ原で西軍の薩摩が本領安堵だったかとか、火中の栗を拾うような京都守護職を会津がやったかとか中世から幕末まで繋がるのが歴史の面白さやね


194: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:38:06 ID:0E9

もう、ここからは急展開です。
同盟を組んでいた薩摩さんと長州さんもうバリバリ攻撃力全開です。

幕府が事実上敗北した途端に

( ` 長´)「なあ、もう幕府潰そうで?」

( ´ 薩`)「せやな!!いままで散々虐げやがって!!」と

薩長倒幕同盟ってのを秘密裏に結んでしまいます。


195: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:38:34 ID:0E9

と、同時に孝明天皇が崩御(暗殺という説もあり)。
徳川も将軍が死んだので新たな将軍になったのはそう、
あの一橋慶喜、もとい徳川15代将軍徳川慶喜です。

薩摩と長州は1867年、倒幕するための準備を着々と進めます。
一方の幕府は倒幕の動きがあるのは知っていますが、
どうすることもできません、だって相手の方が自分たちより強いんだもの。
戦争仕掛けても負けるし、、


196: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:39:19 ID:0E9

しかし、ここで一人立ち上がった男が居ました

そう!坂本龍馬です!!
333

龍馬さん・・・あることに気が付きます・・・

( …??…? ) 「今、幕府の支援をしてるのはフランス軍で、そして薩摩と長州はイギリス軍、、」

( …??…? ) 「ってことはつまり代理戦争やんけ...」

( …??…? ) 「これは一大事ぜよ!!イギリスVSフランスになって下手したら日本は半分になって半分がイギリスの植民地!半分がフランスの植民地ぜよ!!そうならないにしても間違いなく多くの人々が暮らす江戸は火の海ぜよ!!!これはいかんぜよ!!!」


197: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:39:46 ID:0E9

というわけで・・・坂本龍馬・・・
将軍様になんとか江戸に血が流れないように、
江戸城に直訴しにいこうと思いますが、
彼のようなどこの馬の骨かもわからない人物が江戸城に入るなんて許されません。


198: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:40:07 ID:0E9

一方薩摩と長州。天皇に「幕府を倒してあなたの時代に、、」と
新たな天皇である明治天皇に直訴します。
倒幕戦争はもう間近です、、いそげ悟空!

そして竜馬さん、自分では会えないとわかったので
勝海舟にお願いして将軍に進言してもらいます、、


199: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:40:28 ID:0E9

もう時代は動いていました。
後は天皇が討幕するのを許可してイギリスVSフランスをも巻き込む代理戦争になるのが早いか、
それとも政治を天皇に戻してなんとか江戸に血が流れないようにするのが早いか、、


200: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:40:52 ID:0E9

1867年、10月14日、、
天皇は薩摩と長州に命令を下しました。

( ´ 天 `)「官軍として・・・江戸幕府を討て・・・」と、、

そう、早かったのは朝廷からの討幕の密命。
薩摩と長州はもう外にイギリスに匹敵する最強の兵器と兵士を揃えていました。
そしてこう言います、、
「天皇陛下、あなた様の為..我々は官軍を率いて、あの江戸幕府に終止符を打ちます!」と
こうして江戸は火の海に巻き込まれて、、、


いかなかったのです



201: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:41:30 ID:0E9

( ´ 天 `)「討て、、のつもりやったんだけど・・・」



えっ?
キョトンとする薩摩と長州の前で明治天皇は続けます。


( ´ 天 `)「いや、お前ら遅かってん....」と、、
そして彼は一枚の紙を見せました。
そこには江戸将軍からの御状に・・・


~大政奉還いたします 10月14日 徳川慶喜~

と書かれていたのでした・・・


202: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:41:55 ID:0E9

そう、天皇が討幕を指示したその日、まったく同じ日に大政奉還は成立したのです。
坂本龍馬と勝海舟の尽力で江戸は無血開城に成功したのです・・・
こうして1867年、10月14日 
日本は戦火に巻き込まれることなく京都二条城にて大政奉還は成立したのでございました。
44
 


203: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:43:16 ID:0E9

そして同年12月9日、征夷大将軍である徳川慶喜に朝廷から
「将軍という官位と、いままで預けていた日本という土地を天皇に返還しなさい」という
王政復古の大号令が発表され、、

260年続いた江戸幕府は事実上、消滅したのでした。。。


205: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)00:53:48 ID:0E9

というわけで大政奉還が成立し、
新しい歴史が始まります。。

明治維新、戊辰戦争と激動の時代を迎えます。

それはまた別の話、、

というわけで幕末編はこれで終了となります!
楽しんでいただけたでしょうか。

江戸幕府、終了までの260年、続いた方だと思いますが、
その間、水面下で色々なことが動いていたんですね。

幕末といっても短い期間で起こったことではなく
様々な事象が組み合わさってつながっていくんです。


206: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)02:29:54 ID:FAy

おつやでー
全部終わってから読んだけど楽しませてもろたで


207: 名無しさん@おーぷん 2015/04/11(土)11:12:47 ID:I2N

おつやでーやっぱ幕末は面白いで

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♯52488
何やコレ、内容ガバガバやん
・コメの生産は家綱時代に余剰米を出して値下がりが始まった。元禄は米に変わる商品作物が無いのにも関わらず、市場経済が発展し幕府財政が悪化している
・田沼時代は景気が明らかに回復し綱吉以来最高の余剰財産を生み出している。赤字転落の契機が天明の飢饉であり政権崩壊の原因にもなった
・家斉の子供で一番お金が掛かったのが、養子縁組と嫁入り費用。大名の養子に押し付ける時、莫大な持参金(場合よっては石高加増も)で黙らせたので(姫も同様)幕府財政が傾く原因になった。家斉の贅沢よりこちらの支出の方が大きかったって試算もある
・小判の葺き替えは綱吉時代からやっている幕府の常套手段。当たり前だが市場流通貨幣が増えるので元禄期もそうだが、文化文政の長期成長時代が到来する。今の時代から見る江戸文化の殆どがこの時代の産まれであり、かなりの好景気だったのが見て取れる。
・お茶が日本からとか何処の情報だか。イギリスが最初飲んでいたのは烏龍茶。帆船時代には日時がかかるので茶葉が移送中発酵してしまい紅茶になってしまったのが始まり。日本茶は抹茶も煎茶も発酵を止めているから紅茶にはなりえない。
・長崎海軍伝習所は幕府と各藩のエリートを集めた施設。坂本龍馬のような白札郷士階級は入学すら不可。
・講武所も幕府のエリート養成機関。旗本に使える人材が少なく御家人にも門戸を広げたが、間違っても武州の農民や水戸の浪士崩れは入っていない。
・ハリスとの関税交渉は水野忠徳が担当。金銀交換レートとともに高い知識で常識的なレートを申し出たが、武力を持って押し付けられたもの。嘘言うな。
・公武合体は孝明天皇が特に推し進めたもの。孝明天皇は最後まで尊王派を嫌っていた
話の本筋に関わる所だけでこんだけ間違いがあり細かいところはこの3倍ぐらいある。最後まで書いている自分と違って読ませる努力もしているが、歴史小説以下の適当さ。
かうんたっく

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